第31話 【バトロー】決意の時
「余とリシェルが許嫁となったのは、余が三歳、彼女が五歳の時だったようだ。……ようだ、というのは幼すぎて記憶が曖昧だからなのだが」
静かな声で話し出すバーセル。
「リシェルは……気立ての良い子だった。あくまでも、貴族の子女にしては、という意味だが」
随分な評価だとバトローは思うが、事実そうなのかもしれない。
「実際、おやつを横取りされたり、会食の際に余の皿にフォークを突っ込まれたりはしたが、陰湿ないじめなどは一切なかった」
「……陰湿でなくても、それは相当、問題があると思うんだが」
バトローの疑問にバーセルもうなずいた。
「だが、そもそも菓子も料理もふんだんにある身分なのだから、あれは愛情表現の一種なのだと思う」
そんなものか、と思うバトローだったが。
「まぁ、それだけ食欲が旺盛なので、彼女は……かなり大柄だった。同年齢の女子と比べても。余と比べると、身長は十センチ、体重は倍くらいあったろう」
「ば……倍!?」
驚くバトロー。だが、バーセルは
「当時の余は好き嫌いが激しく、かなり痩せてたらしい。それを考慮すると、二歳年上で倍というのは、さほど極端ではない」
「そういうもんかねぇ……」
釈然としないが、バーセル本人がそう言うのだから、あえて突っ込むのはやめておく。
「とにかく、リシェルは良く食べ、良く笑い、良くふざける少女だった。食が細く、滅多に笑わず、おとなしい事だけが取り柄の余とは正反対だった。だから正直、余は彼女に憧れていた。羨ましかった、とも言えるかもしれない……」
その口調に哀愁を感じて、バトローは尋ねた。
「もしかして、そのリシェルって娘――」
「ああ……昨年の春、一緒の茶会で初物のイチゴのタルトが出た時だった。前世の記憶が覚醒していた余は、毒殺を懸念して侍従が毒味をするのを待っていたが、彼女は待ち切れずに一口食べてしまったのだ。取り分ける前の皿から……」
なんてこったい、とバトローは胸中に毒づいた。
「瞬時の出来事で、止める暇もなかった。その場で彼女は血を吐いて倒れ、神官や治癒魔導士が駆け付ける前に息を引き取った。余は……余は治癒魔法を使うこともできず、ただ呆然自失していた……」
バーセルは目を閉じ、上を向いた。まるで、流れ落ちようとする涙を留めるように。
「そもそも、病弱な余が帝位を継ぐなど誰も思っていなかったから、暗殺への警戒も毒味も、形だけの物だった。しかし、記憶が覚醒してから余が頭角を現すと、兄上……第一皇太子の態度が急速に硬化していくのがわかった。そう、わかっていたのだ……」
ほぅ、と息をつくと、彼はバトローの方に顔を向け、目を開いた。かろうじて涙は流れなかったが、瞳は潤んでいた。
「あの時、余がもう少し自重していれば……せめて、毒味などの暗殺防止の体制が出来るまで……彼女は死なずに済んだであろう。余が……死なせたのも同然だ」
「ちげーよ!」
思わず出た声の大きさに、バトロー自身が驚いた。それでも、構わずに続ける。
「違うだろ? 悪いのは毒を盛ったヤツラだ。お前が望んだわけじゃない! 彼女の死を悼むなら、お前にできることをしろよ!」
カフェの音の一切が消えうせた。周囲の視線が集中しているのが、肌でわかる。
その中で、バーセルの声が静かに響いた。
「そうだな。余に何が出来るか、何が彼女への手向けとなるのか、よく考えてみよう。今度こそ、慎重にな」
その時、彼の手に転生クーポンが現れた。残り三枚になったものが。
そして、他の二人も金色のクーポンを手元に出す。
(バーセル、お前その顔……)
(背後のご令嬢たちには、見せない方がよろしいでしょうね)
思わず二人が念話で漏らすほど、バーセルの顔には六才児が絶対に浮かべてはならない、凶悪な笑みが浮かんでいた。
(余は……いや、オレはここに誓う。必ずや兄上を……第一皇太子を追い落として……いや、亡き者として、帝位を奪い取ることを! そうして、魔王とタイマンで交渉し、何としてでも世界の滅亡を防いでやる。それが、それこそが、殺されたリシェルへ送れる、唯一の手向けだ)
三人は目を見かわし、うなずいた。
そしてバーセルは、にこやかに二人に告げた。
「では、そろそろ次の教室へ向かうとするか」
そう言うと、穏やかな涼しい笑みを浮かべてバーセルは席を立った。
あくまでも、表面上は。
バーセルの後ろを歩くバトローは、沈鬱な面持ちで考えていた。
(残酷なもんだな。今、俺がリシェルの事を聞かされたって事は、確定してしまったわけだから)
咄嗟のことで動けなかった。そうバーセルは言ったが、実際にはその時に思い出したのに違いない。バトローとしてたった今聞かされたことが起こったのだと。
おそらく、その瞬間まで思い出すことを妨げられたのだ。
(これは……転生の呪いなのか……)
* * *
この昼休みの「バトロー罵倒事件」は、その日のうちに全校の女子へセンセーショナルに広まった。
「騎士団長である伯爵家の子息が、皇太子を衆目の下で面罵!」
「原因は先日の決闘騒ぎ?」
「漏れ聞こえた『彼女』の正体とは?」
などなど。だが、不思議なほど「彼女」であるリシェル嬢への言及がない。
数日後のカフェで、その話題が出た。
「当然であろう。彼女が余の許嫁であったことは――いや、彼女の存在そのものが、秘匿され隠蔽され、忘却を強制されているのだから」
「それって……ようするに……」
「ああ。ヤツラのやり口さ」
真実から目を逸らしたかったら、よく似た別の情報を流しこめばいい。それが煽情的であれば、なおの事。
この点、噂話よりも学業や遊びに夢中な男子の方が、よほど「健全」なのかもしれない。貴族社会への適応度としては、かなり厳しいが……。
「それに、余はある意味、彼女によって守られておるからな」
珍しく神妙な声のバーセル。
「何だい? リシェルの魂か何かが?」
思わずファンタジー的なものを連想してしまったバトローだが。
「いや。その一件以来、縁談が全く来なくなったのだ。どこの親も、大事な娘が暗殺の巻き添えになっては堪らんからな」
「あー、守られてるって、そっち方面ね」
ちょっとあきれ顔のバトローだが、ライサスは真顔でうなずいた。
「それを言うなら、私たちもですよ」
「俺たちも?」
キョトンとするバトローに、丁寧に言い含める。
「入学以来、遠巻きにするだけで直接攻略に来る女子がいないでしょう? おそらく、バーセルと一緒にいるリスクを考えて、親が止めてるからです」
「何とまぁ……だけどバーセル、そのリスクが減るから、お前は入学したんじゃないのか?」
バトローにうなずくバーセル。
「あくまでも、王宮内に比べたら、と言うだけの違いだ。あそこは兄上の息がかかった者だらけだからな」
「……王宮って言うより伏魔殿だな、そりゃ」
ライサスがため息交じりに。
「ここだって、差し入れなどの形で毒を盛られる可能性は、ゼロではありませんからね。侍従らにおいそれと毒味をさせるわけにもいきませんし」
原則として、学園内では身分の差など無いことになっている。しかし、個室の広さと付き人の人数には差が現れていた。皇族のバーセルは五人、伯爵令息のライサスは三人。
バトローも本来なら二、三人は付けられるはずだが、「侍従なんて戦場に連れていけるか」と断ってる。そのせいで、彼だけ下級貴族の宿舎なのだが、本人は気にかけていない。
「ギリギリの少人数だからな。一人欠けても回らなくなる。毒味などで失うわけにはいかん」
代わりの侍従も信頼できる相手でないと困るから、人選に時間がかかる。今いる侍従はどれも皆、貴重な人材だ。
「まぁ、王宮にいた時には、怪しい侍従や侍女から毒味役を選んでたがな」
毒味役に指名された者がうろたえて、暗殺が発覚したこともあった。
「とにかく、今はまだ雌伏の時だ。余はこのまま生徒らを観察し、派閥や力関係を探って行く。子供の交友範囲は親同士の関係に基づいているからな」
バーセルが今後の方針を示すと、ライサスが続いた。
「なら、私は学業二周目の利点を活かして、学年主席を目指しましょう」
「学業かぁ……実技の方がありがてぇんだがなぁ」
前世の魔法知識はあるものの、着実に脳筋として成長しているバトロー。
「苦手な科目は教えてあげますから、頑張ってください」
「ああ、助かるよ」
そこで、バトローの中に疑問がわく。
(来世の自分に教わったことを、生まれ変わった自分が前世の自分に教える……じゃ、最初の知識って、一体どこから?)
これもパラドックスではあるが、別に何も破綻しないのだから気にしても仕方がない。
「……そうだな。じゃあ俺はそこそこの成績を取って、五年間みっちり鍛錬して、高等科の騎士課程で主席狙うわ」
バトローも目標を明確にしたところで、バーセルがまとめた。
「よし。高等科卒業と同時に、行動開始だ」
そこでバトローが指摘する。
「卒業の年の夏に、あれがあるぜ」
コニルから始まる全ての人生を貫く、最大のイベント。
バーセルがうなずく。
「もちろん。最大限に利用させてもらうさ」
思いっ切り悪い顔で微笑む来世の自分に、バトローは背筋が寒くなった。
一方、その頃コニルはというと……。
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