船乗りの困惑
空は晴れ渡り、帆いっぱいに風をはらんで船は滑るように海の上を走っていく。追い風のおかげで、船員たちの中には、甲板でのんびりと羽を伸ばしている連中も多かった。一月もの船旅となれば、始終気を張っていても仕方がない。
ジェイクも舵を預けて体を伸ばし、船首から海の向こうを眺めた。鮮やかな真昼の海のその色は、誰よりも愛しい相手の瞳を思い起こさせてふと、首から下げたその石を眺める。置いてくることに気掛かりがなかったわけではない。だが——。
物思いに耽っていたその時、カンカンカンと高い鐘の音が鳴った。何事かと目をあげれば、正面に大きな船が迫っていた。
ややして、その大きな船はぴたりとジェイクの船に横付けしてきた。こちらの船よりも高い位置にある向こうの甲板から手を振る姿が見える。どうするのかと眺めていると、その相手はするするとマストに上り、なんとそこから縄にぶら下がって勢いよくこちらに飛び移ってきた。
あまりに鮮やかな動きに、さすがのジェイクも度肝を抜かれる。
「よう色男、久しぶりだな」
短い黒い髪に、同色の瞳。色こそ違うが、屈託のない笑みを浮かべる端正な顔は、どこか彼の愛する相手の面影を宿していた。
「テオドーロ、だったか? 随分慣れてるな。海賊の経験でもあるのか?」
「憧れはあるがな。残念ながら引っ捕らえる方が性にあってるらしい」
にっと笑ったその顔は、確かに人を惹きつける何かがあった。やれやれ、とジェイクはため息をついてからその顔をじっと見つめる。
「で、わざわざ俺をこんなところに呼び出して、何の用だ?」
「ユーリは元気か?」
「まあな。だが、あんたが連れてくるなと伝えてきたんだろう?」
半月ほど前、奇妙な色をした鳥が船の様子を見ていたジェイクのもとに一通の手紙を運んできた。そこには、差出人としてテオドーロの名と、指定の場所まで船で来て欲しい旨が記載されていた。ただし、ユーリは連れてこないように、と。
ユーリの兄であるとわかっていても、その手紙が罠ではない保証はなかった。だが、その手紙には、ユーリの母からの言葉も添えられていた。テオを信じて欲しいというその短い言葉の手跡は、以前ジェイクを公爵の屋敷へと引き込む手筈を示した手紙と同じで、だからこそ信じることにしたのだが。
「……今度は一体何を企んでるんだ?」
「お、さすが鋭いな」
テオドーロはもう一度にっと笑うと、懐から一枚の紙を取り出した。美しい封緘のされたそれは、どうやら手紙のようだった。
「招待状だ」
「……何のだ?」
「結婚式だ」
唐突に告げられたその単語に、思わずジェイクは目を丸くする。
「あんたのか?」
「いいや」
テオドーロは悪戯っぽく笑う。ジェイクはひどく嫌な予感がした。そうして、だいたいこういう時の彼の勘は外れないのだ。
「決まってんだろ、あんたとユーリのだよ」
「はあ?!」
思わず大声を上げた彼に、周囲の船員たちも何事かとこちらに視線を向けてくる。すわ一大事かと腰の剣に手をかけた者たちさえいたから、ジェイクは何でもないと手を振って、それからテオドーロにもう一度向き直った。
「一体何の話をしてるんだ、あんたは」
「だーかーら、あんたらの結婚式だってば」
「そんなもんする気もねえよ」
「そうはいかねえんだよなあ」
そう言って、テオドーロは事の仔細を話し始めた。曰く、彼らの母が公爵の先日の所業に怒り狂っている事。その怒りを鎮めるために、彼らの父である公爵がユーリとジェイクの結婚式を彼らの海の都で執り行うと約束したこと。
「約束って……何を勝手に……」
「勘弁してやってくれ。ああ見えて、父上は母上に頭が上がらないんだ」
あんただってそうだろう? とニヤニヤ笑いながら言ったその顔に、先日の礼とばかりに一つ蹴りをくれておく。思いの外きれいに鳩尾に入った一撃に、テオドーロが膝をついた。
「……っ痛ぇ……! 恩人になんてことしやがる!」
「ああ、すまん。殴られたのはあんたの父親と兄貴の方だった」
「くっそう……あとで覚えとけよ。ともかく、だ。式を執り行うにしても、俺としちゃあ、後顧の憂いを断っておきたいわけよ」
腹をさすりながら立ち上がったテオドーロは、もう一度にっと笑う。何だかやっぱり嫌な予感がした。
「後顧の憂い?」
「結婚式はやっぱり一点の曇りもなく幸せに行われるべきだろう?」
「だからあんた何を言って……」
「父上が、ユーリを北の塔に閉じ込めたのは、アレクシスが
不意に表情を改めて告げられたその言葉に、ジェイクは驚きで目を見張った。あの男のユーリへの執着は知っていたが、まさか国同士の戦争にまで発展させる覚悟を持っていたとは。
「……執念深いにもほどがあるだろ」
「ほんと、拗らせた男はめんどくさいよなあ」
そこでだ、とテオドーロは楽しげに笑う。
「俺と一緒にレヴァンティアの要衝の港三つ、
ニヤリと笑って、テオドーロはまるで遊びに誘うようにそう言ったのだった。
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