第40話 そして時は流れる
紙の上にしたためた文章を読み直し、エクロはため息をついた。
「俺は何をしているんだろう……」
時々、自問自答する。
自室にこもって書き記すのは、身近な人たちの言動。ピックアップするその内容は、王侯貴族や魔術使用者への恨みつらみ。
書きだしてみてわかる。それらが具体性のない、単なるガス抜きでしかないと。
不平不満を言葉で吐き出すことで、またそれを聞くことで、溜飲を下げる。要するに自己満足に過ぎない。
「でも、それで済まなくなったら?」
耳にする不満は、領主の介入で絹取引が煩雑になった事や、輸送費の値上がりなど。まだ倒産が出るほど致命的ではない。
「だけど、もし本格的に商売が破綻するようなことが起きたら……」
不満を口にするだけでは済まないに違いない。
「……そんなことが起こるのだろうか?」
紙をいつものように折り畳み、着替える。灯りを消してフードを被り外に出ると、空はまだ暗かった。そのまま中央広場まで走る。いつもの闇の神フェブルウス像の裏手に回ると、すでにケイマルが待っていた。
「早かったな」
そう言う彼に、エクロは手にした紙片を突き付けた。
受け取ってちらりと見ると、裏返しの単語が目を引いた。
「不満の蓄積、か。……やっぱりな」
エクロは目をみはった。思わず詰め寄る。
「お前……何か知ってるのか?」
「さてな」
「とぼけるな!」
ケイマルの胸ぐらをつかむ。フードがはらりと落ちて、真紅のカツラの髪が腰まで落ちた。
(あー、これが中身まで女の子ならなぁ……)
美少女に締め上げられて喜ぶ性癖はないのだが、男よりはずっとマシだ、と思うケイマルだった。
「俺だって街の噂くらいは耳にするからな。物価の事とか、絹取引の事とか。でもまぁ、そのうちに落ち着くさ」
何気なさげに語る口調に、エクロは眉をひそめた。
「……なぜそう思う? お前、本当に俺と同い年か?」
エクロにしても、こんな潜在的な脅威に気が付いたのはつい最近、あのバーセルという貴族の御曹司に口説かれた――もとい、目を付けられたときだった。
なのに、ケイマルは気づいていた。その上、予測じみたことまで口にしている。
「なに、俺は冒険者の見習いだからな。それでこんな役目も仰せつかる。で、冒険者たちともよく話すから、色々気が付くのさ」
飄々と答えるケイマルを、エクロの鳶色の瞳が見据える。そこに不安の色を見て取ると、ほう、と息を吐いてケイマルは言葉を続けた。
「心配すんなって。俺も自分のオヤジの背中を見て来てるからな。親が元気なうちは、俺らは酷い目になんて遭わないさ」
そこで、左右に手を広げて、肩をすくめる。
「でもさ、俺らが一人前になったら……そう、十五になって成人したら、何もかも自分で背負わにゃならなくなる」
「あと……九年か?」
「ああ。大人らはみんな言うだろ? 子供の頃は良かった、とね」
受け取った紙片を胸元にしまうと、ケイマルは背を向けた。
「せいぜい、それまで仲良くしようや」
エクロを尻目にそういうと、ケイマルは像の裏から飛び出した。昇る朝日が走り去る姿を照らす。
自らも木漏れ日を浴びながら、エクロは季節外れの寒気を感じた。
「……何だよそれ。九年後に何が起こるんだ?」
* * *
コニルの夏も、多忙の中に暮れようとしていた。
メクレンス王国から持ち帰った絹糸は、領都や周辺の村にある機織り工房へ卸され、次々と布地となる。これをあちこちに納品するための、大量の書類仕事に、コニルは忙殺された。
それでも嬉しかったのは、追加の小遣いがでたことだ。店が繁盛して仕事量が急に増えたので、全員に僅かながらボーナスが配られたのだ。
「やった! これで自前で手紙が出せる!」
次の光ノ日の昼、ニオール夫妻の家を訪れたコニルはテーブルの上に大銅貨を並べた。
「これで便箋を売ってください!」
しかし、ソリアンは並べられた硬貨を手に取ると、全部コニルの掌に載せ、握らせた。
「前にも言ったでしょ? これは先行投資なの」
出世払い。コニルが一人前の商人になったら、利子を付けて返す、という約束。当然、コニルとしては目一杯の利子を付けるつもりだ。
「何より、そのお小遣い、あなたが買い付けの旅で頑張ったからでしょ? なら、自分のために使いなさいな」
「そうですね、たまにはちょっとした贅沢も良いものですよ」
夫婦そろって、コニルには甘いニオール家だ。
徒弟は基本、給与は出ない。そのかわり、毎月、小遣いとして銀貨一枚貰っていた。しかし、ほぼ日用品の補充に消えていた。
(みんなと使い回すのは、さすがに気持ち悪いからなぁ)
昼間たまたま覗いた「癒しの小道」で歯ブラシと磨き粉を発見して、衝動買いしてしまったのが運の尽き。自分専用の手拭い、石鹸、などなど買いそろえ、毎月補充するようになった。
以来、コニルは徒弟としてはとても身ぎれいにしている。
(商人なら見た目も大事だからね)
もっとも、そのせいもあって景福縫製への使いを押し付けられ、三姉弟と関わる羽目になったのだが……。
ともあれ、毎月ほぼ使い切ってしまってた小遣いが、今月は丸々残ってしまった。
ニオール夫妻の所を辞して、コニルは考えながら歩く。
(何に使おうか。贅沢……というと、やっぱりアレだな)
自然と足が向かうのは中央広場。今日もたくさんの屋台が並んでいた。特に光ノ日は、礼拝の後で食べに来る人が多い。
「おっちゃん、その串焼きちょうだい!」
いつも前を通りかかるたびに、香ばしいその匂いに腹が鳴ってた。そして今日はお金もある。
「あいよ! お、いつもの『走り屋』かと思ったら違ったな」
串焼きを受け取って、コニルは大銅貨一枚を渡した。店のオヤジは、値段の銅貨六枚から始めて、「七、八、九、十」と数えながらお釣りを返す。
「ありがと!」
早速一口。噛みしめると、肉汁の旨味が広がる。
(贅沢は素敵だ!)
ひとしきり、感慨にふけりながらモグモグ。
「そう言えば、『走り屋』って?」
「ああ、ここしばらくよく見かける坊主だ。ちょうどお前さんくらいの。毎日、街中を走り回ってるらしい」
「へぇ。お使いか何か?」
「身体を鍛えとるんだと。騎士を目指してるとか」
「そうか。凄いな」
(……その子、もしかしたら転生した自分かも)
ふと、ケイマルの事が思い浮かんだ。
(よし、今夜のCQタイムで聞いてみよう!)
* * *
(ああ。多分、俺より後の一人だ)
(やっぱりそうか……)
真っ暗な寝床で金色に光るクーポンを見つめて、コニルは脳内でつぶやいた。
(名前は?)
(わからん。名乗らなかった。今までに見かけたのは一度だけだ)
(いつ?)
(お前が女装させられた、あの日だ。クーポンを見せられ、少し話した)
(ふーん)
(三人一緒だったな。身なりからして貴族だ)
(領都にいるなら、会えるかな?)
(……やめとけ)
(なんで?)
(貴族に産まれたせいか、性格がねじ曲がってる)
(え~?)
生まれ変わっても同じ自分だと思うコニルだったが。
(俺や、そのリルダという四人目に会って、自分と同じだと思ったか?)
(いや……リルダなんて、最初は女の子だとばっかり)
(!……)
しばらく沈黙するケイマル。
(どうした?)
(ああ……女装した自分は、見たくないな……)
(リルダは女装じゃないよ。魔術師のローブが、男女の区別ないだけで)
(そうか)
ふわぁ、とコニルはあくびをした。
(じゃ、今夜はこれで。おやすみ)
(ああ、おやすみ)
そして、夜は更けていく。
やがて夜は明け、一日が始まり、多忙の中でまた夜を迎える。
そんな日々の中で、コニルは何度か実家へ、そしてリルダへと手紙を書いた。その返事を受け取るのが、何よりの楽しみだった。
家族からの手紙は、村の神官ドレニーオとタスアナシアが口述筆記してくれたもの。ただ、仕事に追われる父母の返事は最初だけで、自然と姉のケラルが語る内容になって来た。
リルダも毎回、返事をくれた。魔法の勉強のことや、妹分のアディラの事などなど。
夏が終わり秋に。そして、ケラルからの収穫祭の話題の後、春まで手紙は途絶える。
一年、また一年。
コニルは背が伸び、お仕着せのたくし上げていた裾や袖を降ろすようになった。
そして、お仕着せがもうくたびれて、年が明けたら新調しようかというころ。
年末の忙しい最中、コニルは店主のメリッド氏に呼び出された。
「コニル、お前は来年で何歳かな?」
「……十歳になります」
口にしてから思い出した。ケイマルが教えてくれたこと。
十歳の年に、メリッド商会が帝都に進出する。
てっきりその話だと身構えていたら、メリッド氏は傍らの布包みをほどいた。
「では、年が明けたらこれを着なさい」
取り出したのは、店員の制服だった。徒弟のお仕着せではない。胸の所にはメリッド商会のマークが、染め抜きではなく刺繍されている。
「それって……もしかして……」
「ああ。異例ではあるが、コニル。お前を正規の店員として雇いたい」
店員なら、きちんと給料が出る。それに。
「寝起きも、他の徒弟たちとは別だ。大部屋ではなくて、狭いが、個室を与えよう」
思ってもみなかった待遇だ。
(ああ、これで安心して私物を置ける!)
身だしなみにこだわりがあるコニルだが、時々、石鹸などが行方不明になり、かなり使われて帰ってくることがある。
だが、個室ならそんなことも無くなるし、安心して貯金もできる。
喜びに打ち震えるコニルに、メリッド氏は宣言した。
「今年の春、帝都レクアサンダリアへ店を開く。コニル、君にも来て欲しい」
ついに来た。
「はい、よろしくお願いします」
これまでの、ゆったりとまどろむような年月が、勢いよく流れ始める。その転換点だった。
(帝都に行って、彼女をゲットだ!)
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