第20話 【リルダ】鼠と蛹
少年の手にしたメスが光る。色白で細い手の震えで、反射した光も石壁の上をちらちらと動いていた。
「リルダ。落ち着いてやりなさい。太い血管や臓器を傷つけなければ、血はさほど出ん。皮膚と結合組織だけを切り裂くのじゃ」
「はい、デンペルトン先生」
磨いた錫板を貼った卓上には、仰向けにされたネズミが一匹。四肢を紐で固定され、
その腹部にメスを当て、上から下へと切り裂く。
「魔術で病気やケガを治療するには、具体的なイメージが必要じゃ。骨格、筋肉、血管、各種の臓器。それらの克明なイメージを脳裏に描けてこそ、治療が可能となる」
切り裂いた口を広げ、縁を
「良く見て覚えるのじゃ。基本的な構造は、ヒトも獣も変わらん。臓器の大きさや収まり方が違うのみ」
「……はい」
おぞましさに必死に耐えて、少年、リルダはネズミの体内を観察し、脳裏に焼き付けた。トクトクと小さな心臓が動いている。
「よし、もうよいじゃろう。戻してやりなさい」
「はい」
メスと手に付いた血を、丁寧に水で洗い落とす。そして、細い指で印を切る。魔力の青白い光の線が、ネズミの上に五芒星を描き出した。
「光と水のエレメンタル、我が魔力に応じ魔石より出でよ……治癒!」
手にした
脳裏に、臓器が体内に収まり、切り裂いたところがふさがって行くイメージを描く。まさにその通りに、傷口が閉じて行った。
四肢を縛っていた紐をほどくと、リルダはネズミの身体を両手で救い上げ、部屋の隅の小さな檻の中に入れた。
「怖がらせてしまってごめんよ」
ネズミの身体についていた血の臭いに怯えて、他のネズミたちは檻の隅でキィキィ鳴いて震えていた。
リルダは棚から手に取った薬瓶の蓋を開け、綿棒を浸すとネズミの鼻先に近づけた。
「キッ!」
眠っていたネズミは飛び起きると、檻の奥へと逃げ込んだ。
(アンモニア水だからな、そりゃキツイ臭いだろう)
その動きを見る限り、解剖の後は綺麗に治っているようだ。
これらのネズミたちは、魔法の実験と習熟のためにここで飼われている。病原菌などいない、清潔な環境で。
名前を付けると情が移るから、と師匠には言われているが、なんとなく個体識別ができるくらいにはなっている。
(いずれ、こいつらの命を奪う実験もしないといけない)
そう思うと心が痛んだが、背に腹はかえられない。
(全ては、アイツの命を救うため)
そのための治癒魔術。絶対に会得しなければならない。
薬瓶をしまい檻の蓋を閉じると、リルダは師匠のところへ戻った。
「全て終わりました」
「よろしい。では、昼飯とするか」
二人で部屋から出ると、山の斜面に一面の桑畑が広がっていた。もう晩秋なので葉はすっかり落ち、細い枝だけが陽の光を浴びている。
このなだらかな山腹に、デンペルトンが隠遁して二十年。彼が居を構えてしばらくすると、桑畑が追い上げて来た。それらは山の麓の工房が植えたものだが、十年ほど前、老賢者の小屋のすぐ上に新しい工房ができたので、さらに頂上の尾根まで桑畑は広がった。
「あら、大賢者さま、リルダちゃん。修行は終わりですか?」
声をかけて来たのは中年の女性。布の包みを小脇に抱え、笑顔で手を振り坂道を上がって来る。
老師が答える。
「ヘザー、それは例の絹かね?」
「ええ、秋口の生糸がようやく織り上がったんですよ」
ヘザーは夫のワドーハと共に、ここメクレンス王国で養蚕業を営んでいる。絹はこの国の主要な輸出品であるため、身分の割には優遇されている。
彼女が包みをほどくと、真っ白な絹地の反物が現れた。昼の陽光を浴びてまばゆいほど。
本来なら王侯貴族でもなければ手が出ない布地だが、生産者にはごく少量だが下賜される。
「このままでも、染めても良し。リルダちゃんにも一着、作ってあげるからね」
彼女の趣味は裁縫で、プロの仕立て屋並みの腕前だった。衣類が貴重なこの国ではありがたい申し出なのだが。
「あ……いや、僕はいいです」
リルダと言う名前と線の細い外見から、どうも彼は性別を間違われやすい。魔術師見習いの着る、足首までのローブも影響しているようだ。
孤児だった彼がデンペルトン師に拾われてから五年。乳児の頃に世話をしてくれたヘザーは、育ての親と言えるのに、未だに彼を女の子扱いしてる。
「ドレスなら自分の娘につくってあげてください」
「あははっ、そうだね。うちの娘、まだ一歳だけどね」
カラカラ笑って「では、お先に」と言うと、ヘザーは坂を上がって行った。
「相変わらずじゃのう。では、わしらも行くか」
「はい、先生」
二人も坂を上って行く。老師に合わせてゆっくりと。その先に、ヘザーとワドーハの養蚕工房があった。
春から秋にかけて、そこは蚕の世話をする人たちで溢れかえっていた。冬に入る今は、季節労働者たちも家元に帰り、夫婦二人と幼い娘の三人暮らし。
「おお、大賢者さま、リルダ。いらっしゃい」
「やあ、ワドーハ。昼飯をたかりに来たよ」
「はははっ、どうせいつも作りすぎちまうんだから」
夏場、労働者たちに出す賄いの量は多い。そのため鍋や窯も大きすぎる。一方、大賢者という地位のわりに、デンペルトンは庶民的な料理を好んだ。そんなわけで、ここに工房ができてからは、こうして食べにくるのが習慣となっていた。
工房の広い食堂に入ると、老師はテーブルに着いた。リルダもその横に座る。
「はいどうぞ! 夕べから仕込んでおいたから、良く味が染みてるよ!」
ヘザーが大きな鍋をテーブルに置く。
(う……来たか)
リルダの口元が、わずかにひきつる。
ヘザーが鍋の蓋を取ると、湯気と共に特有の臭いが広がった。青臭いような、鉄臭いような。
(どう考えても、食べ物の匂いじゃないよな)
そして、お玉で中身をすくい、深皿にたっぷり盛ってリルダの前に置いてくれる。親指サイズの茶色い塊りが沢山。細部を注視するとさらに辛くなるので、微妙に視線をそらす。
隣を見ると、老師は既に食べ始めていた。指でつまんで口へと運ぶ。
「うむ。今年もこれを食べるのは最後かのぅ」
「そうですねぇ。大半は食用に卸しちまいますから」
養蚕で成り立つ国だけに、主要な食料ともなるのが、蚕の蛹だった。蚕が繭を作り終えると、そのほとんどは煮られてしまう。中の蛹が羽化して繭を食い破ってしまうと、生糸が取れないからだ。
煮た繭から糸を取り終わると、残るのは蛹。山がちで農業にも牧畜にも適さないこの国では、貴重なタンパク源だ。食べない手はない。
そう。食べないという手はないのだ。リルダは観念して、よく似た色の昆虫を連想しないようにしながら、口に放り込む。
(確かに、塩味も薬味も効いてるけど……)
ぼそぼそした触感で、口の中がパサパサしてくる。素材としては旨味に欠ける気がするのだ。
(不味くはないけど……美味しくもないんだよなぁ)
そんな蛹の煮つけを喜んで食べる師匠と、養蚕家の夫婦。酒のつまみに合うとも言っている。
リルダも、覚醒するまでは普通に食べていた。が、今となると前世の記憶が、特にあのGの頭文字で表されるヤツが、どうにも邪魔して困る。
いつものように、元々食が細いからとか何とか言い訳して、蛹の煮つけは半分を師匠に回し、パンとスープに手を付ける。
そんな弟子を横目で見ながら、老賢者デンペルトンは彼を拾った時の事を思い出した。
(早いものじゃな。あれからもう、六年近くたつのか)
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唐突ですが、このあたりから他の転生世代のエピソードが挿入されて行きます。
次話もリルダの話が続きます。
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