第29話 商談と休暇と
コニルが工房を一通り案内してもらい、食堂に戻ってみると。
「コニル、そろそろ戻らないと。もうじき
「あ、いけね!」
宿屋が開いて、チェックインできる時刻だ。そうなると広場にいる商隊の馬車が移動してしまうから、合流するのが面倒になる。
「お師匠さま、お願いできますか?」
戻るには、師匠の転移魔法が必要だ。
「うむ。リルダ、お前も一緒に行くがよい」
「僕もですか?」
「コニルの宿屋を知っておった方が良かろう」
と言う事は、この先もコニルが王都にいる間は、ここへ招いて良い、と許しが出たわけだ。
「ありがとうございます、お師匠さま!」
「よいよい。ほれ二人とも、もっと寄り添いなさい。手をつなぐともっと良い」
リルダが身を寄せて来て、コニルの手をギュッと掴んだ。
(ああ……これが女の子だったらなぁ)
そんなコニルとは裏腹に、リルダは別な意味で困惑していた。
前世の自分が見聞きした通りに、トレースしてしまう。これは、「起きてしまったことは変えられない」というルールだ。
前世のケイマルでも、その前でも体験した事だが、リルダとしての今生では、感情までが勝手に動く。
(コニルへの……彼だった時の生涯への思い入れが、こんなに強いとは……)
それはもはや、恋に近い感情だった。
そんな二人の胸中などにお構いなく、老師はリルダに向けて何かを放った。受け止めてみると、小さな魔石のついた指輪だった。
「帰る時にはその魔石に魔力を少し込めればよい」
「はい、わかりました」
リルダが指輪をはめると、老師は呪文を唱えた。輝く五芒星の魔法陣が現れ、二人の身体を王都へと送り込む。
* * *
「あ、ゴメルさん!」
隊商の荷馬車は、まだ広場にいた。そこにはゴメル隊長も。手を振って駆け寄るコニルを追って、リルダも走る。
「おう、戻ったか。しかしコニル、王都は初めてのはずなのに、いつの間にこんな彼女をこさえたんだ?」
すると、リルダがフードを取って抗議した。
「僕、名前はリルダと言いますが、男です。」
「あ……ああ、そうかい」
戸惑うゴメルに向かって、さらに続ける。
「コニルとは、ニルアナ村で幼馴染でした。去年、村を訪れた師匠に弟子入りして、こっちに来たんです」
リルダの話を聞いて、コニルは「咄嗟によく話を作れるな」と感心した。
そして、声をかける。
「えーと、ゴメルさん、宿はもう決まったの?」
「ん? ああ。今から移動するところだ。早く乗れ」
そこにリルダが。
「あの、僕もご一緒して良いですか?」
「うーん……まぁ、こっちにいる間、遊びに来るのも良いだろう」
ゴメルの許可を得て、リルダは荷台に座るコニルの隣へ。
「コニル、ちょっといい?」
そう言うと、顔を寄せて来た。
「な、何?」
男で、しかも来世の自分だと分ってても、なぜかドキドキしてしまう。そんなコニルの耳元に、リルダはささやいた。
「養蚕のこと、絶対に秘密だからね」
最重要の国家機密だ。漏らしたらどんなことになるか。
コニルもリルダの耳にささやく。
「大丈夫。絶対に漏らさないから」
すると、御者台の方からゴメルの声が。
「こら、お前らコソコソ何やってやがる!」
二人は顔を見合わせてクスッと笑うと、同時に答えた。
「「ナイショ!」」
ふん、と鼻を鳴らすとゴメルは声を上げた。
「よし、馬車を出せ!」
* * *
商隊が泊まる宿は、かなり大きいものだった。
二頭立ての馬車五台に二人ずつ乗り、護衛の騎馬が三騎。十三人と十三頭の大所帯だから、仕方がない。
しかも、全員が個室だ。
「え、俺も?」
驚くコニル。半人前の徒弟だから、てっきり誰かと相部屋だと思っていたのだが。
「往きが強行軍だったからな。その分浮いた宿泊費を使わねえ手はねえさ」
必要経費としての路銀は、余ったら返す契約らしい。
(一人部屋ってことは、夜になったらアレが出来る!)
アレとは決して、男の子の大好きなソレではない。何しろ、身体はまだ六才児だ。
コニルは傍らのリルダにささやいた。
「
「そうだね。でも、そんなに話す事あるかな?」
部屋に荷物を置いてベッドに並んで座り、あれこれ話す。
「お師匠さまに頼めば、毎日でもこっちに来れると思うんだ」
「そうか。じゃあ、一緒に色々見て回れるな」
「うん。とは言っても、僕も王都に来たのは今日が初めてだから、案内するわけにもいかないけど……」
すると、部屋の扉がノックされた。コニルが扉を開けると、ゴメル隊長だった。
「俺はこれから絹糸の予約買い付けに行く。お前らはどうする?」
二人は口々に答えた。
「俺、行きます!」
「僕も、興味あります」
と言うわけで、ゴメルは二人を連れて商業ギルドの商館へ向かった。
* * *
「お待たせしました、ゴメル隊長」
景福縫製の商談スペースを思わせる、贅を凝らした部屋で待つことしばし。現れたのはでっぷり太った担当官だった。
「今年は随分と早いお付きで。おかげで慌ただしくしてまして」
「ああ。何と言うか、絹の需要がべらぼうに上がっちまってな」
そこで、担当官はゴメルの隣に座るの子供らに目を向けた。
「で、そちらの二人は?」
訝しげなのも当然で、こんな商談に子連れなど普通ならありえない。
ゴメル隊長は、コニルの肩に手を置いて答えた。
「コイツの名はコニル。メリッド商会の秘蔵っ子でな、この歳で読み書きも計算も完璧だ。俺らがここへ一番乗りできたのも、コイツが旅の行程をみっちり計算してくれたからだ」
担当官は「ほほぅ」と感心したが、続けてリルダに目を止める。
「で、そちらの娘は?」
ゴメルが口を開く前に、リルダは立ち上がって一礼した。
「リルダと申します。ちなみに、男です」
被っていたフードを下ろし、短くした髪を見せる。
「見ての通り、魔術師の見習いです。師匠に見聞を広めるように言われ、同行させていただきました」
ふむ、と担当官は二重顎に手を添えてしばらく考え、問いただした。
「ではリルダとやら。そなたの師匠とは、どなたかな?」
「デンペルトン師です」
リルダの即答に、担当官の両目が大きく見開かれた。
「まさか……あの大賢者デンペルトン?」
「はい。その呼び名は、本人が嫌がりますが……」
ほう、と息をついて担当官は額の汗を拭った。
「なるほど。それなら同席もかまいません」
そう答えると、彼は声を低めて続けた。
「あの……先ほどのご無礼は……」
「気にしていませんから、ご心配なく」
そうした会話を聞きながら、ゴメルも変な汗をかいていた。思わずコニルにささやく。
「おい、コニル。なんだこのリルダって。どう見たって聞いたって、六才児の会話じゃねえぞ」
「まぁ、それだから俺と仲良しなんだけどね」
「お前の村は何か? 飲むと頭が良くなる泉でもあるのか?」
「そんなの無いよ。ただの偶然」
しょっぱなが色々とゴタついたが、商談そのものはスムーズに進んだ。そして見事ゴメルの商隊は、最上級の絹糸を希望の価格で予約することができた。
この契約さえあれば、あとから他の商隊がどれだけ値を釣り上げても、今の価格で購入できる。品切れもない。
商売でも何でも、一位が利益を総取りする。二位ではダメなのだ。
「よーし。これであとは出荷を待つだけだ」
ギルドの建物を出ると、ゴメルは思いっ切り伸びをした。
「ま、あとは細々した書類仕事だ。あまり見る所もないだろう」
足元の子供らを見下ろして。
「好きにしていいぞ。王都の見物とか」
すると、リルダが。
「なら、うちでお昼を食べないか?」
「え、いいの?」
「うん。どうしても君に食べて欲しいものがあるんだ」
そう。アレである。
「へぇ。それって、美味しいの?」
「……少なくとも、この国でなきゃ食べられないものだね」
すると、コニルは目を輝かせた。
「食べる! 絶対、食べてみる!」
「じゃ、戻ろうか」
リルダが指輪に魔力を込めると、魔石が輝きだした。それが消えると、チカチカと光った。老師の返事だろう。
すぐに足元に魔法陣が現れ、二人は老師のいる小屋へ戻った。
「良いころ合いじゃの。昼飯にするか」
やった! と脳内で快哉を叫ぶコニルだったが。
* * *
「……ねえこれ、本当に食べなきゃダメ?」
皿の上の茶色い物体を見つめて、涙目のコニル。
「ダメだよ。ここの旦那さんが取って置いた、最後のひと瓶なんだから」
蚕の蛹の、佃煮のようなもの。去年の秋にヘザーが作ったもので、今日まで夫のワドーハがちびちびと食べて来たものだ。
(これって、手足と羽を取ったGにしか見えないんですけど)
リルダ以上に鮮明に残っている前世の記憶が、激しく食欲を削り取って行く。
「とにかく、食べられるのはこの国だけだし」
そう言われて、コニルは恐る恐る一つをつまみあげると、匂いを嗅いだ。
「でも……どう考えても、食べ物の匂いじゃないし」
「僕なんて、これからの季節、毎日これを深皿一杯食わされるんだよ?」
そこまで言われると断れない。目をつぶって口に放り込み、咀嚼する。
「なんというか、この香り。田舎の古い家の押し入れに、もぐり込んだ時の臭いだな」
お盆で父の実家に行った時、従兄弟たちと隠れんぼをした思い出がよみがえる。懐かしくはあるが、食べ物には結びつかない。
(そうだ。コニルの時は、そう感じたんだ)
よほど酷い記憶だったのか、リルダとなってからは思い出せず、モヤモヤしてた。それが、一気に晴れた気がした。
(本当は、もっと辛い思い出もあるんだけど……)
そちらは激烈なほど鮮明で、今もリルダを縛っている記憶だ。
(僕の代で、全部取り返して見せる!)
そう、リルダは誓うのだった。
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