第35話 帰国とお召し

 いくつもの鍋の中で煮られる白い繭。おそらく、瞬時に息絶える、その中の蛹。百や二百ではない、おびただしい数の命が贄となる。

 艶やかに輝く絹糸のために。


「要は畜産なんだよな、これも」


 コニルは隣のリルダに向かってそう言った。

 牛や豚、鶏などを屠殺するのと変わらない。ただ、蚕は声を上げないだけだ。


「そうだね。なんと言っても、人に飼われなければすぐに絶滅しちゃうから」


 蚕の幼虫は体重のわりに捕まる力が弱く、生えている桑の葉に止まらせても風が吹けば落ちてしまう。体色が白く目立つので、鳥などに捕食されやすい。


「おまけにね、羽化した成虫なんて羽があるのに飛べないし、口も退化してて水も飲めないんだ」

「なにそれ。死んじゃうじゃない」

「そう。交尾して卵を産んだら、すぐに」


 何とも儚い人生、いや虫生か。

 しかし、とコニルは思う。


(人の一生はどうなんだろうな?)


 唐突に断ち切られてしまった前世の自分、新藤祐樹しんどうゆうきの人生も、儚いと言えばその通りだった。何しろ、子孫を残すこともできなかったのだから。


(今生ではせめて、子を残したいものだな……)


 どうやら、素敵な彼女が出来るのは確定らしいのだから。


* * *


 予約買い付けした絹糸が納入され、無事に荷馬車に積み込まれたのは、夏上月六月の下旬だった。

 この国にいる間は別な仕事を受けていた護衛の冒険者たちも戻り、いよいよ帰国の旅が始まる。


「元気でね、コニル」

「うん……次はいつ来れるかわからないけど」


 早朝の王都の中央広場で、別れを惜しむ二人。

 ぎゅっ、と抱きしめられる。


「おい、リルダ……」

「ごめん。もう少しだけ。この後、村に寄るんだろ?」

「……ああ」


 往きは競争だったから寄れなかったが、帰りならニルアナ村で一泊できるはずだ。半年ぶりに家族に会える。


「頼むよ……僕の温もりも、ケラルやティナに伝えて」

「……ああ。わかった」


 ぽんぽん、とリルダの背中を叩く。


「でも、お前だって家族はいるじゃんか。お師匠さんに、ヘザーとワドーハ。あとアディラなんて、ティナの一つ下だし可愛いし」

「うん……」

「何より、お師匠さんくらいだろ? 俺たちのこと理解してくれるのって」

「……そうだね」


 背中に回していた手をほどくと、リルダは一歩下がってコニルの目を見つめた。


「頑張ってね、コニル。」

「ああ、お前もな」

「……もちろんさ」


 ――そう、目的のために。


 コニルの乗った馬車が、広場から出ていく。手を振るコニル向かって手を振り返しながら、その姿が涙でぼやける。


「今生の別れだね、コニル」


 そうつぶやくリルダの「コニルだった頃の記憶」には、この後「リルダ」という少年は登場しない。二人の人生は、もう交わることがないのだ。


「だから、これからの僕の人生は未確定だ。目的を果たして、を救えるかどうか。その後、世界の破滅にどう立ち向かうのか」


 これから真夏へ向かう季節なのに、身体の中に寒気を感じ、思わずわが身を抱きしめる。


「僕はなぜ、コニルにもう会えないんだろう? 僕は目的を果たせるんだろうか? 果たせたなら、なんでコニルに会いに行けないんだろう?」


 将来への不安。

 普通なら先の事は分らない。当たり前のことだ。しかし、所々、虫食いのように可能性が潰されている。

 会いたかった過去の自分。自分たちの、最初の一人。ある意味、最も幸せな生涯を過ごせたコニル。

 なのに、会ってしまったことで、リルダの内には不安ばかりが増していく。


「それに、何だろう……すごく大事な事が思い出せない……気がする」


 それは、まだリルダは自覚できていない、転生の呪いだった。


「それでも、前に進まなきゃ」


 この世界のどこにも、逃げ場はない。今までの三回の人生が、それを証明している。

 前に進むしかない。そのために、今できることは。


「魔法の修行。まず、治癒魔法をマスターして、さらに全エレメンタルを同時に駆使できるようにならなくちゃ」


 意を決する。この先の人生がどうなろうと、運命に抗うために。

 指輪に魔力を込め、老師に転送魔法を願う。

 その魔法陣が消えた瞬間、午後からの雨を告げる湿った風が広場を吹き抜けていった。


* * *


 帰りの旅路は、のんびりと余裕を持った行程となった。このあたりの夏の気候は雨季で、日本の梅雨ほどではないが、結構な頻度で雨天となる。

 だから、屋根のある場所での宿泊が何よりも望ましい。


「ティナ、大きくなったなぁ」


 半年ぶりに実家で一晩過ごしたコニルは、家族と再会できた喜びを噛みしめていた。それこそ、馬車に揺れる尾てい骨の痛みも忘れるほど。


「”にーちゃ”だったのが、ちゃんと”にーちゃん”になってたものな」

「……子煩悩てのはよくあるが、妹煩悩てのか、それは」


 隣のゴメル隊長は、やや呆れ顔だ。

 何しろ、村を出てからのコニルは、ずっとこんな調子なのだから。


「まあ、今のうちだけだな。領都エランに戻ったら凄いことになるぞ」


 隊長の言葉に、コニルは現実に引き戻された。


「やっぱり、忙しくなるかな?」

「当然だ。メリッドの旦那、一世一代の大商いだぜ」


 何しろ、人気がうなぎ登りの絹糸の最高級品を、ほとんど独占して買い付けたのだ。これはつまり、メリッド商会が絹市場を支配すると言っても過言ではない。


「となると、また領主さまが出てくるんだろうなぁ」


 コニルはつぶやく。

 領都エランに城を構え、広大なキルカボシル領を収めるアトロエス家。帝国随一の穀倉地帯を擁する上に、隣接するメクレンス王国との絹貿易で潤っている。つまり、帝国の衣食住のうち、衣と食を握っているのだ。

 貴族としての位階こそ伯爵ではあるが、帝都でも侯爵と並ぶほどの影響力を持ち、今も息子の一人を帝都学園で学ばせているという。


「まぁ、価格調整のためにかなりの量を買い上げるんだろうよ、あの『やり手領主』様は」


 ゴメル隊長は商隊を運営するハスター運輸の幹部。言ってしまえばそこまでの地位だが、現地での交渉事を一任されるくらいの目利きであり、それだけに自分の扱った品の売れ行きにも目を光らせていた。


「買い上げたうえで、きちんと利益を上乗せして市場に流すんだから。領主さま、丸儲け」

「なーに、税金の一種だと思えば、安いものさ」


 買い取られる側にしても、不当に安く買いたたかれるわけではないから、その分は確実な収入となるはず。休憩の時に、コニルは春先に行われた「領主買い取り」を例にして試算してみた。


「えーと、あの時は半数を買い取って、価格は……」


 蝋板の上に書きだした数字を見て、ゴメル隊長が口笛を吹いた。


「ははっ! 領主さまの買い取り金額だけで、今回の買い付けがチャラだぜ」

「て事は、手元に残した分を売れば、丸々全額が利益……」


 とんでもない額で、頭がクラクラしてくる。


(こりゃ、ホントに大変なことになるな……)


 そう思うコニルだが、領都に戻ってすぐに、全然甘かったと知ることになるのだった。


* * *


(どうしてこうなった?)


 この世界に転生してから、もう何度そう思ったことか。


「えーと、あの……そんなに睨まないで欲しいな」

「……なんであんたがここにいるのよ」


 揺れる馬車の室内。そう、室内だ。

 幌馬車などではない。領主であるアトロエス家の家紋の入った、超豪華な馬車。その室内の対面シートに座るコニルは、シートの柔らかさとは関係なく、針のむしろ状態だった。


「なんでと言われましても、俺も『お召し』がかかったわけで……」


 そう弁解しても、向かいのシートの左端に座るミラカの視線は変わらない。あまりに視線が痛いので、救いを求めて右端のミアラに目を向ける。


「みてみて! こんどはね~、お兄ちゃんがかわいいの!」


 相変わらず無邪気な幼女だが、火に油を注いでるのに気が付いてない。姉妹二人の間に挟まれた「少女」が、真紅の前髪の影から威圧する。


「全部、お前が、悪い」

「酷いよ、そんな」

「お前が、目立つからだ!」


 理不尽にもほどがある。


(そもそも、お前がぼそぼそおたふく風邪なんかになるから、身代わりにされたんだ!)


 心の中で叫ぶ。口に出したら絶対、エクロとつかみ合いの大喧嘩になる。そうなればメリッド氏にも迷惑が行く。

 なので、必死に耐えるコニルであった。


(せめて、今回の謁見が終るまでは……)


 領都へ戻りメリッド氏へ報告した途端、大騒ぎとなった。ここまでは予想どおり。

 しかし、その翌日。領主の舘からの「お召し馬車」が来るなんてのは、想定外も良いところだった。しかも、同乗していたのが、この三姉弟……いや、三姉妹と来たものだ。

 迎えに来た使者の口上がまた、酷かった。


「今回の絹貿易の立役者、きっかけを作った三姉妹と、交易交渉を有利に進められた貢献者の徒弟を、領主さまが直々に表彰なさる。光栄に思うように」


 その挙句の針の筵であり、エクロに睨み殺されつつある現在なのだから、領主さまには殺意しか湧いてこない。


 ……その一方で、領主館ではこの謁見を心待ちにしている者たちが三名ほどいた。

 そう、あの面々である。

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