第37話 紳士的な尋問と要求
とりあえず、バトローは楽しんだ。
「わーい、おにーたん!」
「わははは!」
可愛い幼女を肩車して中庭を走り回るだけの、簡単なお仕事。ミアラの方も、高い木の枝にある花や木の実を取れてご満悦だ。
小難しいことは全部忘れて、夏のひと時を満喫する。世の中、楽しんだ者が勝ちだ。
一方、バーセルは。
「さて、そろそろお名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
「……」
沈黙の姫君を攻略中である。
「エク……エクレアと申します」
「エクレア嬢……何とも甘く香り立つお名前!」
コニルなら砂糖が喉に詰まって窒息死しそうなセリフを、バーセルは何のてらいもなく吐いた。何しろ、貴族人生三周目である。虚飾取り混ぜた駆け引きは、既に人外のレベルだ。言を巧みに操作し、「彼女」を少し離れた席へと誘導する。
そして、まさに甘さ極まる洋菓子と同じ名前も、コニルならふき出したかもしれないが、バーセルには難なくさばけた。
「それでは、少し深い話を伺いましょうか、エクロくん」
「!」
一気に虚飾の「虚」を剥ぎ取られ、エクロは唖然とする。
「誤解しないで欲しい。私は君ら姉弟に何の敵意も持っていない。むしろ、もっと君らの教派の実態を知りたいだけなのだ。つまり」
彼女……いや、彼の胸元に指を突き付ける。刺繍された尖った六芒星に。
「グロウリー派の実態についてね」
* * *
(いったい、コイツは何者なんだ!?)
エクロは冷や汗をかきどおしだった。
地頭で言えばコニルより賢い彼だ。目の前で優雅に微笑んでいる少年が、並大抵の相手でない事はすぐに分かった。一目見た時から、脳内では緊急警報が鳴り続けている。
あたりを見回すと、貴族の少年らの一人はあからさまに姉を口説きに掛かっており、もう一人は無邪気に妹と転げまわってる。
ただ一人、コイツだけが自分の正体を知った上で切り込んできている。
(なのに、何もできなかった……)
貴族と平民という身分制度がある以上、公然と拒否するわけにはいかない。しかし。
(拒絶する糸口さえ見つからないなんて!)
流れるような語り口で、断るきっかけさえ与えられずに、ここまで 誘導されてしまった。
挙句の果てが「グロウリー派について、洗いざらい吐け」との命令だ。
「……なにがお望みでしょうか」
「まずは人数かな」
単刀直入すぎる。
「賛同者や理解者なら、信徒全体の半数近くになると言われています」
「曖昧な基準だな。そのうち、グロウリーの教義に忠実なのは?」
具体的な基準を示せ、と言う事だ。
「平素から祈祷会へ集まる人数に限るなら、三千名ほど」
「なるほど。非常に役立つ情報だ」
おそらく、この割合はこの領都エランに限らない。帝都も含め、この西ユグドラシアのほとんどの国、ほとんどの街に見られる傾向だろう。
「その熱心な三千人から見れば、私たちのように魔法学を学ぶ貴族は、さぞかし許しがたい存在なのでしょうね」
はっと息を飲むエクロ。
確かに貴族は
しかし、貴族本人に向かってあからさまにそう言うのは、自殺行為に等しい。彼らはこの国の支配階級だ。不敬罪を適用されれば、死刑となることもあり得る。
「……決して、そのような事は――」
「ないと言うのかね? しかし、魔法具を使っていたらグロウリー派に囲まれ、つるし上げを食らった、という事例もあるそうだが」
エクロの脳裏に、コニルと出会った時の事が浮かぶ。まさにその「つるし上げ」を自分たち姉弟はやったのだ。
必死に頭を働かせ、穏便な返事をひねり出す。
「魔法を使ったとしても……その分、神にも祈るならば、問題はない……と、私は思います」
苦し紛れの答えに、バーセルは微笑む。
「なるほど。グロウリー派が全員、君のように穏健な考えなら良いのだがな」
次の言葉が、エクロの背筋を凍らせた。
「もし一般の信徒らを扇動して、貴族に対する暴動を起こせば大変なことになる」
そんなことになれば、最悪の場合、反逆罪で一族郎党が断頭台の露と成り果てかねない。
「け、決してそんなことは……」
断言しようとして、尻すぼみになってしまう。
「君にそんな気持ちはなくても、その三千人の中には色々な考えの者もいるだろう。もし危険な奴がいたら、ここの領主に伝えて欲しい」
「僕に……密告をしろと?」
ふっとバーセルは微笑んだ。
「それは人聞きが悪いな。道から外れそうな人を救う行いさ。もし暴動が起きたら、扇動された者たちも罰せられてしまうからね」
ものは言いようだ。
「しかし……領主さまに伝えると言っても、どうすれば……」
今回は特別だ。普通なら、平民の子供が領主に連絡する手段などない。
「それは、こちらで用意する。君は危険人物に気を付けてくれればいい」
そう言ってバーセルは、二人の友人の方を振り返った。
ミラカはライサスの前で真っ赤になってうつむき、ミアラの方は遊び疲れたのか、バトローの膝の上で舟をこいでいる。
「さて、そろそろお開きかな?」
バーセルの声に友人たちはうなずいた。
* * *
「ケイマル」
その日の夕方。食事の席で父親が声をかけて来た。
「なんだい、オヤジ」
「明日、俺と一緒にギルドに来い」
いつも思うのだが、父親は言葉が足りなさすぎる。
「冒険者ギルド? 行くのは良いけど、何があるんだい?」
「知らん。お前を指名した依頼だそうだ」
これには面食らうしかない。
「俺に? まだ見習いだぜ?」
「だから、知らん。直接、相手に聞け」
「相手って誰さ?」
ぐっとエールをあおると、父親は答えた。
「ギルドマスターだ」
ますますわけが分からず、ケイマルは憮然とする。
そこへ、母親が料理の皿を二人の前に置き、会話に加わった。
「あなた……危険なことじゃないんでしょうね?」
「知らん。依頼内容はケイマルにしか話せないんだとさ」
また一口、ジョッキを傾ける。
「なに。ヤバイ仕事なら断りゃいい。コイツは俺の息子にしちゃ知恵が回るから、そのくらいわかるさ」
* * *
いち、に、さん、し。
朝の中庭に、音楽と掛け声が響く。
「まさか、異世界でラジオ体操とはなぁ」
「夏休みと言えば、やはりこれでしょう!」
ご、ろく、しち、はち。
「余も、王宮で広めようとしたのだがな。爺やが品位がどうのと煩くて」
それはご苦労なこって、とバトローは呆れる。いや、呆れどおしだ。
ラジオ体操は三人だけでなく、ここ領主館の使用人たちも大半が参加している。しかも、伴奏は生ピアノだ。中庭に面したホールのテラス窓から、あの軽快な調べが流れてくる。
やがて曲は終わり、使用人たちは持ち場に戻って行った。
「さて、じゃあ俺は走り込みしてくる」
バトローにとっては、まさに準備体操レベルだ。半そでのチュニックとキュロットという身軽な姿で、舘の門から走り出る。そのまま小一時間、適当に街並みを走り回って朝食前に戻る。
帝都の実家にいた時の日課と同じだ。学園に入ってからはグラウンドを十周ほど走っているが、単調なのが苦痛だった。
「やっぱり、景色が変わるといいな!」
コニルとして、そしてケイマルとして長年暮らした街だけに、ほとんどの裏路地まで頭に入っている。
「おっちゃん、おはよう!」
「おう、おはよう――」
朝食用のピタ屋台を広げようとしていた中年男性は、反射的に返事をしてから首をひねった。
「はて、今のガキ見覚えないなぁ?」
(いけね。うっかり、ケイマルの記憶で挨拶しちまった)
ぺろりと舌を出して、走り続けるバトローだが、ピタッと立ち止まると物陰に隠れた。
(あれは……)
まさしく、そのケイマルだった。父親と共に、神妙な顔で歩いている。冒険者ギルドへ向かう道だ。
(ああ、そうか。今日はその日だったのか)
この日のケイマルとしての記憶がよみがえり、バトローは納得して領主館へと走りだした。
「あー、酷い目にあったよなぁ。でも、今となっちゃいい思い出だ」
走りながら、ついついニヤけてしまうのだった。
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