海の贈り物

 空を見上げると鮮やかな月が見えた。真円をわずかに過ぎたその月は、穏やかに凪いだ海を明るく照らしている。港を離れ、浜まで歩いていく。靴を脱いで裸足で砂浜を歩くとその冷たさで思わず体が震えた。


 それでも気にせずにそのまま歩いていく。浜辺に響くのは穏やかな波音だけで、ざわめいていた心も、気がつけば穏やかになっていた。きっかけはほんの些細なことだったのだと思う。

 せっかく久しぶりに彼が戻ってきたというのに、その間の彼女のちょっとした「冒険」について話したところ、顔をしかめられた。隙だらけに過ぎる、と。


 彼女にとって、それはとても大切な思い出だったから、珍しく心のどこかがずきりと痛むと同時に、苛立ちがわいてきた。その理由が自分でも分からなくて、それでもそのままそこにいたら、どうにも言うべきでないことを言ってしまいそうだったので、そのまま家を飛び出してしまった。その行動が読めなかったのか、出遅れた彼が家を飛び出す前に雑踏に紛れたから、彼女を追うのは難しいだろう。彼女の行き先など、限られてはいたのだけれど。


 ため息をついて、波打ち際へと歩み寄る。寄せては返す波は、月明かりに照らされてきらきらと輝いている。ふらりと引き寄せられるようにもう一歩海へと踏み出しかけたとき、足の裏に鋭い痛みが走った。

「痛っ……」

 足の裏を見ると、どうやら血が流れ出していた。その足元を見れば、何か白いものがあった。拾い上げるとそれは尖った棒のような白い欠片だった。


 月に照らすと、その光を受けて白く浮かび上がる。足の痛みも忘れて見惚れていると、不意に体が暖かいもので包まれた。

「珍しいな、珊瑚か」

 静かな声に目を向ければ、困ったように笑う灰色の瞳が見えた。

「こんな真冬に、いくらここがだいぶ南だからって、裸足で歩く奴なんてあんたくらいだ」

「……たまたまそういう気分だったんだ。いつもこんなことをするわけじゃない」

 誰のせいで、という言外の言葉が伝わったのか、ジェイクは肩をすくめて笑う。それから彼女を引き寄せると浜辺に座り込んだ。その足を手に取り、傷を改める。

「そんなに深くはなさそうだが……痛むか?」

「いや、大丈夫だ」

 そう答えると、ジェイクは懐から何かの布を取り出して手早く巻いてくれる。それから呆れたように笑う。

「本当に、あんたはちょっと目を離すとこれだ」

「目を離すあなたが悪い」

 思わず口からこぼれた言葉に、ジェイクが目を丸くする。そうしてようやく気づく。自分がどれほど寂しかったのかを。

「あなたが私を置いて行ったくせに、怒るのは公平フェアじゃない」

 その胸元を掴んで、俯いたままそう言うと、ややして笑う気配が伝わってきた。目をあげれば、灰色の瞳がひどく優しく甘い光を浮かべてこちらを見下ろしていた。

「俺がいなくて寂しかったか?」

「……当たり前だろう」

「そりゃ悪かった」

 胸元を掴んだ手をそっと握り締められ、唇が重ねられる。ゆっくりと、いつもよりも優しく、何度もついばむように。それは、確かな想いを伝えてきてくれて、だから彼女は内心でため息をつく。そんな彼女の表情に気づいたのか、ジェイクが首を傾げる。

「……どうした?」

「あなたはずるい」


 ——そんな優しい口づけだけで、結局私は丸め込まれてしまう。


 言葉にしなかったその想いは確かに伝わったようで、引き寄せられ、今度は遠慮なく深く口づけられた。

 そうして、まっすぐに灰色の瞳が彼女を見つめる。


「あんたこそ、俺がどれほど嫉妬深いか、ようやくわかっただろう?」


 今さら逃してやらないけどな、と笑って、月の光の下で強く抱きしめられた。

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