4. 救出

 ジェイク自身は、そもそもはじめからこの公国に足を踏み入れるのは気が進まなかった。レヴァンティアは小国ながら海洋国として名を馳せた国で、交易は盛んだが自国内の規律と他国への対処についても厳しいことで有名だった。彼がよく身を寄せるターランティアの船が時折海賊まがいの行為でレヴァンティアの船を襲うことから、両者の関係は和平を申し入れてはターランティアが自国の船を抑えきれず、レヴァンティアが破棄する、ということを長い間繰り返していた。

 彼としてはターランティアの海賊行為を肯定する気にはなれなかったが、その自由な気風が気に入っていた。商売相手にするならレヴァンティアの方が確実だったが、個々の船乗りの力量に任せて自由に海に出られる方が合っていたからだ。だが、それがこんな形で仇になるとは。



 不意に意識が浮上し、自分が縄で縛り上げられた上に、ガタガタと馬車の中で揺られていることに気づいた。窓もなく外側から鍵をかけられていてはどこに向かっているかも探りようがない。抵抗した際に、容赦無く殴られたために体のあちこちが痛むが、どうやらひどい怪我がなさそうなのが幸いだった。何時間そうして運ばれたのか、馬車から引き下ろされた時にはすでに夜が更けていた。

「二度と戻ってくるなよ。公爵は二言のないお方だ」

 帽子を目深に被った黒髪の若い男は、そう言うと縛り上げたままのジェイクを森の中に蹴り出した。そうしてしばらく離れた木に短剣を突き刺す。

「せめてもの情けだ。私たちが離れてから使うといい。だが、もう一度言っておく。戻ろうなどとは考えないことだ」

 姿勢のいいその姿と、横顔がどこかで見たことがあるような気がして思わず首を傾げる。

「……あんた、どこかで会ったか?」

「海賊まがいの知り合いなどいない」

 そう言って、何故かふわりと笑う。その表情で気づいた。

「あんた、ユーリの……」

 最後まで言う前に、男はジェイクの襟首を掴むと他の衛兵たちには見えぬように懐に何かを差し入れた。そしてほんの一瞬耳元に口を寄せる。

「頼む……妹を守ってやってくれ」

 そう告げた声は切実な響きを宿していたが、その一瞬後には未だ縛られたままのジェイクは、容赦のない力で木に叩きつけられていた。

「この森は夜になると狼が出る。気をつけるんだな」

 青年は冷ややかな声でそう言うと、他の者を連れて引き上げて行ってしまった。

「……もうちょっと手加減してくれてもいいんじゃねえの……?」

 痛む背中をかばいながら、なんとか立ち上がり、短剣のある木まで歩いていく。引き抜いて縄を切り落とすとようやく息を吐いた。打ち捨てられたのはどうやら深い森のようだが、少なくとも馬車が通れる道があるのだから、そう街から遠くもないのだろう。だが、あの男が言っていた通り、のこのこと街へ戻ったところで捕縛されるのがオチだ。どうしたものかと考え込んでいると、どこかで馬のいななく声が聞こえた。不審に思ってゆっくりとそちらに近づくと、黒い馬が木に繋がれていた。その背には荷が積まれている。あたりに人の気配がないことを確認した上で馬に近づき、荷を確認してはっと息を呑んだ。その荷と共に積まれていたのは、見覚えのある彼の剣だった。

「どうなってんだ……?」


 ひとまず馬に跨り、そのまま馬車が去った方向とは反対に進む。そう遠くへは来ていないはずだから、いずれにしても西へ進めば海へと出られるはずだった。予想通り、しばらく馬を駆っていくといくつもの灯りが見えてきた。看板によれば、レヴァンティアの隣国の港町のようだった。一応警戒をしたが、それなりに賑わっており旅人の姿も多い。これならば問題はなさそうだった。宿屋に入ると軽く食事を取り、部屋に引っ込む。寝台に倒れ込むと一気に疲れが襲ってきた。だが、このまま眠っているわけにもいかない。そういえば、とあの男に懐にねじ込まれた何かをようやく思い出した。


 それは手紙だった。いや、手紙というよりは作戦指示書だった。ジェイクが解放された場所から、公爵の屋敷へ戻るルート、そしてご丁寧に隠し通路まで記載された屋敷の見取り図が同封されていた。罠にしては手が込んでいるが、ジェイクたちが屋敷で囚われてから解放されるまで、こんなものを準備する時間はなかったはずだ。だとすれば、事前にこの事態を予測した誰かが用意していたことになる。

「……まあ他に手段がないなら、これに賭けるしかないか」


 目を閉じると浮かんでくるのはユーリの顔だ。公爵の行動は彼女にとっても予想外のことだったのだろう。傷ついた表情が焼きついている。


「それに、アレクシスの野郎……」

 元々彼はユーリへの想いを隠そうともしていなかった。だが、彼女を傷つけてまで手に入れようとするのは予想外だった。それほどに彼の想いは深かったということなのだろうが、だからと言って許せるようなことではない。だが、あの様子では、何よりユーリの身が心配だった。アレクシスがユーリとジェイクとのことを知っているだけに、こじらせた男の執着心は怖い。急がなければと思う反面、慎重に事を運ばなければ取り返しのつかないことになりそうだ。

「頼むから、無事でいてくれ……」

 ひとまず、彼にできるのは祈ることくらいだった。


 そうして、諸々の準備を済ませ、首尾よく公爵邸へと侵入できたのはそれから五日後だった。森の奥にあった地下通路から、地図に従って屋敷の内部へと向かう。通路自体はかつてこの屋敷が城であった時代に作られた秘密の避難経路だったらしい。地図にあった最後の扉の前でしばらく様子を伺う。人の気配がないことを確認し、中に滑り込むと、そこは派手ではないが美しく整えられた部屋だった。調度品と寝台の飾りからして、身分の高い女性のもののように思われた。

「無事に、手紙は届いたのですね」

 静かな声にとっさに剣を抜いて構える。振り返った先にいたのは、亜麻色の髪をした女性だった。年齢はジェイクよりだいぶ上だろうが、まだ十分に品の良い美しさを保っている。少し緊張した面持ちだが、警戒する様子がないことを見てとって剣を下ろす。

「あんたは……」

「あの子の母親です」

 言われてみれば、全体の雰囲気は異なるが、目元がよく似ていた。色の違う瞳にそれでもよく似た芯の強さを感じる。

「どうして……」

「私はあの子に何もしてやれませんでした。けれど、もうあの子は十分に運命に翻弄されました。幸せになるべきです」

「……俺でいいのか?」

 彼がユーリを思う気持ちに嘘はない。だが、彼は何の後ろ盾もない一介の船乗りに過ぎないし、年齢も随分離れている。それに、彼と共に行くということは、彼女はこの国を遠く離れることになる。

「四年……そろそろ五年近く前になるかしら。一月ほど姿を消したあの子が短くなった髪で戻ってきた時、見違えました。運命を知るまでは夢見がちな、知ってからは自分を押し殺すような瞳をしていたあの子が、きらきらと目を輝かせていた。結局話してはくれなかったし、私も聞く勇気をもてなかったけれど、あの子が自分の運命を見つけたのだとはっきりとわかったわ」

「何で……」

「これでも母親ですもの。それに、一目惚れは我が家の伝統なのよ」

 くすりと笑った表情は確かに彼女によく似ていて、何となく納得させられてしまう。

「夫は、公爵という立場上、最もこの国のためになる選択肢しか取れません。けれど、女のわがままならば、少しくらいは許されるでしょう」

 そう言って、夫人は一式の衣装を取り出した。

「衛兵の衣装です。これに身を包んでいけば、少なくとも北の塔までは怪しまれずに行けるでしょう。今日はこの後、アレクシス陛下があの子を訪ねると言っていたので、警備も手薄になるはずです」

「アレクシスが訪ねるのに、警備が薄くなる……?」

「……そういうことです」

 本来貴人が訪ねるなら、警備を厚くするべきだ。だが、あえて手薄にするということは、警備の者たちにも聞かれたくないようなことが行われるということか。思わず怒りで目の前が真っ赤に染まった。

「……あのくそ野郎……っ! と、品がなくてすまないな」

「いいえ……。この件については、私も納得がいっておりません。脇腹の骨の一本や二本、折って差し上げてかまいませんわ」

 しれっと穏やかな顔で恐ろしいことを言う。なるほど親子だと思うと同時に、あの公爵の妻ともなればこれくらいの気丈さが必要なのだろう。

「あの子を連れて逃げる方法ですが、残念ながら私が手引きをすることはできません。可能性があるとすれば、窓から堀へと飛び降りることくらいですが、かなり危険です……」

「堀の深さは?」

「先日の雨のおかげで、あの高さから落ちても十分な深さはあるでしょう。けれど、幅が狭く下手をすれば地面に叩きつけられます」

「……他に選択肢がないなら、やるしかないな」

「ごめんなさい」

 俯く夫人の肩に手をかける。

「ここまで手引きしてくれただけでも十分ありがたい。それより、本当に俺が攫って行っちまっていいのか?」

「あの子が望むのなら。花嫁姿が見られないのだけが心残りだけれど」

「……いつか招待させてもらうさ」

 ニヤリと笑って見せると、夫人も微笑んで頷いた。

「楽しみにしているわ。さあ、もうお行きなさい。幸運を。そして精霊の御加護がありますように」

「……ああ。この礼はいつか必ず」

 そうして、手早く衣装を着替えると、夫人の部屋を後にした。



 北の塔は本当に人払いがされているようで、人気がなかった。最上階にたどり着くと扉の向こうから聞き慣れた声がする。

「……いやです、アレクシス……どうか……!」

「恥じる必要はないよ。元々人の体は快感には逆らえないようにできているんだ。それに、魔女の薬は本当によく効くようだ」

 恥じらいと熱を含んだ喘ぐような声と、劣情も顕な男の声に、カッと頭に血が上る。そのまま扉を蹴り飛ばしそうになって、ひとつ深呼吸する。怒りで震えそうになる手を握り締め、そっと音を立てないように扉を開いた。こちらからは死角になっているところから二人の声が聞こえてくる。

「……っ」

「声を聞かせて。ここには私以外誰もいない」

 声にならない喘ぎで、何が行われているのかは明らかだった。ぎしぎしと軋む寝台の音に沸騰しそうになる思考を何とかねじ伏せて、そろりと部屋に滑り込む。だが、ぴたりとその音が止んだ。気づかれぬようそのまま一歩踏み出すと、アレクシスが両手でユーリの頬を包み込むのが見えた。抵抗を諦めたのか、と思った瞬間、刃の引き抜かれる音が部屋に響き渡る。唖然とするアレクシスの前で、ユーリがその刃を首筋に当てるのが見えた。焦りながらも、刺激しないようあえてのんびりとした声で割って入る。


「一国の王ともあろうお方が、嫌がる姫を手篭めにしようなんて、公爵がお知りになったらただでは済まないんじゃないですかね?」

 そう声をかけた彼に、アレクシスはちらりとこちらに目を向けたが、すぐにユーリへと視線を戻す。ジェイクだとは気づかなかったらしい。

「公爵もご存知のことだ。下がれ」

 だが、その言葉でジェイクの怒りは沸点を超えた。逆に奇妙に冷えた頭で冷静に告げる。

「……なるほど。娘の意思などお構いなしってことか。なら、遠慮はいらねえな」

 思い切り手に持っていた槍を払った。ぼきり、と嫌な音が響いたが構うものか。アレクシスを睨み付けている間にもユーリが飛び込んできて首にすがりついた。その顔はいつになく熱に浮かされたように上気し、目には涙が浮かんでいる。怒りと安堵がないまぜになった感情を押し殺して、可能な限り穏やかに告げる。

「……遅くなっちまって悪かったな」

 だが、こちらを見上げ、増えた傷に気づいたユーリの瞳にはさらに涙が盛り上がる。その想いが嬉しくもあり、そんな顔をさせてしまったことが悔やんでも悔やみきれない。

「そんな顔するなよ。名誉の負傷ってやつだ……まああっさり捕まっちまったのは面目次第もないが」

「ジェイク……一体いつの間に」

「いやぁ、王様が入り込んだそのすぐ後くらいからな。だが、あんたがあんまりにも色っぽいんでついつい見惚れちまってな」

 冗談めかして言うと、慌てて胸元を隠そうとする。とりあえず目立った傷もなさそうなことに安堵し、強く抱きしめた。そして、殺気に振り向くとアレクシスが剣を構えて立ち上がっていた。執念は買うが、相当に傷は重いはずだ。

「さすがだな。だが、やめとけ。脇腹の骨が折れてるはずだ。下手に動くと骨が体の内側に刺さって死ぬぞ」

「……このまま行かせると思うのか? どうやって入り込んだかは知らないが、廻廊の下には多くの兵士が待ち構えている。君一人だけならまだしも、ユーリを連れて逃げるなど不可能だ」

「だからって、ここまできて置いていくわけにもいかねえだろ?」

 もう離すつもりなどない。そう言い切って、ユーリの手を引いて大きく開いた窓へと走る。ちらりと見下ろした先にある堀は、確かにごく細く小さく見えた。勝算は五分あればいい方か。それでもここで引くわけには行かない。

「……俺を信じられるか?」

「当たり前だ」

 何のためらいもない答えに、愛しさがこみ上げる。

「本当に、あんたには敵わねえなあ」

 言って、アレクシスに向き直ると嫌味の捨て台詞を残す。

「それじゃあ公爵殿にもよろしく伝えてくれ。あんたの娘は海賊が攫わせてもらう、ってな」


 そうして、ユーリを抱いたまま、窓から身を翻した。

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