長兄の感慨
弟から手紙が届いたのは、彼が隣国での諜報活動をひと段落させた頃だった。曰く、彼らの母が娘の結婚式を見たいと言っているので、その計画をしている、と。
ヴァルフレードはその怜悧な美貌に憂いを浮かべてため息をついた。それだけで周囲の部下たちが何事かとざわめく。父譲りの黒い髪と瞳と、母譲りの美貌の彼は、どこに行っても注目を浴びがちだった。だが、本人はそんなことには頓着せず、基本的にはただただ目の前の仕事に邁進している。
「ヴァルフレード、何かありましたか?」
憂い顔の彼に、部下の一人、カルロがその顔をのぞき込んでくる。
「いや、身内の話だ」
短く答えた彼に、長年の友でもある彼は、ああ、としたり顔で頷いた。
「ユーリ嬢に何かありましたか?」
「……母上が、結婚式をお望みだそうだ」
答えた彼に、カルロが目を丸くする。彼もまた、ヴァルフレードと共に妹の恋人を護送した一人だったので、事情をよく知っていたのだ。
「……随分無茶をおっしゃいますねえ」
「父上が約束されたのだそうだ」
「ああ、フィオレンティーナ様は随分ご立腹のご様子で」
「そういうことだ」
彼らの母は末の娘への愛が、彼ら兄弟同様かそれ以上に深い。あまりに深すぎて泣き暮らしたくらいだが、どうやら前に進むことを決意したらしかった。それにしても急激に進みすぎな気がしなくもないのだが。
「ユーリ嬢、私はこの度はお目にかかることはできませんでしたが、ますますお美しくなっているんでしょうねえ」
うっとりと言う友人に、ふと、彼もその姿を思い浮かべる。六歳下のその妹は、小さな頃は「海賊のお嫁さんになる!」などと夢見がちなことを言っていたが、十四の歳を境に口数が極端に減った。歳を経るにつれて、その美貌にますます磨きがかかっていったが、いずれ一人で国を離れねばならない運命を負った本人には、無意味であったことだろう。
だが、ようやくその運命を乗り越えて、故国へと戻ってきた。彼自身はほとんどその姿を目にすることは叶わなかったが、その恋人の様子を見れば、ユーリがどれほど彼に愛されているかは伝わってきた。
粗野に見えた男は、縛り上げられ、殴りつけられながらも、その灰色の双眸に強い光を浮かべ、決して諦めようとはしなかった。小国とは言え、一国の公爵を相手に一歩も引こうともせず。
確かにユーリが選ぶだけの男だ、と感心すると同時に、自分の後をついて回っていた小さな妹が、大人の男を愛するようになったのだと思うと何やら胸に靄のようなものがかかる。
「あ、嫉妬してます?」
「……カルロ、人の心を読むな」
どちらかといえば無表情だの鉄面皮だのと呼ばれる彼の表情を、なぜかこの友人だけはあっさりと看破してしまう。
「心なんて読んでませんよ。あなたが思うより駄々漏れなだけで」
「……そんなことを言うのはお前くらいだ」
「まあいいじゃないですか。きっとその花嫁姿は、とびきり美しいですよ」
確かに花嫁衣装に身を包んだその姿を思い浮かべれば、横に立つのがあの男だとしても、彼の頬は自然と緩んでしまうのだった。
「それで?」
「結婚式の
そう言った彼の言葉に、カルロが驚いたように目を見開き、それからその顔が引き締まる。
「……アンティリカに挑むおつもりで?」
「正面きってはやらぬだろうが、奪い取られた港すべてで式の祝砲を上げるのだ、と」
ため息まじりに言った彼に、カルロは呆れたように笑う。
「大胆ですねえ……。策はおありで?」
「腕のいい船乗りを巻き込むつもりだそうだ」
「……ああ、なるほど」
「そう上手くいけばいいが」
「テオドーロなら、上手くやるでしょう。何しろあなたの弟君だ」
「おだてても何もでないぞ?」
彼からすれば、テオドーロは剣の腕は確かだが、軽率に過ぎるところがある。隣国と事を構えるなど、まだ早い気がしてならなかった。
「公爵がお認めになったのであれば、まあ大丈夫なのでしょう」
「……認めたのであれば、な」
「まあ、ユーリ嬢が花嫁になるように、テオドーロも独り立ちする頃合ですよ」
笑って言う友人に、彼は小さかった弟妹たちの姿に思いを馳せる。二人とも、彼が思うよりずっと、様々な経験をしてきているのは確かだった。
「時が流れるのは早いものだな」
「まだまだ、これからですよ」
来る戦いの予感にか不敵に笑ったカルロに、彼もまた肩をすくめて笑ったのだった。
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