2. 故郷

 酒場に戻ったがレンディの姿はすでになく、結局すぐに宿屋に引っ込むことになった。レンディの目的は結局よくわからないままだったが、彼の住処はわかっているし、またそのうち会えるだろう。そう結論づけて、翌朝には港町を後にした。


 二人きりの旅は思いの外順調で、時に馬車を使い、時には歩き、気ままなものだった。アンティリカの港からユーリの公国までは、以前言っていた通り、大人の足なら歩いても数日でたどり着いてしまう。それに、両国の間は頻繁に行き来があるようで、道はよく整備され、人通りも多かった。


 そして、ジェイクはアンティリカとレヴァンティアの関係が思ったよりも近いこともすぐに実感することになった。公爵の屋敷はアンティリカの国境からほどない場所にあった。どちらかといえば、レヴァンティアの方が歴史が古いから、アンティリカがその小国ながら栄えた隣国に近いところに港を築いたと考えるべきなのかもしれない。

 いずれにしても、旅の間は特に問題が起こることもなく、二人はやがてユーリの生家である公爵の屋敷へとたどり着いた。それは、屋敷というにはあまりに壮麗で、どちらかといえば宮殿に近いようだった。ジェイクがそう感想を述べると、ユーリは少し首を傾げる。

「以前は城だったらしい。元々は嵐に備えてどんどん堅固になっていたそうだが、嵐が襲わなくなってからは維持補修を考えて低層の屋敷に改築したのだそうだ」

 こういう時に、生まれの違いを実感することになる。そもそも幼い頃に家族を亡くして以来、家というものを持ったことのないジェイクからしてみれば、これが家だと言われてもまったくピンとこないのが正直なところだった。


 ともあれ、ユーリについて屋敷の門をくぐると、そこには見慣れた人物が立っていた。

「早かったな」

「ヴェト。私たちが来るのがわかっていたのか?」

「風の知らせだ」

 微笑む竜の青年はそれ以上語ろうとはしなかったが、ユーリもそれ以上聞こうとはしなかった。人外の者たちの事情に首を突っ込んでもいいことはないと思っているらしい。そのまま連れ立って屋敷に入ると、初老の召使いが待ち受けていた。

「お帰りなさいませ。お嬢様」

 何の疑問もなくそう迎え入れる相手に、ユーリの方が戸惑っている。竜の青年を見上げたが、彼はただ肩を竦めただけだった。つまり、彼が事前に説明をしたわけではないということだ。何かがおかしい、と彼の勘が告げていた。可能ならばこのまま踵を返して出て行きたい衝動に駆られる。

「ジェイク?」

 その不安に似た感情を悟ったのか、ユーリも振り返り、戸惑う様子を見せる。だが、それで逆に覚悟を決めた。ここは彼女の生家だ。この先に何かがあるとしても、彼女には運命を乗り越えた事実を家族に知らせる権利がある。彼女が成し遂げたことは、それだけ大きなもののはずだ。一つ息を吐いて、その肩を抱く。

「行くぞ」

「でも……」

「うまくいかなければ、俺があんたを攫うだけだ」

 そう言って笑って見せると、ようやくユーリも表情を和らげた。そんな彼らの様子を知ってか知らずか、召使は眉一つ動かさず彼らに奥の階段を指し示す。

「こちらへどうぞ。旦那様は二階の執務室にいらっしゃいます」


 ユーリがノックをして入ると、まず正面に立つ人物が目に入った。肩ほどの黒い髪に同色の瞳、口元の髭はきれいに整えられている。背は彼よりやや低いくらいだが、壮年ながらよく引き締まった体躯に、姿勢良く立つその姿はどこかユーリとよく似た雰囲気を醸し出している。

「ユーリ。戻ったのか」

「はい、父上」

「早かったね」

 ふとみれば、入り口脇の長椅子に見慣れた男がくつろいだ様子で座っていた。

「アレクシス様。あなたもいらっしゃったのですか」

「公国で会おうと言っただろう?」

 アレクシスはいつも通りの穏やかな笑顔だが、ユーリの表情は固い。先日のアトランティリウムの件がまだ引っかかっているようだった。だが、そんな二人の様子には構わず、ユーリの父が静かに口を開く。

「それで?」

 久しぶりの娘を見ても、ごく冷静な表情で特に感慨深げな様子もない。ただ、その黒い瞳だけがどこか複雑な色を浮かべているように見えた。

「何があったか、お聞きにならないのですか?」

「呪いは解けたようだな?」

「なぜ、それを」

「私は自らの責任を放棄して引き返すような娘を育てた覚えはない。お前が戻ってきたということは、つまり嵐がこの国を襲うことはもうない、とそういうことだろう」

 よくやった、と冷静に見えて、これ以上ない労りの言葉にユーリがほっと緊張を解いたのがわかった。

「ところで、その者たちは?」

 だが、ほっとしたのも束の間、公爵は後ろに控えていたジェイクとヴェトリアクラムに鋭い眼差しを向ける。ジェイクが声を上げるより先に、竜の青年が一歩前に歩み出た。

「久しいな、アドリアーノ」

 親しげに声をかける竜に、公爵が目を見開く。

「まさか、あの時の……?」

「父上、ご存知なのですか?」

「……あなたがここにいるということは、本当に娘は成し遂げたのですね?」

「言っただろう、私の予感はよく当たるのだ、と」

 くつくつと笑う竜に、公爵はひとつため息をついた。彼によると、ユーリが生まれてしばらくした頃、闇に紛れて竜が訪れたのだという。

「ヴェトが?」

「強く、自由に育てろとな。そうすれば、運命にさえも打ち克つやもしれぬ、と。まあ、お前は私がどうこうする必要もなく、十分自由に育ったがな」


 家出のことを言っているのだろう。それを差し引いてもユーリは確かに普通の女性の枠からは大きくはみ出ているように思える。

「しかし、なぜ再びここに?娘に求婚でも?」

「それは私の役割ではないようだ。私はただ、ほんの少しの助力をしにきたまで」

 そう言って、竜の青年はテラスへと続く大きく張り出した窓へと歩み寄った。

「……ヴェト?」

 駆け寄ったユーリに、青年は優しい笑みを向ける。

「ジュリアーナ、そなたとの船旅はなかなか面白かった。何かあれば、またいつでも訪ねてくるがいい」

 そっと額に口づけ、それからジェイクにちらりと目を向ける。

「新たな伴侶を得たいと思ったら、私の名を呼べ」

「なっ……!」

 ジェイクの声には気づかぬ振りで、冗談なのか本気なのかわからない笑みを浮かべながら、竜の青年はテラスへと歩み出た。そうして、おもむろに本来の姿を取り戻すと、空へと舞い上がる。晴れわたる空に黒い翼がくっきりと浮かび上がった。それから、竜は不可思議に響く声で国中に告げる。


『レヴァンティアに住まう者たちよ。嵐の呪いは解けた。そなたらの勇敢なる公爵の娘によって。もし疑いあらば、かつての王国を訪ねてみるがよい。灰色の荒地は今や緑の野となり、泉は再び清らかに湧き溢れている。もはや贄は必要ない。レヴァンティアの血族とその民に永遠の祝福を』


 一際強い風が公国中に吹き渡る。だがそれは嵐とは異なり、華やかな花の香りで国中を満たした。それから竜はぐるりと公国の空を一巡りし、その姿を公国中に披露していく。公国の民はそれを見て、確かに竜が嵐の呪いの終焉を示したのだと知ったのだった。

 国中で歓喜の声が上がるのが、屋敷の中にまで届いてきた。それを聞き届けたのか、竜はやがてそのままどこへともなく飛び去って行った。


「これで一件落着、だな?」

 ベランダから空を見上げていたユーリのそばに歩み寄ると、そのまま彼の胸に頭を預けてくる。見上げてくるその顔は晴れやかな笑顔を浮かべていた。

「あんたはもう自由だ」

 そう言ってその柔らかい体を抱きしめる。だが、背後から冷ややかな声が割って入った。

「——ところで、その男は?」

 目を向けると、公爵がこちらを鋭い眼差しで見つめていた。竜の青年に向けていたのとは明らかに異なる冷たい眼差しに、ジェイクは背筋が冷えるのを感じた。嫌な予感がする。ユーリも何かを感じたのか、ぎゅっとジェイクの胸元を掴んだ。

「さしずめ、勇敢に娘を救ったその想い人、と言ったところか」

 公爵はどうにも不穏な笑みを浮かべる。

「君は娘に自分が釣り合うとでも?」

 不躾な言葉に、だがジェイクはただ肩を竦めてもう一度ユーリの肩を強く引き寄せる。自分が一介の船乗りに過ぎないことなど当に承知の上だ。

「それはあんたの娘が決めることだろう?」

「海賊に娘をやるなど、父である私が許さない、と言ったら?」

「俺は海賊じゃないが、どうしても反対するっていうなら、お望み通り『海賊らしく正々堂々と』攫わせてもらうさ」

 不敵な笑みを浮かべるジェイクに、だが公爵は表情を変えなかった。

「君は、ターランティアの船乗りだな?」

 その言葉に思わず言葉を失う。公爵は畳み掛けるように厳しい声で続ける。

「ターランティアの港に出入りする者の我が国への入国が禁じられていることは知っているな?」

「え……?」

 驚いたように声を上げるユーリに、ジェイクはどうしたものかと言葉を探す。

「言っただろう。あんたの国は海賊に厳しい。俺がよく身を寄せる港のあるターランティアとは折り合いが悪いんだ」

 言葉を濁した彼に、だが公爵は容赦無く追い討ちをかけてくる。その眼差しは、冷ややかというよりは、怒りに燃えているように見えた。

「折り合いが悪い、で済むような話ではない。日頃から多くの船がターランティアの海賊まがいの船により被害を被っている。それに、我が国の十数隻もの商船が、エリアドールの海で奴らに焼き払われたのはまだ記憶に新しい。どれほどの命と積荷が失われたか、君なら知っているだろう」


 その事件についてはジェイクも知っていた。ターランティアとレヴァンティアの何度目かの和平条約が破られる直前、ターランティアの海賊たちが公国の船を襲ったのだ。領海を侵したという建前はあったものの、レヴァンティアがそんなことをする利はない。単に食い詰めた船乗り崩れの海賊たちが豊かな船団を襲ったに過ぎない。レヴァンティア側としては、曲がりなりにも和平を結んでいる相手がそこまで堂々と襲ってくるとは想定していなかったため、被害が拡大したと言われている。以来、両国の関係は、少しずつ修復に向けて動いてはいるものの、厳しいのが現状だ。


「レヴァンティアとターランティアにいざこざがあるのは知ってるさ。だが、俺はターランティアの人間じゃないし、あんたたちの船を襲ったこともない。というか他の船を襲ったこと自体一度もない」

 反撃したことはあるが、とは言外に呟いて。だが公爵は表情を崩さない。

「公爵家の者が自ら法を犯した者を見逃すなど許されない。衛兵!」

 公爵の呼び声に数人の兵士が現れ、抵抗する間も無くジェイクは拘束される。

「……なっ⁉︎」

「本来なら牢に放り込んで裁判を待つところだが、今回は娘に免じて国外追放のみで見逃してやろう。だが、次にこの国に足を踏み入れたら、海賊と同じように吊るされることになる。覚悟しておけ」

「……父上、何を⁉︎」

「嵐の呪いは解けた。ならば家長である私が娘を有効に利用することに、もう何の妨げもないということだ」


 冷酷に言い放つ父をユーリが信じられないというような顔で見つめている。ジェイクも何とか身をかわそうとするが、屈強な男二人に拘束され、さらに残り二人に槍を突きつけられていては流石に歯が立たない。呆然とするユーリを尻目に、公爵はアレクシスに向き直り、淡々と告げる。

「アレクシス陛下、あなたは娘を王妃にとお望みでしたな。両国の繁栄のため、今こそ縁を結ぶ時でしょう」

「アドリアーノ殿、本気ですか?」

「娘は家のもの。息子と違って有効に活用するものですよ」

「ふざけるな、あんたそれでも人の親か⁉︎」

 灰色の瞳を燃え上がらせて叫ぶジェイクに、公爵はただ冷ややかな眼差しを向ける。

「海賊まがいの船乗り風情に言われる筋合いはない。縛り上げて国境まで確実に連行しろ。それから、間違っても我が国に二度と入ってこられないように国境を固めておけ」

「父上!」

 止めようとユーリが駆け出すのが見えたが、公爵に腕を掴まれる。身をよじる様が痛々しい。

「離せ……っ!」

 ジェイクは何とか拘束を解こうとするが、衛兵たちは抵抗する彼を容赦無く打ち据えた。後頭部を殴られ、飛びかける意識を何とか繋ぎ止める。だが、霞む視界の中、衛兵がユーリまでもを捉えるのが見えた。

「アレクシス陛下の花嫁となる身だ。何かあっては困るからな。北の塔に閉じ込めておけ」

「何を言っているのです⁉︎ アレクシス様も何か……!」

 ユーリがアレクシスに目を向け叫んだが、答えはなかった。

「ユーリ!」

 叫んで近づこうとしたが、もう一度、容赦無く打ち据えられ、ジェイクの意識はそこで途切れた。

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