第25話 再び王都へ

 吐く息が白い、真冬の朝。

 コニルは、お仕着せの上に分厚い毛織の上着を着こみ、店の前に出ると掃除を始めた。ほうきを握る手がかじかむ。

 そこへ背後から声をかけられた。


「コニル、元気かな?」


 振り向くと、教導師モズデントがにこやかに立っていた。


「……あ、はい。あなたが来るまでは」


 彼は、あれ以来三日と置かずメリッド商会を訪れては、コニルと雑談をしていく。そして、その中でさりげなく、グロウリー派への改宗を混ぜ込む。

 しかも、このように人目がある場所で。そうすることでグロウリー派との関わりを見せつけるわけだ。


「嫌なんです。誰かに『コイツラを憎め』なんて言われるのは」

「心外だな。我らは単に、間違った魔力の使い方を正したいだけだ」

「でも、その尖った六芒星は、戦うためにデザインされたんでしょ?」


 モズデントの着る、教導服の胸に染め抜かれた六芒星を指さす。


「戦いと言っても、何も殺しあうわけではないよ。信奉者の人数を競い合う、と言った方が良いかな」

「そのために、魔法の代わりに加護を『使う』んですか」


 ふっと微笑んで、それには答えずモズデントは「また来るよ」と言い置いて立ち去った。

 ため息をつくと、コニルは掃除を終わらせた。


(まったく、おかげで周りからはすっかり、グロウリー派扱いされちゃうし)


 そして、そう誤解されるもう一つ……いや、三人の原因が現れた。


「おはよう、コニル。今日も早いのね」

「……おはよう」

「おはよう、おにいちゃん」


 なれなれしいのと、よそよそしいのと、もふもふしいのが。


「ミラカ、エクロ、ミアラ、おはよう」


 あの「エクロの身代わり」事件のおかげで、三姉弟との距離はグッと縮まった。と言っても、上の二人がメンドクサイことに変わりはないので、コニルはせめてもの安らぎを求めてミアラのふわふわな髪の毛をなでた。

 ミアラは「にへら~」と喜んでる。


「今日は三人そろってるな。あれか、布教活動?」


 ミアラが答えてくれた。


「うん、困ってる人がいたら、お祈りしてあげるの!」

「そうか、偉いな」


 なでくりなでくり。

 で、ついでだから社交辞令。


「エクロ、もう治ったのか。良かったな」


 苦手な相手ではあるが、特に嫌ってるわけでもない。病気から回復したなら、一言声をかけるくらいなら。

 しかし、返事はちょっと意外だった。


「コニル……その、済まなかったな」


 まさかの謝罪だ。デレだ。顔が赤い。


(男にデレられても、ちっとも嬉しくないけど)


 それでも、一応は。


「まぁ……色々ヤバかったけど、もういいさ」


 コニルにしても黒歴史なので深堀りしたくない。

 そこにミラカが乱入。


「あの、……えっとその、ケイマルさんとは……」

「うん。良く話すけど、なに?」


 昨年の誘拐未遂事件で助けてもらったことから、ミラカがケイマルLOVEなのは分かってる。しかし。


「あの……ケイマルさんの好きな人って……」

「……ごめん、知らん」


 覚醒して一年ちょっと。その間に出会ったのかもしれないし、前世――コニルにとっての来世――なのかもしれない。

 どっちにしろ、興味がない。今、ケイマルが想っている相手なら、今の自分とはそう言った関係になり様がない、と言う事だ。


「えっと。悪いけど、俺は仕事があるから」


 そう言って、コニルは店に中に戻った。人の恋事は、邪魔も加担もしないに限る。

 だが直後に、ドヴィッディに首根っこを掴まれた。


「わっ! 何? 何なの?」

「良いから来い!」


 事務室に引きずり込まれ、机の前に座らされる。

 一方、ドヴィッディは用意した資料を手に取った。


「口述筆記ですか?」

「ああ。さっさと書け」


 蝋板と鉄筆を用意して、ドヴィッディが喋り出すのを待つ。内容は価格の提示だ。しかも、絹ばかり。


「以上だ。じゃあ、見せてみろ……って何だこの、ミミズがのたくったみたいなのは?」

「えーと、続け文字です。速く書けるように工夫しました」


 ヒントは、英文などの筆記体だ。こちらの文字に合わせたもの。


「……暇さえあれば蝋板に何か書いてると思ったら。まあいい、読み上げてみろ」


 コニルは読み上げ、ドヴィッディに確認してもらった。


「よし。じゃあそれをこれに書き写せ」


 渡されたのは羊皮紙。大事な契約に使うものだ。


「ドヴィッディさん、これって……」

「ああ、領主様にお納めする品だ」


 目が飛び出るほどの金額だった。


「新年の式典のおかげで、絹の需要が高まってな。庶民の中でも富裕層からの注文が増えてる」


 商売繁盛は目出度いことだが……。


「全部のお屋敷でこれほど買ったら、在庫が」


 領都エランには貴族が十数家いる。上は領主で伯爵。その下に子爵、男爵、士爵。地位に応じて財力には差があるが、平民とは桁が違う。


「そう。だから値段が高騰しちまって、一旦領主さまが全部買い上げて、買う量を割り振ることになったんだと」


 一種の配給制だ。インフレ対策。


「どこの店も、在庫は去年輸入したものしかないからな。奪い合いで値がつり上がったら大変なことになる。……いや、売る方は上がる分にはいくらでも構わないが、怖いのは在庫切れだ」


 特に縫製店など、注文を受けてから布地が入手できないとなると、多額の違約金を払わされることになる。

 当然、潰れる店も出てくるだろう。そうなると、そこへ卸している店も打撃を受ける。


「……商いって苛酷だよなぁ」


 商人は商人で、契約やら決済やらで戦いを繰り広げている。やがて始まるはずの、神々の信徒グロウリー派魔法使いマジックユーザーの戦いとは別に。

 そんなことを考えながら、コニルは蝋板の文章を羊皮紙に清書した。もちろん、誰でも読めるブロック体で。

 それを取り上げて確認すると、ドヴィッディは言った。


「よし。じゃあこっちへ来い。旦那様がお待ちだ」


 いつもの談話スペースに連れていかれる。そこではメリッド氏が待っていた。


「ああ、コニル君。待ってたよ」


 向かい側の長椅子を進められる。腰を下ろしてコニルはたずねた。


「旦那様、何かあったんですか?」

「うむ。今年はメクレンス王国への買い付けを、早めることにしたんだ」


 従来は生糸の出荷の始まる夏上月なつかみつきの末に到着するよう、その月の第二週に領都エランを出発していた。


「聞いての通り、絹の人気が上がっておるでな、いつも通りに着いた時には既に売約済みになりそうなのだよ」


 そのため、早めに到着して買い付けの交渉を始めなくてはならない。


「まるで競争ですね」


 コニルの言葉にメリッド氏はうなずいた。


「全くだ。冬のメクレンス織ならまだしも、生糸でこんなに焦るとは思わなんだ」


 生産量が少ない高級布地ならまだしも、原材料の生糸の在庫がここまで逼迫ひっぱくしたことはなかったと言う。


「と言うわけでコニル。もう一度、メクレンス王国へ行ってみないかね?」


 突然話が変わったので、コニルは憮然となった。


「おれ……僕、去年その機会を貰ったのに……」

「あれは仕方がない。ぼそぼそおたふく風邪なんて、誰でもやるからな」


 結果として、ひと月近く店を空けただけになってしまった。


「それよりも私はね、君があの国を見て何を感じ、何を思うのかに興味が尽きないのさ」


 そう言ってコニルの顔を見つめるのは、単なる興味本位ではない、老獪な商人の目だった。

 ぞわり、とコニルのうなじの毛が逆立った。


(うわ……何だか期待されるものがランクアップした感じ)


 それでも、先に進むしかない。道が開かれたからには。


「わかりました。王国へ行ってきます」


 早まるとはいえ、出発は春下月5月となる。四カ月は先だ。


(それまでに、出来ることはやっておかなくちゃ)


 その王国で体験する数々が、この世界の運命にどうかかわるか。

 まだコニルには知る由もない。


* * * * * *


 そして季節は春へと移り、そよぐ風も柔らぐ。帝都のそこかしこで、花々も芽吹いている。

 そんなある日。


「……で、この条約のおかげで、南部諸王国は帝国の配下となり、綿花などの貿易が盛んとなったわけです」


 鷹揚な声で説明するライサス。場所は帝都学園のカフェ。


「なるほどな……しかし、これって六才児に教える内容か?」


 暗記ものは苦手なバトロー。いや、そういうところは新藤祐樹しんどうゆうきだった頃から変わらない。

 読み書き計算をすっ飛ばしての、この内容。どうやら三人そろって英才クラスに放り込まれた模様だ。しかし、歴史や地理では、祐樹としての記憶は役に立たない。


「良いよな、お前は。授業、二回目だろ?」

「あなただった頃に、真面目に勉強したおかげですよ」


 もっともな答えに、バトローはもう一人の学友の方を見る。


「で、三回目の殿下は?」

「その呼び方はよせ。ここでは余は皇族ではない」


 言ってることと一人称が食い違うバーセル。


「同じ教師や生徒の顔でも、三度も見ていると色々わかって来て面白い」

「へぇ、どんな?」


 バトローの問いに、バーセルはチラッと横に目を走らせた。


「例えば、間にひとつ置いたテーブルの女子三人。みな親は宮中伯で、こっちに言い寄る機会をうかがってる」

「おいおい、あんな歳でか?」

「物心ついたころから、そう育てられるからな」


 それはそれでメンドクサイ、とバトローは思うのだった。

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