祝宴 #2
視界を塞がれたまま、どうやら馬の引く荷車か何かに載せられたらしく、ガタガタと車の音と共にそのまましばらく運ばれた。抵抗しても無駄だろうとわかってはいたので、大人しくしていたが、ユーリのその内心は正直なところ、怒りに燃えていた。
ややして下ろされた場所は、波の音で港に近い場所だと知れた。そうして、体を起こされ、少し歩いた後、腕を拘束していた縄が解かれる。とっさに逃げる間も無く、視界を塞いでいた袋が取り去られ、そこに見えた光景に、比喩でなくユーリは呆然として大きく口を開けた。
「驚いたか!」
そこには、黒ずくめの衣装を身に纏った兄たちが立っていた。能天気な声を上げたのは下の兄テオドーロ、上の兄ヴァルフレードは、常日頃の無表情を差し引いても明らかに不機嫌な顔をしている。
「……私は止めたぞ」
何を、とさえも言わなかったが、ユーリは全てを悟り、テオドーロに向き直った。
「テオ兄様」
「何だ、ユーリ」
一切悪びれる風もなくにこやかに答える兄に、ユーリの中で何かが音を立てて切れた。兄が腰に下げている剣を奪い抜き放つと、その喉元に切っ先を突きつける。
「何を考えているのです?」
ごく冷ややかで剣呑な眼差しと、喉元に差し迫る鋭い剣先に、それまで飄々とした笑みを浮かべていたテオドーロの表情が固まる。
「あ、えーと?」
「……だから言っただろう。冗談にもほどがある、と」
ため息まじりの長兄の言葉に、テオドーロは、はははと乾いた笑い声を上げる。揺るがないユーリの表情にようやく自分の非を悟ったのか、そろりと両手を上げると目を泳がせた。
「ちょっとびっくりさせようかと思って?」
何故に疑問系なのかという問いは、もはやする気にもならなかった。
「……一度ならず二度までも、ジェイクを襲うとは何事ですか!」
「……お前、以前にも襲いかかったのか?」
「いや……その……」
呆れたような長兄の問いにしどろもどろになっているテオドーロに、ユーリは険しい眼差しのまま、厳しい声で続ける。
「どんな事情があれど、私はジェイクと共に行くと決めたのです。それを邪魔立てするとあれば、兄様とても許しません」
ぐい、と剣先をさらに押し込んだ時、後ろから馬の蹄の音が聞こえた。テオドーロから視線と切っ先を外さないままのユーリに、後ろから声がかけられた。
「勇ましいこったな」
剣先を上げたまま、振り返ればジェイクがこちらも呆れたように笑って見下ろしていた。そのまま馬から下りるとゆっくりと剣を握るユーリの手に触れてくる。
「ジェイク……! 無事で……?」
「ああ、あんたにはまた情けねえところを見せちまったな」
剣を放り投げ、その首にすがりつくとしっかりと抱き返される。
「俺の剣……もうちょっと大事に扱ってくれないもんかねえ」
「海に投げ捨てられなかっただけでもありがたく思え」
ジェイクの言葉に、テオドーロが深いため息をつくのが聞こえた。どこか親密な響きを宿すその会話に、見上げたその顔は困ったような、だがどこか面白がる色を浮かべていて、そこでようやく彼女も気づいた。
「……まさか、あなたも知っていたのか?」
目を見開いて声を上げた彼女に、ジェイクは頬をかきながら、次兄と同じように目を泳がせた。その襟首を掴んで視線を合わせる。
「ジェイク?」
ややして、ジェイクは一つため息をつくと襟首を握り締めたままの彼女の指をそっと開かせた。それから髪を撫でながら額に口づけてくる。その優しい手と唇の感触に思わず絆されそうになったが、じっとその灰色の瞳を見つめると、諦めたようにひとつため息をついた。
「俺が知っていたのは、あんたの兄貴があんたを迎えに来るってことだけだ。攫いに来るのは想定外だ」
「迎えに……?」
ジェイクはただ肩をすくめてテオドーロに視線を向ける。その次兄は気まずげにあらぬ方に視線を向けていたが、ついには開き直ったのか、にかっといつもの笑みを浮かべた。
「いや、こっちの方が盛り上がるかなーって」
即座に隣に立っていた長兄が、結構な力を込めて彼を殴りつけた。
「素直に謝れ、テオ」
怜悧な美貌のヴァルフレードが睨みつけると、それだけで迫力である。テオドーロは涙目のまま、その場に膝をついて土下座した。
「大変申し訳ございませんでしたー!」
「……あんたの兄貴、面白いな」
呆れたようなジェイクの声に、ユーリは深くため息をつくより他なかった。それから、結局のところ、目的が何だったのかと真意を問いただそうとしたその時、そこにいるはずのない、懐かしい声が聞こえた。
「ユーリ」
目を向けると、桟橋の先に満面の笑みを浮かべる母と、どことなく気まずげな父が立っていた。その母と、側に立つジェイクを見比べる。ジェイクは、ただもう一度、安心させるようにユーリの額に口づけて抱きしめてくれる。
「悪かったな。あんたを驚かせたかったらしい」
何が起きているのかはまだわからなかったが、その灰色の双眸がただ楽しげに笑んでいるのを見て、信じてもいいのだと思った。それでも一度、テオドーロに向き直る。
「テオ兄様」
「何だ、妹よ」
「後で、お話があります」
「……もういいんじゃねえ?」
「だめです」
「諦めろ、テオ。全面的にお前が悪い」
冷ややかなヴァルフレードの声に、テオドーロが深いため息をついた。隣で忍び笑う声が聞こえたが、実のところユーリにとっては冗談で済むような話ではなかったのだ。彼女のその表情に気づいたのか、ジェイクはユーリの顎をすくい上げると、人目も憚らず短く、それでも深く口づけた。それからひどく優しく笑いかける。
「大丈夫だ。俺は誓っただろう? 俺の生涯をかけてあんたを守り抜くと。そうそう簡単にあんたを置いて死んだりしねえさ」
——いくつもの危機を共に乗り越え、だからこそ彼が傷つくことを、どれほど彼女が恐れているか、知っているから。
もう一度、軽く口づけると愛おしむようにユーリの頬を撫でる。
「さあ、また後でな」
それから、楽しみにしてるぜ、とニヤリと笑って母の方へと背を押した。首を傾げながらも頷いて、ゆっくりと桟橋を進む。途中で堪えきれなくなったのか、母が駆け寄ってきてユーリを抱きしめた。そのやわらかさと、存外に強い力に母の想いを知る。
「ごめんなさい」
万感の思いのこもったその言葉に、ユーリの目頭も熱くなったけれど、子供の頃、そうしていたように彼女はあえて笑みを浮かべる。
「……いいえ」
それだけで、十分だった。
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