第11話 擦り切れる前に

「それでお姉さまシスター、どんな御用でしょうか?」


 教団の教育施設であるバレーク修道院の中庭。呼び寄せられた少年は、静かに微笑んでいた。そう、あどけない微笑み。

 しかし、呼び出した上級生シスターは、顔を真っ赤にして打ち震えていた。


(かっ……可愛い! 何をどうしたら、こんなに可愛い男の子が産まれるの!?)


 栗色の瞳と鳶色の瞳。この国では標準的な色合いだが、上目遣いで見上げる目には力があり、少女シスターの胸を射貫いていた。

 一方、少年の方は、いささかげんなりとしながら、目を伏せて「先輩シスター」の痴態を見ないようにする。


(多分、十回の転生で一番の『モテ期』なんだろうけど、最悪のタイミングなんだよね)


 教団では自由恋愛が認められているが、パートナーは一人だけと、厳格に決められている。そして、少年の「想い人」は、ここにはいない。

 こんな「呼び出し」は三日とおかずあるけれど、顔を合わせるだけで終ってる。


「御用はお済みでしょうか? それでは、神々の祝福を」


 そう言い残して、少年はきびすを返して中庭を後にした。


(コニル)


 振り仰ぐ午後の陽射し。それを見上げて、しみじみ思う。


(望んで産まれた転生なのに、思い返すとお前の幼年時代が、一番平和だったよ……)


* * * * * *


 ケイマルと分かれて歩きだしてすぐ。


「結局、聞けなかったな……」


 コニルが気づけば知りたがることだと、ケイマルもわかっていたはずなのに、あえて話題にしなかったこと。


(あいつのクーポン、俺のより二つ減ってた)


 つまり、コニルとケイマルの間にもう一人、転生した自分――直接の来世の自分がいると言う事だ。


(なんで、そいつじゃなくてケイマルだったんだろう?)


 何やら気になる。二人目の自分が一人目の自分に会いたくないとしたら? もしそうなら、自分の将来に関係あるのだろうか?

 そんなことを考えながら歩いているうちに、大聖堂が近づいてきた。


* * *


 寝起きしている客間へ戻ると、ニオールとソリアンが待っていた。

 ニオールに守護印アミュレットを返し、三人で昼食を共にする。


「そうでしたの、お友達ができてよかったですわね」


 同い年のケイマルと出会った話をしたら、ソリアンはそんな感じに受け止めて喜んでくれた。


「徒弟になってしまうと、なかなか自由に出歩く機会も無くなりますからね」


(そうだ。うん、そうだよな)


 明日からはもう、朝から晩までこき使われる毎日だ。生前の祐樹なら耐えられなかったろう。しかし、田舎の農家に産まれたコニルとしてみれば、実家にいた時と変わらない。

 勤勉さと丈夫な身体。なるほど、農家の息子は無難な生まれだったかもしれない。


(寝る前の定時連絡、約束しておいて良かった)


 食事を終えると、三人でまずは仕立て屋へ。その場で着替える。

 上は少しゆったりしたベージュ色のチュニック。下は腰紐で締める紺色のズボン。ズボンは裾上げし、チュニックの袖は手首のところで折り込んである。折り込み部分は丁寧に縫われていて、ごわごわしない。

 ズボンを履き、頭から被ったチュニックの裾はそのまま垂らして、腰帯で留める。裾は膝下まで届いたので、まるで女もののワンピースでも着せられた気分。下にズボンは履いてるが。

 チュニックの胸には、メリッド商会のマーク、「M」にあたるこちらの文字が、六芒星に重ねる形で大きく染め抜かれていた。


「すごく似合ってましてよ、コニル君」


 ソリアンが微笑見かけて、そう評してくれた。


(孫にも衣装、てやつか)


 すると脳裏に『馬子じゃ!』とツッコミが入ったが、気にしたら負けだと思うことにする。

 代わりに、故郷からの旅の間に着たきり雀だったボロ服は、そのままボロ布に格下げとなった。


(まだ着れるのになぁ……)


 タダ同然で引き取られ、縫い目でバラして洗って、場合によっては染め直してから仕立て直して、新しい服としてリサイクルされるという。

 工業化が進んでないこの世界では、布は貴重品だ。故郷の村で買ったこの服も、そうして作られたもの。繊維が摩耗して擦り切れるまで、こうして使い回される。


(あれ……まるで俺の魂みたいだな)


 最終的に擦り切れた布地は燃やされてしまう。

 擦り切れた魂はどうなるのだろう?


(回収されてすり潰されて、捏ねるかなにかしてリサイクル?)


 そんな取り止めも無い物思いにふけってると、ニオールに声をかけられた。


「では、そろそろ参りましょうか」


 残り二着のお仕着せの包みを手に、二人の後をメリッド商会へと向かう。お仕着せのおかげで、小間使い感が五十パーセント(当社比)アップ。


(ま、そんな扱いに慣れることからだよな、まずは)


* * *


 メリッド商会に着いて、まずは主人から茶菓でもてなされる神官二人。一方コニルは、今から主人となるメリッドのそばに立っていた。


 商会のお仕着せを来て商家に入った時点で、徒弟となったと見做される。この場では、コニルは既に、もてなす側なのだ。

 しばしの歓談。その時も、コニルはニオールとソリアンに敬語を使う。一人称も、「俺」ではなく「私」だ。


「ニオールさま、ソリアンさま、今日まで私を導いてくださり、ありがとうございました」


 最後に、そう挨拶をし頭を下げる。

 もう、今までのように気安く言葉をかけることは許されない。親しき中にも礼儀あり。それが距離を感じさせる。


「私たちはずっと、君の事を祈ってますよ」

「お元気でね、コニル君」


 二人が退出していく。これでコニルは教団の庇護から離れ、メリッド商会の徒弟としての身分だけとなる。


(ここから先は、実力だけが物をいう、商人の世界だ)


 心の中でそうつぶやくコニルの肩に、ポン、と手が置かれた。


「もう一度言おう、コニル。我が商会にようこそ」


 そして、テーブルから一通の封書を取り上げた。

 そのそばには、大銅貨が数枚添えてあった。ニオールが払った郵送代金だ。


「ニオールから受け取った君の手紙、我が商会が責任を持って送り届けるから、安心してくれ」

「ありがとうござます、旦那様」


 コニルがお辞儀すると、メリッドは声を上げた。


「誰かおるか? ドヴィッディをここに!」


 遠くの方で「はい!」という子供の声がした。

 コニルはメリッドを見上げてたずねた。


「ドヴィッディさんとは、どんな方ですか?」

「うちの中番頭の一人だ」


 前世の会社なら部長クラスだろうか。

 やがて背の高い二十代後半の青年が部屋に入って来た。


「ドヴィッディ、参りました」

「うむ。次の東方へ向かう便はいつだ?」

「それなら来週、メクレンス王国へ絹の買い付けに行く便があります」


 メリッドはうなずくと、コニルの手紙を渡した。


「途中のニルアナ村で、礼拝所の神官にこれを渡してくれ」

「はい……しかし、あんな村になぜ?」


 いぶかしむドヴィッディに、メリッドはコニルを前に立たせた。


「今日からうちの徒弟となったコニルだ。ニルアナ村出身で、その手紙はこの子が書いたものだ」

「こんな子供が……手紙を?」


 目を丸くするドヴィッディ。


「この子はニオール師が見出した神童だ。読み書きだけでなく、四則演算もこなすぞ」

「計算も……ですか」


 自分を見下ろす彼の表情から漏れ出る感情。


(あー、お約束だよね。嫉妬、やっかみ、などなど)


 それらの根源となる不信感が、そこに見えた。

 だから、出来るだけ刺激しないように、朴訥さを強調した微笑みで答える。


「初めまして、コニルです。今日からお世話になります」


 そこでお辞儀して続ける。


「よろしければ実演します。問題を出してください」


 しばらくあっけに取られていたドヴィッディだが、気を取り直して腰から下げていた板に鉄筆で書き込むと、コニルに挿し出した。


「なら、やってみろ」


 受け取ったコニルは、目を丸くした。


(これ凄い! 便利!)


 黒い金属板の表面に、白い蝋を塗っただけの物。これを鉄筆でひっかくと、下の黒い板がそこだけ見えるので、文字などが書ける。

 そして、裏面には。


(これ……魔法陣?)


 円の中に五芒星が描かれ、円に沿って呪文らしきものが記されていた。そして中心には「炎」を表す単語が。


「もしかして、この魔法陣で板を熱して、蝋を融かして平らにならすとか?」


 良く見ると、板の四辺には縁取りがしてあって、蝋が流れ落ちないようになっていた。


「お前……見ただけでどうしてそこまで……」


 仰天するドヴィッディに、メリッドは満足げに「ふふん」と笑った。


「どうだ。神童と呼ばれるだけあるだろう?」


 あるじにそう言われて、ドヴィッディは毒気を抜かれた顔になった。

 一方コニルは、蝋板を表に返すと計算式に答えをスラスラと書きこんでいく。


(これいいなぁ、書きやすいし、間違えたら鉄筆の反対側のヘラで潰して消せるし。でも、高いんだろうなぁ)


 石板と白墨よりずっと良い。何より消耗品がないし、粉であたりが汚れることも無い。


「はい、出来ました。それで、あの、これ皆さん持ってるんですか?」


 メリッドは笑った。


「そうだな、値が張るから番頭以上に渡してたんだが。お前ならすぐにでも役立てるだろう」


 そして外を見る。


「そろそろ、店の方も一段落だな。ドヴィッディ、店のものにコニルを紹介してやってくれ」

「……はい」


 コニルから蝋板を受け取ると、「ついて来い」と言って歩き出した。その後をついて行くコニル。


(いよいよ、徒弟仲間との出会いだな)


 仲間であり競争相手。コニルの徒弟生活は、もう始まっている。

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