第32話 蚕上げと調薬
「本当だ。透明になってる」
掌の上で活発に動く蚕を見つめて、コニルはつぶやいた。
既にここの蚕たちは成長しきっていて、あとは繭を作るだけとなっていた。すると、白かった皮膚が透明になり、身体の中が透けて見えるため、全体は飴色に変わる。
コニルはあれからほぼ毎日、この養蚕工房を訪れて見学している。最初は触れなかった蚕にも慣れてきて、むしろなんとなく可愛いとすら思えて来たところだ。
「それに、なんか痩せちゃった?」
まだ白いままの蚕と見比べて、コニルは傍らのヘザーに尋ねた。
「ここまでくると、もう桑の葉を食べなくなるんだよ。お腹の中を空っぽにするためにね」
こちらは蛹になるための準備らしい。
「そして、繭を作る場所を探し始めるんだ」
そのために、活発に動き回るらしい。蚕たちのいるテーブルには、天井から繭車がいくつも降ろされていた。蚕たちは繭車を必死に登って行く。
コニルは、掌の上の蚕を繭車のすぐそばに戻してやった。
やがて全ての蚕が繭車に取り付くと、ヘザーが壁際の作業者に声をかけた。
「よーし、五十一番を上げて」
作業員がハンドルを回すと、繭車がゆっくりと上がって行く。同時に軸を中心にして回りだし、蚕が多くいる上部が徐々に下がって行く。
それにつれて、ぼとぼとと何匹かテーブルに落ちてしまうので、コニルはヘザーと一緒に拾い上げ、繭車に戻してやった。
「これでしばらくすれば、繭を作り始めるよ。あんなふうにね」
隣に吊るされた繭車では、既に繭が形を成し始めていた。まだ繭の壁が薄いため、中で糸を吐いている蚕が透けて見える。
「この繭、出来上がったら煮ちゃうんだっけ?」
「そう。でも、繭の中の蚕が蛹になりきるまで待つからね」
そして、繭は生糸に、蛹は食用になる。先日、コニルが涙目になって食べたものだ。
「麓の村の工房では生糸のままで出荷してるけど、うちはさらに精製して
「精製って?」
ヘザーはしばらく「うーん」と悩んでいたが、「賢者さまもああ言ってるし、いいか」とうなずいた。
「生糸のままだとごわごわするんだ。灰汁を入れた熱湯の中に浸けると、そのごわごわが取れて光沢のあるしなやかな練糸になるんだよ」
「なるほどなぁ」
こちらでは、絹糸と言うと生糸も練糸も含むらしい。
と言う事は、帝国で商人たちが絹糸と呼んでいるものは練糸のことらしい。ちょっとした言葉の行き違いだ。
「まあ、一番大切なのは、不良繭を選別する段階だけどね。こればっかりは、長年の経験だけど」
「へぇー」
コニルは背後のリルダを振り返ると聞いてみた。
「君は養蚕について、ここまで聞いてた?」
「まぁね、卵から生まれる所から全部、繰り返し見てるし」
「そっか。さすがにそこまでここには居られないよなぁ」
一応、今日の段階で見れるものは全部見せてもらったので、コニルはリルダと共に老師の小屋へと坂を下って行った。
「今日はこの後、魔法の勉強?」
「うん。治癒魔法の実践」
コニルは顔をしかめた。
「うげー、またネズミの解剖?」
「違うよ、そっちは外科。今日のは内科の方だから、魔法薬の調合のはず」
「ああ、それなら面白いかな」
養蚕の事は秘密なので、宿屋に戻ってゴメル隊長に報告するのは、もっぱらリルダの学ぶ魔法の事だった。もっとも、ゴメルはすぐに興味を無くしていて、返ってくるのは生返事ばかりだが。
「なにより、商売にできそうだし」
リルダが学んでいるのは魔法薬で、製造の過程で魔法による錬成が入る。しかし、原料となる薬草などは一般的なものがほとんどだ。
そして錬成の工程を省いても、ほとんどの薬はそこそこの効能がある。
「薬やその原料を卸せるようになったら、あの『癒しの小道』のお姉さんたちと仲良くなれるかなぁ」
そんな夢をニヘラ~と語るコニルを、リルダはジト目で見る。
「な、何だよ良いじゃんか!」
「構わないけどね。ただ、恋人ができた時に、そんな願いを持ってたことは黒歴史になるから」
ピタリ、とコニルの脚が止まった。
「恋人? 俺に? いつ?」
「……禁忌だから教えられない」
「ずりーな、教えろよ」
「声が出なくなるんだから無理。あれ、結構苦しいんだよ」
ちぇっ、とコニルは残念がる。
「……でもね」
リルダはつぶやくように言った。
「本当に彼女は素敵なんだから」
その一言でコニルは満面の笑みになり、がっしとリルダを抱きしめた。
「ありがとうリルダ! 愛してる!」
「や、やめてよ、そう言う冗談は!」
必死に振りほどくリルダ。心なしか、頬が赤い。
「何だよもー、ノリが悪いぞ」
「そんなもの、三回の転生ですっかり抜け落ちたよ!」
そうこうする内に、二人は小屋の前まで戻って来た。
「ただ今戻りました、お師匠さま」
「うむ、戻ったか。コニルも一緒じゃな」
「はい」
デンペルトン師は部屋の中央の作業台に向かって座り、かなり大判の書籍のページを繰っていた。
「よし、これが良いじゃろう」
そういうと老師は立ち上がり、開いたページをリルダに見せた。
「まずは用意する材料を確認して、棚から取って来て揃えなさい」
「はい」
コニルも脇からページを覗きこむ。薬の素材や分量、調合の手順などが書かれている。ようするに
ページのタイトルを読み上げる。
「えーと、強心剤?」
「そうじゃ。心ノ臓が弱って酷い貧血になった時に使う。もっとも、調合や錬成より、使い方の方が大事なんじゃがの」
「まずはタギリジスの葉、それからトロパノスの粉末……」
リルダが棚から材料を一つ一つ取って来ると、次第に作業台の上が手狭になって行く。
「少し場所を開けるか」
老師がそう言って手を伸ばすと、触れた器具や薬瓶などがフッと消えて行く。もしや、と思って壁の棚を振り返ると、空いている隙間にそれらが現れていく。
(くぅ~、この魔法、ぜひ習いたい!)
メリッド商会の倉庫を、品物を抱えて整理整頓で走り回る苦労を思い出す。こんな「片付け魔法」があれば無敵だ。
(でも、時間がかかるんだろうなぁ……)
リルダもまだ習えないのだから、十日やそこらで覚えられるはずが無い。高根の花だ。
そんなことを考えていると、作業台の上には調合する順番どおりに材料や道具が並べられていた。
(おっと、メモっておかなきゃ)
それらの名前と分量を、コニルは蝋板に書き写していく。
その間にも、リルダは手順書どおりに材料をすりつぶし、分量を量って鍋で煎じ、目の細かい布で濾しとるなどしていく。
最終的にガラス瓶の中に注ぎ込まれたのは、やや緑色を帯びた透明な液体だった。
「とりあえず、薬と呼べる物にはなったようじゃな。では、最後の工程、錬成じゃ」
「はい」
リルダは腰帯から
魔法が発動すると、ガラス瓶の液体が青く輝きだし、しばらくすると消えた。
「よし。それでは鑑定してみるかの」
老師が呪文を唱えると、空中に様々な成分が数字で描かれて行った。
(おおっ! これもメモらないと!)
自分にはさっぱりわからないが、材料のメモと一緒に渡せば、薬剤師のおねーさんならわかるはず。
「うむ、成分表に問題はないようじゃな。リルダ、余熱が取れるのを待って、蓋をするように。あと、片づけを」
「はい、お師匠さま」
満足げな老師に、コニルはおずおずと尋ねた。
「あの、最後の錬成には、どんな効果があったんですか?」
「うむ。主に、副作用を抑えるためのものじゃな」
「副作用って……?」
「本来の効能は心ノ臓の拍動を強めるものじゃが、負担がかかりすぎると逆に止まってしまうことがある。そうなりかけた時に効果を抑える術式を組んでおくわけじゃ」
なるほどな、とコニルは納得した。そこで、ふと気が付く。
「それじゃ、錬成がなくてもこの薬自体は作れます?」
「そうさの、これの場合はあくまでも使いやすくする為じゃからの」
内心、ガッツポーズのコニル。
(なら、『癒しの小道』のおねーさんにも調合できる!)
……と喜んだものの、はたと気が付く。
「あのあの、このレシピって、老師さまのオリジナルですか?」
「うむ? まあ、一般的なものに多少材料を加えて、配合の割合も変えておるがの」
「じゃあ、これを俺が他の人に教えたら……」
「なんじゃ? 好きにすれば良かろう」
「あの、権利を主張するとか……」
老師は白い顎鬚をしごいて言った。
「それはあれかの。薬の製造法を秘匿して、値を釣り上げるようなことじゃろうか?」
「……ええ」
「馬鹿げとる。知識は公開し、誰もがいつでも使えるようにすべきじゃ」
何とも、思いっ切り開明的な賢者さまだ。
(オマケに、商売っ気まるで無し。大商人を目指す俺とは正反対だな)
同じ隠居するにも、本来なら王都にデカイ屋敷を立てて、贅沢三昧できる身分なのだ。それがこんな山奥に暮らして、蚕の蛹をつまみに桑の実で作った酒を飲むのが唯一の娯楽、という暮らしに満足している。
「片付け終わりました、お師匠さま」
リルダが告げると、作業台の上を見回して老師はうなずいた。
「よし、本日はここまで。良い機会じゃ、タギリジスをコニルに見せてやりなさい」
「はい」
リルダはコニルを手招きした。
「こっち。ちょうど今、花を付けてるよ」
連れ立って勝手口に向かう二人を見て、ふと老師は気づいた。
(幼いころの、わしとダイゴに重なるんじゃな……)
何年も前に看取った親友の事を思い起こす。あの血沸き肉躍る冒険の日々を。
(……おそらく、あのコニルと言う少年の人生は、それ以上の波乱万丈になるんじゃろうて)
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