第33話 信仰と魔法

 勝手口から裏庭へ回ると、その隅に鮮やかな赤紫色をした花が咲いていた。真っ直ぐ上に伸びた茎から何段も放射状に花が付くので、遠目には赤紫の「つくしんぼ」のように見える。


「花びらが袋みたいになっているでしょ。この辺じゃ、『魔女の指ぬき』なんて呼ばれたりするんだ」

「へぇ。こんなに綺麗なのに」

「でも、花も葉も根も、猛毒だからね」

「げっ」

「強い薬草なんて、みんなそうだよ」


 そんなものか、とコニルは思った。


「しかし、君のお師匠さま、どこまでも欲の無い人なんだなぁ」

「どうして?」


 コニルは先ほどの会話についてリルダに話した。


「ふうん。お師匠さまらしいけど……でもあの方は、別の面ではもの凄く欲が深いよ」

「……もしかして、夜の方?」


 リルダにもの凄い目で睨まれたので、慌てて目を逸らす。


「例えば、僕が術式の発動を失敗すると、お師匠さまは逆に喜ぶんだ」

「おしおきだべ~?」


 またも睨まれた。


「まったく! コニルから見たお師匠さまは、偏屈で変人な老人だろうけど、僕にとっては命の恩人で親代わりなんだからね!」

「べ、別にそんなことは――」

「思ってる。しっかり覚えてるんだから」


 記憶を共有している以上、コニルの負けだった。


「ごめん……続けて」

「……でね、炎を出すつもりが、煙が出たりするんだ。これって普通なら、あり得ないんだよ」

「うーん……魔法の普通と言われましても」


 すると、リルダは腰から短杖ワンドを抜くと五芒星を切り、その先端に炎を灯した。


「見て。魔法で出した炎からは、煙なんて出ないでしょ?」

「なるほど」


 炎を消して短杖をしまうと、リルダは話しを続けた。


「でね。お師匠さまはその点に興味を持って、夢中で調べるんだ。それこそ寝食を忘れてね」

「ふーん……つまり、知識欲の方か」


 コニルの言葉にうなずくと、さらに「こんなこともあった」と話を続けた。


「去年の春、麓の村で流行り病が起きたんだ。お師匠さまはすぐ駆け付けたけど、僕はまだ本格的に修行を始めたばかりだったから、留守番をさせられた」


 ため息をついて、続ける。


「お師匠さまは夜中に帰ってきたけど、すごく意気消沈していた。手遅れだったらしい。それでも、明け方近くまで治療法の改良を考えていたようで、僕が起きた時には大量のメモ書きに埋もれるようにして眠ってたんだ」

「なるほどなぁ。死んじまったら、魔法じゃどうしようもないか」


 コニルがうなずくと、リルダも頷き返した。


「……あ、折角だから、お参りしとこうかな」


 そういうと、リルダはすぐそばの小さなほこらに向き直った。中を覗くと、三日月を背景に立つ男性の粗削りな彫像が納まっていた。男性像の方は黒く塗られている。


「闇の神フェブルウスの像だよ。と言っても、僕が勝手に彫ったんだけど」

「……確か、鎮魂の神だっけ?」


 随分と前に、ニオールとソリアンの神官夫妻に教えてもらったことを思い出す。


「闇とは光のない状態だから、該当するエレメンタルが存在しない、だったな」

「そう。どんなに優秀な魔法使いでも……たとえお師匠さまでも、死んでしまった人の魂や、残された人の悲しみを癒す術式なんて組めない。だからそこだけは、神々にゆだねてすがるしかないんだ」


 そう言うと、リルダは六芒星を一筆書きして、静かに黙祷した。

 闇の神を主神として崇める印の切り方だ。コニルも正三角形二つの略式でそれに倣う。


「僕はね、コニル。最近、こう思うようになったんだ」


 祈り終わると、リルダは像の方を向いたまま話し始めた。


「この世に滅亡をもたらす『神魔の対立』を防ぐには、これしかないんじゃないかと」


 リルダはコニルの目を見て言った。


「信仰と魔法の共存こそが」


 その真紅に近い瞳から、コニルは目を逸らすことができなかった。


 ソリアンやニオール師に親しく学んではいるが、信仰と言うとピンと来ないコニルだった。しかし、リルダ――四度目の人生を生きてる自分は、真剣に闇の神を信仰している。像まで自ら彫って。

 それはつまり、ここまでの人生で身近な人の死を何度も体験したからなのだろう。


(当然だよな、この世界は滅びに向かっているんだから)


 振り仰ぐのは初夏の青空。どこまでも平和でのどかな、桑畑に囲まれた裏庭。

 どこにもそんな兆候は見て取れないのに、ゆっくりとは迫っているはずなのだ。


* * *


 翌日。

 養蚕工房の見学の方は、この後は繭の様子を見守るだけなので、しばらく休み。

 そこで、午前中はリルダの調薬の実習の方を見学。作ったのは昨日と同じ強心剤。何でも、「常に同じ配合率で作れるようになる」のが大事らしい。

 そして、いつものようにお昼を貰いに工房へ。


(なあリルダ。お師匠さんって、自炊はしないの?)


 老師のペースに合わせて坂を登りながら、転生クーポンを出してリルダに話しかけた。


(僕が拾われる前……とうか、あの工房が出来るまではやってたらしいけど。今じゃ二日酔いの薬を調合するぐらいだね)


 見るからにものぐさな感じのジジイだものな、などと思ってると。


(聞こえてるからね)


 またもリルダに睨まれた。


(しっかし、お前ってお師匠さんのこと好きだね)

(当然さ。でも、一番は……)


 リルダは不意に黙り込んだ。


(一番は? もしかして俺?)

(……そう、君――)

(ええっ?)


 リルダを見ると、顔を背けてるが首筋まで真っ赤だった。


(――の家族)

(……なんだ、そうか)


 ほっとしたと言うか、ちょっとガッカリな――。


 ――いや、ガッカリって何だよ!?


(だから、聞こえてるって)

(……さいですか)


 ペシペシと自分の頬を叩いて、リルダは言った。


(今まで繰り返した人生では、コニルだけなんだよ。愛情にあふれた両親の下で、姉弟仲良く暮らせたのは)


 気が付くと、リルダはコニルの手を握っていた。


(僕は孤児だし、ケイマルは一人っ子で親はスパルタ。その前の……も、兄弟仲は良くなかったし)


 コニルの脳裏に、リルダが語るケイマルとしての日々が流れ込んだ。


 ――五歳の幼児を下水道に突き落として、巨大ネズミを退治させるって、どんだけ。


 果てしなくスパルタだ。


(それでも……いや、それだからこそさ。君が何度も思い起こすあのイメージ……収穫祭のイメージが、強烈に魂に刻み込まれてるんだ)


 その途端に、コニルの脳裏に再生されるあの光景。奉納の舞を踊るケラル。その笑顔と髪飾りの輝き。「にーちゃ、にーちゃ」とまとわりつくティナの声。


「酷いよ、やめてよ。不意打ちだよ……」


 気が付くと、隣でリルダが号泣していた。


「ご、ごめん。とっさに止まらなくて……」


 詫びるリルダに対してどうしていいかわからず、コニルは抱きしめた。


「一体、どうしたんじゃお主ら?」


 振り返った老師は呆気にとられる。


「ああ、すみません。俺が故郷の家族の話をしたら……」


 そんなコニルの弁明は、老師には説得力があったようだ。


「さもありなん、じゃな。だったら今すぐ飯じゃ」


 ずんずんと坂を登り、工房の入り口で手招きする。


「まずは飯を食う事。人はな、満腹になっても悲嘆に暮れていられるようには、出来ておらんのじゃ」


 それは人生の真実かもしれないが、どう考えてもカッコよくないな。

 そう思わざるを得ないコニルだった。


* * *


 昼食では幸いにして、まだ蛹の煮つけは出てこなかった。


「繭の処理が終わる来月中ごろからは出るから、楽しみにね」


 工房の女主人、ヘザーはそう言って微笑んだ。


「は、はい……」


 コニルの返す微笑みは、どうしても引きつってしまう。

 とりあえず、蛹ナシの平凡な食事はつつがなく終わった。いや、例外が。


「にーちゃ、にーちゃ」


 なぜかコニルがモテモテである。ヘザーの娘、アディラに。ピンクの髪に茶色の瞳で、外見は全く違うのに、妹のティナの一つ下だからかイメージが被る。


(あれから半年。ティナも大きくなったかな……)


 膝に載せてあやしながらも、思いは家族へと向かう。

 と、老師が声を上げた。


「さて。今日は空ノ日じゃったな」

「はい」


 この世界の一週間は六日、六大神に捧げられている。

 光ノ日、武ノ日、海ノ日、空ノ日、地ノ日、闇ノ日。


「今日、何かあるのか?」


 コニルの問いかけに、リルダは真面目くさった顔で答えた。


「三日に一度、光と空ノ日は、お師匠さまの大切なお役目がある日なんだ」

「……まあ、これのために国から食い扶持を貰ってるわけじゃ」


(食い扶持って、食事は工房ここにたかりっぱなしなんじゃ?)


 そんなコニルの思いをよそに、よっこらせ、と老師は立ち上がる。


「では、参るかの」

「はい、お師匠さま」


 リルダはコニルに向かって、満面の笑みで言った。


「期待していいよ。生涯の思い出になるから」


 大げさだなぁ、と思いつつも、コニルは膝からアディラを卸すと、二人の後について工房の食堂を後にした。

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