第28話 クワ畑で捕まえて

「四人目……てことは、ケイマルの次か」


 残り六枚になったリルダのクーポンを見つめて、コニルはつぶやいた。


「うん」


 リルダは短く答えた。

 そう。この時のコニルのショックは、よく覚えている。


「ごめんよ、コニルが誤解するのわかってたのに、いざその時になると勝手に身体も気持ちも動くんだ」

「そうか……そう言えば、ケイマルもそんなことを言っていたな」


 なんとなくだが、コニルは納得しておくことにした。


「じゃ、小屋に戻ろう。君をお師匠さまに紹介しないと」


 コニルを連れて、小屋の勝手口をくぐる。

 ガシッ。

 音がしたので振り返ると、コニルが脛を押さえてうずくまってた。


「イテテテ」

「気を付けて。目が慣れるまで待った方がいいよ」


 脛の当たりをさすりながら、コニルはつぶやいた。


「先に言って欲しかったな、そういうの」

「ごめん」


 そもそも、床の上にまで乱雑に物が置かれてるのがいけないのだが、師匠であるデンペルトンが片付けることを許さないのだ。曰く、「位置がずれると面倒だ」と言う。


(空中からあれこれ取り出す魔法と、関係あるんだろうか?)


 などと推測してみる。転移魔法の応用だ。


(なるほど、それなら水瓶と油の樽の位置を入れ替えたら、悲惨なことになるだろうな)


 一瞬、やってみたくなるリルダだが、火事にでもなったら堪らないので諦めた。

 そんな師匠は、相変わらず寝床の上だ。振り返って、コニルに声をかける。


「痛みはどう? もう立てそう?」

「ああ、……なんとか」


 デンペルトン師のところへコニルを伴うと、師匠は先ほど作った薬湯をすすっていた。


「うむ。生薬が五臓六腑に染み渡る。そして、この香りがたまらんな」


 薬湯から漂うその香りは。


「これ、シナモン? へぇ、こっちじゃ薬に使うんだ」


 懐かし気に声を上げるコニル。と、老師の目がぎろりと彼をにらんだ。思わずすくみ上る。


「して、リルダよ。この者は?」


 師匠の問いかけに、リルダはコニルの肩に手を置いて答えた。


「彼の名前はコニル。レクアサンダリア帝国から生糸の買い付けに来た商人の徒弟で、前世の僕です」


 最後のくだりで、老師はブホッとむせた。


「……その寝間着の染み、落ちるかな。僕が洗うんですよね」

「そんなこと、どうでもよい。それより何じゃ、前世とは」


 そこで、リルダは全て話した。五十年後にこの世界が滅ぶ事。それを防ぐために、同じ五十年を生まれ変わって生き直すよう、創世の神々に命じられたこと。

 それを聞いていたコニルは思った。


(地球から転生してきたことは、伏せるのか)


 確かに、そこまで話すと複雑すぎる。事実、この世界で最高の頭脳を持つ老師にしても、これだけで手一杯なようだった。並んで立つリルダとコニルを見比べて、ため息をつく。


「なるほど。これだけ外見も話し方も違うのに、お主らはどこか似ておるな。それに五十年後では、さすがにわしも生きておらんじゃろうし……」


 しばらく瞑目したのち、老師はコニルに声をかけた。


「お主、コニルと言ったか」

「……はい」

「商人の端くれなら、見せておきたいものがある」


 ようやく寝床から降りると、老師は二人に向かって「着替えるから外で待て」と命じた。

 リルダが表の扉を開くと、まばゆい陽光が流れ込んで来た。目が慣れると、そこは一面の桑畑。緑の葉を付けた低木が、緩やかな丘陵に何段にも植えられていた。


「これ全部が桑畑?」

「うん。この辺は、麓の村が共同で管理してる。でも、お師匠さまが見せたいのは、多分この上の方だね」


 と、リルダは近くの桑から何かを摘み取った。


「知ってた? 桑の実って美味しいんだよ」


 手渡されたのは、赤黒い小さな粒が集まった実だった。リルダはもう一つを摘み取ると、パクッと口に入れた。

 コニルも口に入れて噛み潰した。甘酸っぱい味が口の中に広がる。


「美味しい!」

「でも、この色がしばらく落ちないんだ」


 ペロッとリルダは舌を出した。実の色素で紫色に染まってた。

 互いに舌を出して見せあった後、二人がケラケラと笑っていると。


「おほん!」


 振り返ると、用意のできた老師が立っていた。


「それじゃ、参ろうかの」


 ゆっくりと坂を上り、その上の養蚕工房へ。


「あら賢者さま、おはようございます。今朝はゆっくりですね」

「やあ、ヘザー。朝飯はまだ残ってるかな?」


 普段なら多数の従業員でごった返している食堂だが、既に食事は済んだらしく、残っているのは後片付けをしている工房の女主人、ヘザーだけだった。


「ええ、ちゃんと取り分けてありますよ。リルダちゃんの分もね……あら、その子は?」


 彼女はコニルに目を向ける。


「リルダの友達じゃ。今朝、王都から連れて来た」

「あらあら。ごめんなさいね、あなたの分の食事が――」

「ああ、俺なら飯は済ませてますから、大丈夫です」


 夜明け前の休息で携行食料を食べたから、昼までは持つはずだ。


「それなら、わしらが朝飯をいただいてる間に、お主は工房の中を見せてもらうと良いじゃろ」


 これにはさすがに、ヘザーも驚いた。


「養蚕のことは、門外不出じゃ……」

「なに、責任ならわしが取る」

「……そこまでおっしゃるならば」


 老師の言葉にうなずくと、ヘザーはコニルに向かって言った。


「コニルと言ったわね。私はヘザー。ついてらっしゃい」


 スタスタと食堂から出ていく彼女の後を、コニルは追いかけた。

 それを見送るリルダ。


「ずいぶんとまた、気になるようじゃな」


 からかう師匠に、リルダは真顔で返した。


「ええ……だって彼は、僕らのオリジナルですから。この先に何が起こるか、ヒントすら知らない。だからこそ、僕たちは手を貸さずにいられないんです」


 目を閉じて時の流れをたどれば、コニルだった頃の記憶がよみがえる。今、コニルが包まれてるはずの、一心に桑の葉を食べる蚕たちの、さわさわとした音も……。


「蚕って、一日にどれくらいこの葉っぱを食べるんですか?」


 かなり広い建物に並ぶ、周囲を囲ったテーブル。その上に並べられた桑の葉の上に、白い蚕が何匹も這っていた。


「そりゃもう、沢山よ。だからこれだけ、人手がいるの」


 何人もの季節労働者が、桑の葉で一杯の籠を担いで入って来ては、その葉をテーブルに足していく。その一方で、蚕が食べ終わって葉脈だけになった葉を取り除く。

 そして、蚕をそっとつまみあげて、新しい葉の上に置いてやる。


(うわ、虫なのに良く触れるなぁ)


 そこにはもう、蚕への愛情すら感じられた。


「こうやって、手を掛けたら掛けただけ、良質な繭を作ってくれるんだよ。うちは後発だけど、品質には定評があるんだ」


 なるほどな、とうなずいたコニルは、天井から下がっている奇妙なものに気づいた。


「ヘザーさん、あれは?」

「ああ、繭車だよ。蚕が繭を作る時に、あれに入れるんだ」


 縦横の升目状に区切られた枠がいくつも、天井から縦につるされている。車と言うだけあって、中心の軸で回転するようになってるようだ。


「あの升目に入って繭を作るんだけど。蚕はね、繭を作る時に上へ上へと登りたがるんだ。で、放っておくと下ががら空きになっちゃうだろ?」

「うん……てことは、上が重くなったら回転して下になる?」

「お、リルダの友達だけあって、聡いね」


 ポンポン、と頭を軽く叩かれる。


「繭車に蚕を入れるのを、『蚕上げ』と言うんだ。あと十日ほどだね」

「その時、見に来ても良いですか?」


 鼻の脇をポリポリ掻いて、ヘザーは答えた。


「まぁ、賢者さまがお許しになるならね……」


 大賢者デンペルトン様々である。

 そんなコニルとヘザーのやり取りを、リルダは戸口から見守っていた。コニルと出会った時に感じた驚きや感動を追体験しながら。


「コニル。君はまだ知らない。この先に待ち構える悲劇の数々を。そして、それを押しとどめるすべを、僕らはまだ見出せない」


 新藤祐樹だった頃に読んだ本、「ライ麦畑でつかまえて」。

 世の中に適応できない、思春期の少年を描いた有名な小説だ。何もかもうまくいかない主人公が願ったことは、ライ麦畑で無心に遊ぶ子供たちが、崖から落ちそうになる前に捕まえること。

 起きてはならない悲劇を防ぐ、空想上の役目だった。


「今の僕なら、『クワ畑でつかまえて』なんだろうな」


 悲劇を防ぐために、自分に何が出来るか。未だに自問自答を繰り返すばかりではあるけれど。

 それでも彼は誓うのだった。


「どんな辛い事がこの先に有ろうとも、僕は『耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考え』たりはしない」


 それが、あの小説の主人公に対する、リルダの答えだった。

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