第34話 大障壁と肉
ユグドラシル大陸を東西に隔てる「魔の森」。その西側に沿って築かれた、魔力による万里の長城。魔物の侵入を許さぬ、虹色のカーテン。
「ほへー」
領都エランの城壁どころではない。コニルが思いっ切りのけぞって振り仰いでも、その上端は青空に溶け込んで全く見えないほどだ。
「どうだい? 印象的だろ?」
少し悪戯っぽく微笑むリルダ。しかし、コニルにはツッコミを返す余裕すらない。
「うん……凄いよこれ、マジで」
ブルブルと頭を振って、つい今しがたの魔力補充の光景を思い出すと、コニルは老師に質問した。
「あの……これに触ったらどうなります? 弾き飛ばされたり、燃え上がったりしちゃう?」
カラカラと笑うと、老師は答えた。
「何も起きんよ、お主ならな。この障壁が防ぐのは魔力の塊り……要するに魔石じゃ」
「はぁ……」
「どんな小さな魔石でも、この障壁は越えられん。つまり、体内にそれらを持つ、魔物や魔族じゃ」
恐る恐る、コニルは手を伸ばして大障壁に触れた。水面に小石を落としたような、かすかな波紋が広がるが、ただそれだけだ。
意を決して腕を突き入れると、何の抵抗もなくするりと抜けた。
「じゃあ、向こう側へ行っても?」
「それはお勧めしかねるのぅ。それに、そろそろ下がった方が良いぞ」
「え?」
警戒心まるで無しのコニルが、老師の方を振り返ったとたん。
「危ない!」
飛びついたリルダが引き倒した、すぐその上を――
「ガウッ!」
――飛びかかって来た巨大な
「わわわっ!」
半ばリルダに引きずられるように、コニルは引き下がる。
だが、魔物はまるで障壁に縫い止められたように、どんなに暴れても身動きが取れなくなっていた。
「久しぶりの獲物じゃの」
そう言うと、老師はスタスタと魔物から数メートル離れた障壁の側へ向かった。そこで障壁から突き出た魔物の頭部に向かって杖をかざす。
「風刃!」
半円形の刃が飛び、魔獣の頭部を切り落とした。断面から大量の赤い血が噴き出す。
尻餅をついたコニルめがけて。
「うわっ!」
すると、彼の背後に立ったリルダが叫ぶ。
「……障壁!」
コニルの正面に五芒星が現れ、血しぶきをはじき返した。
仰向けにひっくり返って、そんなリルダの姿を見上げる。
(カッコエエー! 惚れてまうやん)
なぜか怪しい関西弁になるほど、激しくドキがムネムネしてしまうのだった。
* * *
「さて。このように大障壁は、魔物を捕らえるトラップにもなっておるのじゃ」
「まるで、魔物ホイホイですね」
コニルがまぜっかえすと、老師は顔をしかめた。
「ホイホイと言うほど気楽でもないのじゃぞ。毒や炎を吐く魔獣や、大蛇のように長い尻尾を持つ場合は、かなりの危険を伴うからの」
「……ごめんなさい」
素直に謝り、しゅんとなる。
そんなコニルを見て、老師はカラカラと笑った。
「まぁ、生前のダイゴなんぞ、わざわざ魔の森に飛び込んでは魔物を引き連れて来て、ここで退治するなんて道楽にふけっておったがな」
「ど……道楽ですか」
英雄ダイゴ。かなり破天荒な人物だったらしい。
老師は倒した魔物の死骸を見て、白い顎鬚をしごいた。
「さてさて。このまま放置しても、他の魔物のエサになるだけじゃな。折角だから、下の工房に行って人手を呼ぶか」
「はい、では早速」
リルダが走り出すので、コニルも起き上がってあとを追った。
「人手を集めてどうするの?」
「あの魔物、ベアウルフの死骸を大障壁のこっち側に引っ張り込むんだよ」
「他の魔物に食べられないように?」
「そう。僕らが食べるためにね」
ぴた、とコニルの脚が止まったので、リルダは振り返った。
「コニル、どうしたの?」
「魔物を……食べる?」
「ベアウルフには毒がないし。赤身で美味しいよ」
そうか、とコニルは気が付いた。
この王国は南北に細長い。絹産業で潤っている代わりに、農業には適さない。特に、牧草地の面積が必要な牧畜は。
つまり、蚕の蛹を好んで食べるほど、タンパク質に飢えてるわけだ。穀物は保存がきくから輸入できても、新鮮な肉は貴重だ。
まして、老師たちは東方から魔の森を抜けて来た。道中、魔物の肉は手近なタンパク源だ。
「それに、お師匠さまたちが生まれた東の国では、犬肉を良く食べてたらしいし」
地球では中国があるあたり。
(こっちの世界でも、食文化は多様なのかな)
とりあえず、コニルは自分が食べるかどうかは棚上げして、工房へ急ぐことにした。
* * *
工房の男衆が集まり、魔物の死骸を大障壁のこちら側に引きこんだ。何人かで障壁を通り抜け、太くて長い尻尾や後ろ足を掴んで引っ張る。
その間、老師は油断なく魔の森の側を見張っていた。
「凄いな。こんなにたくさん、工房に人がいたっけ?」
「麓の村からも来てるみたい」
コニルとリルダは見学だ。さすがに、力仕事では六才児は戦力外なので。
魔物は胸元にある魔石で大障壁へ縫い止められてる。尻尾などを片側に引き寄せると、魔石を支点にしてぐるりと百八十度回る。そして、全員でエンヤコラと引くと、切断面から魔石がポロリと抜け落ちた。
それが落ちる地面には既に魔法陣が現れていて、魔石はそこにスッと飲み込まれた。
「ふむ。ベアウルフにしては上質な魔石じゃな。さぞ長生きしたんじゃろ」
老師がそうつぶやくと、掌の上の魔石は不意に消えた。宝物庫と呼ばれる魔法だそうだ。
(あの魔法も学びたい! 高価な商品を運ぶのに最適!)
どこまでも商人目線なコニルだった。
で、リルダはというと。魔物解体ショーをガン見してた。
英雄ダイゴが良く狩りをしたと言うだけあって、大障壁を制御する魔法陣のそばに、石畳の解体作業場が作られていた。そこに仰向けにされた魔物が置かれている。
「……よくあんなの見てられるなぁ」
「そりゃ、僕の前世はケイマルだもの」
冒険者を目指していたケイマル。その人生を全うしたなら、魔物を解体して食べるなんてこと、珍しくもなかっただろう。
「生きてるネズミの解剖だと辛いけど、死んでる動物なら食欲の方が勝るみたい」
「なるほどな……だから、魔物を食べるの平気なんだ」
(しかし、デカイお肉だよな)
解体中の細部は見たくないので、わざと視線をずらして周辺視野で眺めると、体長五メートルはある。尻尾まで含めたら十メートル。体重は一トンはありそうだ。
ベアウルフと呼ばれるだけあって、熊と狼のハイブリッドだ。狼の身体に熊の四肢。後ろ足で立って前脚の爪でも攻撃できるらしい。
(仮に半分がお肉になっても五百キロ。一人何キロ食うつもりなんだ?)
ざっと見渡すと、ここにいるのは二百人ほど。今日全部食べるなら、一人当たり二~三キロだ。
(どんだけ肉食なんですかっ!?)
とは言え、そうでもないのはニオイでわかった。
「く、臭っ!!」
「ああ、あっちで腸の中身絞り出してるからね」
もはや目にしたくないので、目を閉じて尋ねる。
「なんだってそんなこと……」
「もちろん、腸詰を作るためさ。よく洗って、くず肉を挽いたのを詰めて。ニルアナ村ではやらなかったっけ?」
「……たしか、十歳から」
そう。去年の秋ごろに、トニオが「豚の屠殺と腸詰作りを手伝った」と自慢してた。
「あっちでは塩漬け肉を作ってるね。うーん。でも、これから夏だからねぇ。お師匠さまに氷を沢山作ってもらわないと」
随分と大がかりな宴となりそうだ。
「リルダ、コニル」
老師が呼ぶので側へ行くと。
「夕餉をこちらで取るならば、コニルは宿にそう伝えた方が良いじゃろう」
「そうですね。じゃあ行ってまいります」
コニルの手をギュッと掴むと、二人の足元から魔法陣のゲートが上って行く。
いつもの王都広場に転移し、そこから隊商の宿泊している宿屋へ。中ではもう、今夜の宴の準備で大わらわだった。
「こんなに毎日、派手に飲み食いしてて大丈夫なのかな?」
少し、ゴメル隊長の肝臓が気の毒になるコニルだった。
(……で、ここで出る肉って、魔物の肉も入ってたりして)
さっきの解体ショーが脳裏に浮かんでしまう。
「あ、ゴメル隊長」
「おう、コニルか。今日は早いな」
「今日は賢者さまが獲物をしとめたので、向こうで宴にお呼ばれします。
隊長の片方の眉毛がぴくん、と上がった。
「獲物ってえと、もしかして魔物か?」
「はい。ベアウルフと言って――」
「なんだと!? 危険度C級の大物じゃねぇか!」
「お肉が沢山取れて、美味しいらしいです」
ゴメルは呆然とした。
「魔物を……食うだと?」
「はい」
「まったく、この国はとんでもねぇな」
ぱん、とコニルの背中を叩く。
「じゃあ、食って来い。今までそいつに食われた仲間の分まで!」
「はい!」
と言うわけで、「食って来るぞと勇ましく」コニルはリルダと共に老師の元へ戻ったのだった。
「ああっ! こ、この香りは!」
出迎えたのは、ジュージューと音を上げて焼かれる、香ばしい肉の匂いだった。
「さあ、たっぷりあるから食べなさい!」
ヘザーに山盛りの皿を渡され、コニルとリルダは草の上に座って食べ始めた。
思わずコニルは叫ぶ。
「なにこれ、めちゃウマ!」
確かに、赤身の牛肉そのもの。しかも、とれたて新鮮。ただ、味付けは塩が主で、香りつけのハーブで多少バリエーションが出るくらい。
「元日本人としては、醤油が欲しいなぁ」
「南の海沿いからは魚醤が入って来るけどね。結構高いし、独特の臭いがあるけど」
大障壁の側での肉の宴は夜遅くまで続いた。
が、満腹になったコニルは、良い子の寝る時間までにはリルダに宿へ送ってもらったのだった。
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