第39話 お忍び三人組
翌月。長い夏休みも後半へ。
朝のラジオ体操の後、バトローはいつものように走り込みに。
門を飛び出していく姿を見送ると、ライサスは傍らのバーセルにささやいた。
「煩いのがいないうちに、父上のところへ」
「そうだな」
執務室のドアを叩くと、しばらくして扉が開いた。
「殿下、坊ちゃま、どうぞお入りください」
「ありがとう、婆や」
年老いたメイドが招き入れた。父が幼少のころから仕えているらしく、ライサスは「婆や」と呼ぶ。
その父は、手にした紙片に千枚通しで穴を開けていた。
「父上、おはようございます」
「ああ、ライサス。殿下も、お目覚めはいかがでしたか?」
「快適だ。苦しゅうない」
穴をあけた紙片に紐を通し、他の紙片と共にファイルに綴じる。伯爵が自ら行う作業ではない。本来なら使用人がするはずだが、それだけ機密性がたかい、と言う事だ。
「殿下の発案で、こんなに情報が集まるとは」
先月の五通に、今日届いたのが一通。その六通の書面の裏付けとして部下に調べさせた調書と、伯爵自らが分析したメモ。それらがファイルには綴じられている。
「特に、今朝のは我が目を疑ったよ」
ファイルを開いて、二人に見せる。
「なるほど」
「流石というか……身内にも手厳しいですね」
エクロの記述はどれも、淡々と客観的に各人物が語った内容が記載されている。自分の評価や意見などは挟むことなく。
そして今回は、その対象には自分の父親も含まれていた。
「夕食の席で領主の横暴を非難、ですか。確かに、絹取引の統制は、商人にとっては邪魔でしょうからねぇ」
「ふむ。商人の間に不満が募るならば、グロウリー派に傾くきらいあり、か」
バーセルは顔を上げた。
「伯爵、あなたによるこの分析は興味深い」
「恐縮です」
大の大人が六才児に頭を下げる。奇妙に思えるが、これが貴族社会である。もっとも、バーセルを六才児と見做す方が無理があるが。
「しかし殿下、このあたりは広く傾向を見ていきませんと」
「うむ。その辺はバトローが上手くやってくれている」
ほう、と伯爵は目をみはった。
* * *
「おはよう、おっちゃん」
「おう、走り屋の坊主か!」
中央広場の「武の神」ティワズの像の前には、焼き串など食べ物の屋台が多く並ぶ。火を使うので、火の神でもあるティワズの加護を求めているわけだ。
その中でバトローが顔なじみになったのは、ピタを売る屋台のオヤジだった。バトローが朝夕の走り込みのたびに声をかけていたので、「走り屋」のあだ名をつけられた。
「どうでい、騎士様の小姓には慣れたかい?」
「ああ。人使いは荒いけどねぇ」
ここのバトローの身分は、平民から騎士を目指す少年、という触れ込みだ。小姓として彼が仕える騎士が、帰省した領主令息のご学友の護衛となったので、付いてきたのだと。
その時、焼き上がったピタの香りが漂い、バトローの腹が盛大に鳴った。
「おっちゃん、一つくれ!」
堪らず、銅貨をいくつか取り出す。
「おう、今日は小遣いあるんだな。ほらよ」
ピタにかぶりつく。中の具材の汁が掌に垂れるので、それも舐め取る。
(ああ、なんで屋台で食うとこんなにウマイんだろう?)
「おっちゃん、もうかっとる?」
「ぼちぼちでんなぁ」
どこの大阪人かと思う返事だが。
「絹の値段がエライ上がっとるの、知ってるか?」
「あー、俺の
「あれでメクレンス王国への買い付けに殺到した商隊がいくつも、二ヶ月近くあっちに出払っちまってよ」
「ふんふん」
コニルとしてリルダに会った時のことを思い出す。
「それで荷馬車が足らなくて、輸送費がガーンと上がりやがった」
「そりゃキツイね」
これは初めて聞く影響だった。
「そのせいで、小麦にしろ干し肉にしろ、物価が地味~に上がってんだ」
なぜ今まで気が付かなかったのだろう? と考えて、徒弟としてのコニルの交友範囲には、自らそうした物資を買う者たちが限られていたことに気づく。
屋台のオヤジは続けた。
「でもよ、その分商品を値上げしたら、誰も買ってくれねえだろ?」
「そだなー、おいらも買えなくなるや」
「最近は、布問屋とかのお仕着せを着た子が来てくれるから、数は売れてるんだけどねぇ」
そう。コニルがこうやって屋台で何か買っても、価格に上乗せされなければ気づかない。これもまた、水面下で蓄積する不満の種となりえる。
「なるほどー。おいら、ちょっと利口になっちゃった。また来るよ!」
「おう、待ってるぜぇ」
そして領主館へ駆け戻り、ちゃっかり朝食もいただくバトローだった。
* * *
朝食後。三人は夏休みの宿題に取り組む。
「ううう……なんで生まれ変わってまでして、宿題やらなきゃならないんだ」
ぼやきながら紙を文字で埋めていく。バトローの大の苦手、歴史のレポートだ。
「まぁまぁ。君が努力したおかげで、今の僕が楽を出切るのですから」
二度目となるライサスは、すらすらと書いていく。ついでに気の利いた考察も加筆して。
「しかし、バトローが聞きこんで来た情報は気になるな。食材や原料の値上げを自分で被るしかない商人が、そんなにいるとなると」
バーセルに至っては、ほとんど自動書記状態だ。喋りながらも、よどみなく文章が書き綴られる。
それを見るバトローは、うんうん唸りながら一字ずつ書いてるのが馬鹿らしくなってくるのだった。
「よし。宿題が終ったら、三人で少し街を回ってみよう」
突然、バーセルがそんなことを言い出した。
「あ! くそ、書き損じちまった……」
二重線を引いて、単語を書きなおす。
「言っとくけど、お前ら街じゃ浮きまくるぞ」
インクの染みた指を、バトローは二人に突き付ける。
「話し方も立ち居振る舞いも、お貴族様そのものだからな」
言い換えると、彼自身は全然貴族らしくない、と言う事なのだが、立派な脳筋に育ちつつあるバトローは気づいていない。
残りの二人は気付いているので、それぞれ、くすくす、ニンマリとするだけだった。
* * *
日が高くなったため、領都の気温は上がっていた。
「さすがに暑いな」
「まぁ、夏ですから」
ほとんど出歩かず、光ノ日の礼拝なども馬車で移動する二人にとって、直射日光の下を歩くのは滅多にない体験だ。
おまけに、着ているのは簡素な庶民の服なので、肌を晒す面積が多い。
「街で浮くどころか、融けて無くなりそうだぞ、お前ら」
呆れ顔のバトロー。二人は貴族の子弟にしては体力がある方だが、石畳の照り返しがある広場はキツイらしい。
「ほれ。ここなら涼しいだろ」
闇の神フェブルウス像。エクロとケイマルが密会に使ってる場所だ。周囲を木立が取り囲んでいるので、ここだけはひんやりとしている。
「ああ、確かに。リルダの時、フェブルウスに帰依したことを思い出すな」
「なるほど。これは確かに、闇の神の加護ですねぇ」
急に信仰心を発揮しだした二人を見て、ドヤ顔のバトロー。
「ちょっと待ってな。冷たいものでも買ってくる」
陽射しの下へと駆けだす。
「……時々、彼が自分の前世だとは思えなくなりますよ」
「間にお前を挟んでるから、余はなおさらだ」
ほう、と二人してため息をつく。
「記憶は受け継いでも、生まれや育ちの影響が大きいですからね」
「その分、別な視点が持てるからな。それこそが余らの強み」
そこへバトローが、両手にジョッキを持って戻って来た。
「……昼間からエールか?」
面食らうバーセル。
「んなわけあるかい。蜂蜜水だよ。氷入りの」
ジョッキを受け取る。白い泡に見えたのは細かい氷の粒だった。魔導具で作ったものだろう。
二人は一気に飲み干した。冷たく甘い液体が、体内の熱と疲れを融かし去る。
「ありがとう。助かりました」
「うむ。例を言うぞ」
殊勝な二人の態度に、「ふふん」と笑うバトロー。小気味良い。
「じゃ、ジョッキを返しに行くから付いてきな」
三人で海の神エーギル像の方へと歩いて行く。水全般を扱う神だけあって、様々な飲み物を売る屋台が出ていた。
「おっちゃん、これ。ごちそうさま」
「おう、坊主。その二人かい? 暑さ負けしたのは」
店のオヤジは中年で、赤ら顔の上つるっ禿だった。海神の足元の波をあしらった模様の前では、茹でタコにしか見えない。
そんなオヤジだが、バトローと世間話をしながらも、手早く受け取ったジョッキを洗い、蜂蜜水で満たして並べていく。そして客が注文すると、それを魔導具の下に置き魔力を込めた。組み込まれた魔石から氷の粒が生じ、蜜色の液体を覆っていく。
「まったく、近頃じゃ蜜も魔石も値段が上がっちまってよぉ」
「それ、やっぱり輸送費が上がったから?」
「お、良く知ってるじゃねぇか、坊主」
(なるほど)
上手いものだな、と感心するバーセル。だが記憶をさらうと、バトローだった頃の思い出に、今日の出来事がある。
時間差のデジャブだ。いつものことながら、慣れることがない。
(仕方ない。どれも五十年前の記憶だからな)
転生しながら過ごした年月の厚みを、あらためて思い知るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます