第26話 王都の二人 前編
ガラガラと馬車の車輪が回る。ガタガタと揺れる荷台で、コニルの尻が悲鳴を上げていた。
「こ、これじゃまるで、馬車競争だよ!」
「全くその通りだ。競争だからな」
この商隊の長、ゴメル隊長が隣りでがなる。車輪の音がうるさくて、普段以上の音量でないと、すぐ隣でも聞こえない。あまりの音に耳が痛くなり、両手で押さえてコニルは後ろを振り返った。
この馬車は車列の最後尾なので、通って来た街道が延々と連なっている……はずだった。
「うわっ、もうあそこまで近づいてる!」
別な商隊が、ぐんぐん追い上げて来ているのだった。
そこへ、護衛の一人が馬を寄せて来てどなった。
「隊長! そろそろ休ませないと、馬が持ちません。もう何頭か、泡を吹いてます」
「それはいかんな。休める草地を探してくれ」
「はい!」
護衛は馬をせかして車列の前へと去って行った。
(良かった。これで休める)
早朝、領都エランを出てから半日。停まることなく走り続けだった。馬も、コニルの尾てい骨も限界だ。
やがて、車列は速度を落として街道を離れ、草地の中に停まった。早速、大きな革袋から桶に水が注がれ、馬たちに与えられる。
コニルも、尻をさすりながら馬車から出て、商隊の仲間の輪に加わった。
ぽん、と投げ渡されたもの受け取ると、携帯食料だった。
「食っておけ。この分じゃ、午後も暗くなるまで走りどおしだからな」
「うへー」
見た目は褐色で前世のチョコバーみたいだが、みじん切りにした塩漬け肉と干しブドウを、ライ麦の生地に練り込んで焼いたものだ。味はそう悪くないが、何日も続くと飽きる。冬に商隊に加わって、コニルは思い知らされた。
「あ、また別なのが」
車輪の音がして振り返ると、さっき追い上げていたのとは別な商隊の車列が、街道を進んで行った。
「仕方がねえさ。アイツらも、どこかで馬を休ませなきゃならんからな」
ゴメル隊長の言葉に、コニルはうなずいた。馬が潰れてしまえば、旅はそこで終わりだ。
この旅では、いくつもの商隊が抜きつ抜かれつしてメクレンス王国を目指している。そして、一日でも早く着いたところが、一番良い品を買い付けることになるはず。
「と言うわけで、コニル。悪いが、行きの旅ではお前の村には寄れない」
「えーっ!?」
思わず声を上げる。見ると、隊長は一枚の紙を手にして難しい顔をしていた。
「こうなってくると、宿に泊まってゆっくりしている暇はない。村に立ち寄るのは、水などの補給のためだけだ」
コニルが紙を覗きこむと、一本の縦線に小さな丸がいくつも連なった図が描かれていた。それぞれの丸から左右に引かれた線の先に、短いメモ書きが書いてある。
「これ、村と水場の位置?」
「ああ……そうか、こういうのはお前の方が得意だったな」
ゴメルから紙を受け取る。縦線の左右には、水場、つまり村や川、泉などの位置と、前の水場との距離。それらがメモ書きされていた。
何しろ、馬は大量に水を飲む。一頭当たり毎日四十リットルにもなるのだ。馬車にも積んであるが、限界がある。
どこで休みを取り、補給をするか。幸い、夏が近づいて昼が長くなっている。冬場よりも長く走れる。
しかし、それは競争相手の他の商隊も一緒だ。だったら。
「ねぇ、隊長さん。夜も走れます?」
コニルの言葉に、ゴメルは仰天した。
「夜!? バカ言え、魔物に襲われちまう」
「じゃあ、夕方。月が沈むまで」
「……そうだな、充分警戒すれば」
この世界の暦は、月の満ち欠けどおりだ。今日は五日なので、十日後には満月になる。
蝋板に、休息や給水のタイミングと、夜に何時間を追加で走るか、それらを書いていく。そして、走った距離を加算していくと。
「最後の夜、休みながら夜通し走れば、十日目の朝にメクレンス王国の王都にたどり着けるはず!」
「よっしゃ、それだ!」
そして、強行軍が始まった。
* * *
「リルダ。使いを頼む」
夜明けとともに起きたリルダに、床の中からデンペルトンが声をかけた。
「何でしょうか、師匠」
自分の寝床を整えながら返事をする。
「ちと、体調がすぐれないんじゃが、調合する薬の材料が切れておってな」
「大丈夫ですか? 夕べもあんなに飲むから」
もう歳だからと、何度言っても酒量を減らしてくれないのが、彼にとっては気がかりだった。
「まぁ、そう言うな。今となっては、弟子の成長と、それを祝う酒だけが生き甲斐なんじゃから」
そう言いながら身体を起こすと、どこからともなく紙とペン、インク壺を取り出し、一筆したためる。
その間に、リルダは外出用のローブをまとい、フードを被る。そして仕上げに、肩掛け鞄を
「これじゃ。お代はこれでな」
手紙をリルダに渡し、もう片方の手を握ったまま彼の掌にかざした。老師が手を開くと、金貨がそこに落ちた。
これらがどこから出てくるのか、それがリルダの研究課題だ。何しろ、聞いても教えてくれないので。
「……で、どこまで買いに行くんですか?」
彼の足で日帰りとなると、せいぜい麓の村までだ。しかし、ほとんど顔なじみの小さなあの村では、この手紙に書かれている名前は聞いたことが無い。
「王都じゃ」
どくん、と心臓が高鳴った。
「それじゃ……」
「うむ、転移魔法じゃ。良く見ておくのじゃぞ」
ベッドの横に立てかけてあった杖を手に取ると、デンペルトンはゆっくりと五芒星を描きながら呪文を唱えた。
「五つのエレメンタルよ。わが魔力に応じ、魔石から出でゲートを開け……転移!」
その瞬間、リルダの足元に魔法陣が現れ、回転しながら上へと移動する。その魔法陣に飲み込まれるように、彼の身体は消えて行った。
「うむ、行ったか。しかし、この胸のムカつきは――」
おえええええ! と言う声と共に、小屋の中はすえた臭いに満たされた。
「あ、しもうた。帰り方を教えとらんかった」
しばらく考えたのち、老師は「まあいいか」と再び横になった。
* * *
薄暗い小屋の中から突然朝日の中へ放り出されて、リルダはよろめき、目の前の立て札にとっさにつかまった。
(あれ? 初めての王都……なにか、大事なことが……)
しかし、立て札の文字が目に飛び込んで来ると、そんな思いも雲散霧消する。
「え、なに? ……転移を終えたら、すぐに魔法陣の中から出ること?」
見下ろすと、石畳の上に掘られた魔法陣が、足元に広がっていた。
「そうか、これが受け入れ側なんだ」
立て札の注意書き通り、直径二メートルほどの円から外に出た。
周囲を見回すと、円形の大きな広場だった。真ん中には何やら立派な銅像が立っており、その周囲を転移の魔法陣が取り巻いている。
そして、その魔法陣の一つが光って人が出て来た。
「凄いな。こんな大魔法、日常的に使ってるんだ」
帝国より王国の方が魔法の利用が進んでいるのは知っていた。だから、転生クーポンを使う時にこちらを選んだ。
だが、この国の発展した魔法は、やはりこの大賢者によってもたらされたものだといえよう。
「お若いですね、お師匠様」
その立派な銅像の髭を長くして髪と両方を白くし、
「で、尋ねるべき相手は……」
手元の手紙を見る。あて名は。
「……これ、名前なの?」
ネメ・テケル・ウパルシン。
聞いたこともない名前だ。というか、ちっとも名前らしくない。続けて住所も書いてあるが――。
広場の周囲は石造りの建物が立ち並び、近づいてみても住所の標識は見当たらなかった。仕方がないので、思い切って広場を行きかう人に聞いてみた。小太りな男性。
「ああ、『真っ直ぐ』通りならこの道だよ。で、三つ目の路地を曲がると大きな扉の家があるから、そこだ」
(どうやら、ネメさんは有名人らしいな)
意外とあっさり見つかったことに安堵しつつ、別れ際にかけられた「気を付けてね、お嬢ちゃん」にヘソを曲げつつ。
教えてもらった場所にたどり着いたのだが。
(……どう見ても、人間用の扉じゃないよ)
ドアノッカーがあるが、リルダの頭よりかなり上だ。よいしょ、よいしょと背伸びしていると。
「お嬢ちゃん、この家に用かね?」
声の方に振り返ると、やたらがっしりした身体で髭むくじゃらの男が立っていた。ただし、身長だけはリルダと同じ。
(ドワーフだ。王国にもいたんだ)
前世の冒険者ケイマルの人生では、結構何度も一緒に戦った。その親近感はあるものの。
さっきかけられた言葉、一言目は全力で否定したいが、大事なのは後半なので、リルダは渋々うなずいた。
「よし、ならこれでどうだ?」
「わっ?」
後ろからひょいと抱え上げられ、顔がドアノッカーの高さになった。扉に張り付いている金色のライオンの顔が、こっちをにらんでいる。拒んでも仕方がないので、ライオンが加えてる輪を掴み、コンコンと打ち付けた。
地面に降ろしてもらってから、ドワーフ男性に礼を言った。
「でも、あの僕、男ですから」
そしてフードを払いのけて、短めの髪を見せる。
するとドワーフは一瞬目を丸くして、すぐにガハハと笑うとその髪の毛をクシャクシャとなでた。
「そうかそうか。まあ、ガンバレ」
何を頑張ったらいいのやら、と思いながら歩み去る姿を見ていると、ドアが重々しい音を立てて開いた。
なので、そちらを向くと。
(壁だ。布の壁)
最初はカーテンに見えたが、左右に巨大な手が見えた。リルダの頭を一掴みできそうな。
「おや、小さなお客さんだこと」
そして頭上から野太い、それでいて女性とわかる声が。びっくりして見上げると。
八重歯と言うには大きすぎるものが飛び出てる口で、ニッコリと微笑む顔があった。
(おおおおオーガの女性!?)
コニルとリルダ、出会うまであと一時間。
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