第9話 癒しの小道と手紙

「待てよシルア」

「待ちませんよ~だ」


 逃げる少女を、少年は追いかける。お互いに笑いながら。

 昼なお暗い森の中だが、親たちが張った強力な結界のおかげで危険な魔物はいない。少女が背中の翼を広げて飛びあがると、リスに似た小型の魔獣が慌てて巣穴へと逃げ込んだ。

 少年も翼を広げて飛び立つ。森の木々の中を、枝をかわし、幹に隠れての追いかけっこ。


「そのくらいにしないと、また魔力切れを起こすぞ」

「いいもん! そしたら、また兄様にチューしてもらうもん!」


 「いー!」とする顔がまた可愛らしいので。


(チューより先までしてやろか?)


 そう思いながらも、五歳児の身体ではなぁ、とため息をつく。


「きゃっ、そこダメぇ!」


 翼と一緒に出てしまっていた、黒くて細い可愛い尻尾を掴み、少年はシルアを――幼馴染で許嫁でもある少女を捕まえた。よほど尻尾がくすぐったいのか、必死に身をよじっている。


「それなら、ちゃんとしまっておけ」

「はーい」


 翼も一緒にしまったので、少年が抱きかかえる形になってしまった。


「ホント、お前って小悪魔サキュバスだよな……」


 幼馴染を抱きかかえて、城までの転移門へ飛ぶ。


(コニルなら羨むだろうけど……結構シンドイぞ、コイツとの人生)


* * * * * *


 首を捻じ曲げて思いっ切り見上げる。小道の入り口にある門の上には、確かに「癒しの小道」という看板がかかっていた。

 意外にも質素なデザインで、淫靡なところは何もない。


(俺も、飾り窓ショーウィンドーを覗くまで気づかなかったしなぁ)


 日が傾いたとはいえ、まだ明るい。窓の中は暗いので見えない。見えないのだが。


(え!? ソリアンさん!?)


 彼女はガラスに手をかざし、その陰で反射を抑えて真剣に中を覗きこんでいる。やがてすぐ横の戸を叩くと、出て来た女性と二言三言かわして、中に入って行った。

 度肝を抜かれて固まってると、ニオールが声をかけて来た。


「コニル、どうしました?」

「今、ソリアンさんが……店の中に」


 ニオールは「ああ」とつぶやいた。


「多分、気に入ったのがあったのでしょう」

「気に入ったって……女の人に?」


 いくら女性同士もOKな教団だからって、まさか。


「そうですね。例えば……これなど」


 ニオールの背後から恐る恐る窓を覗くと。


「……薬?」


 彼が指さすのは、棚に陳列された薬の瓶だった。それぞれ、効能書きが添えてある。咳止め、胃腸薬、傷薬などなど。

 その中の一つには「救心薬」とのラベルが貼られ、「不安を取り除き、落ち着かせる」と効能が書かれていた。


「ここが『癒しの小道』と呼ばれているのは、薬師くすしが店を連ねているからです」

「……じゃあ、あのお姉さんたちは?」

「薬師の見習いです」


(おーけー。昼は薬局で、薬剤師さん)


「で、夜は……別な意味で癒すの?」

「コニル君……」


 ニオールは目をみはった。


「夜、小便に起きたら、父さんと母さんが毛布被って抱き合ってて、『こうしてると癒される』って父さんが言ってた」


 前世の記憶が戻る前だったので、両親の仲の良さだと単純に思ったコニルだが、今なら全部わかる。生前、まったく縁のなかった「男女の営み」と言うやつだ。

 ギリギリ、五歳で理解できる範囲。


「まぁ……そちらは薬師見習いの副業です。ちゃんと効能のある薬は原材料費もかかるので、庶民に安価に提供するために黙認されているのです。その……薬の中にはそちらの癒しに効くものもありますから」


(なるほどな。媚薬とか精力絶倫とか、色々あるんだろう)


 その時、店の扉が開いてソリアンが出て来た。胸に、大事そうに紙包みを抱えている。


「ソリアンさん、何を買ったの?」

「香油です。こちらに赴任してから、どうも夜眠れなくて。これの香りはとても心が安らぐと言うので、薬師の方に薦められました」


 コニルは納得した。


(ようするに、アロマセラピーってやつか)


 さらに他の窓を覗くと、包帯ような医療具や、石鹸などの衛生関係も扱っている。「滋養強壮」と宣伝されてるドライフルーツも。

 まさにこの通りは、異世界のドラッグストアだ。


(教団と薬師が、この世界の医療を支えてるのか)


 確かにそれなら、ここは神官の「お役目」として重要な場所となる。夜の副業の方は、ちょっと納得いかないが……。


(いやまてよ。そっちの重大な問題も薬師が絡むのか……)


 ようするに避妊だ。器具なのか薬なのかわからないが。


(……さすがに、五歳児としては聞くに聞けないなぁ)


 それでも、それが必要な年齢になれば教えてもらえるだろう。もしかしたら、副業のオネーサン本人に。

 そこで、どうしても気になることが出て来た。内容が内容なので、思いっ切りピュアな五歳児の顔で聞いてみる。


「あの……神官さまたちは、夜の副業で『癒し』てもらったりするの?」


 言ってしまってから後悔した。ソリアンは真っ赤になってうつむいてしまうし、ニオールは固まったまま、眼だけが水泳の個人メドレーのように泳法を変えながらターンを繰り返している。


「ま……まぁ、私たちはむしろ『癒す』側ですからね」


 そして、空を見上げて続けた。


「急ぎましょう、そろそろ日が暮れます」

「そ、そうですわね」


 足早に急ぐ二人を、コニルは小走りに追いかけた。


(うーん。この件は触れない方が良さそうだなぁ)


 なんとなく、世界の滅亡には関係しなさそうだ、と感じるコニルだった。


* * *


 大聖堂の裏手の庭園を通り抜ける。流石に、まだ明るいうちから「二人きりで密談」するカップルはいなかった。

 そして、夕べより早い時間に戻ったので、神官であるニオールとソリアンには「お勤め」があった。


「私たちは夕刻の祈祷会に出なければなりません。その間にコニル君は、故郷に手紙を書いてはどうでしょう?」

「あ……そうですね」


 ニオールは手荷物から筆記具を取り出し、テーブルの上に並べた。羽ペンとインク壺と小さなナイフ、数枚の便箋。便箋は和紙のような厚手の物だった。


「羽ペンの先端は書いているうちに潰れてくるので、ナイフで少しずつ削る必要があります。こんな風に」


 コニルによく見えるようにして、削って見せてくれた。


「わかりました、やってみます」


 羽ペンで文字を書くなど、コニルにとっては――祐樹の生涯も通して――初めてだ。慎重にペン先をインク壺に浸け、縁で余分なインクを落としてから、紙の上へ。


『父さん、母さん、トニオ、ケラル、ティナ。みんな元気ですか?』


 最初は、ペン先が紙の繊維に引っかかて上手く書けなかった。しかし、すぐに力の入れ具合がわかってきた。


「大丈夫そうですね。では、祈祷会が終ったら食事を持ってきます」

「じゃあ、後でね。コニル君」


 二人は出ていき、コニルは一人取り残された。静かな室内に、ペン先が紙を擦る音がかすかに響く。

 途中、陽が落ちて暗くなったので、ロウソクを灯す。

 そして、書き進める。ここまでの旅の様子。彼方に見えた世界樹。領都エランと大聖堂の荘厳さ。そして……。


「あー、裏の庭園での密会とか、『癒しの小道』の事は書かない方がいいな」


 何と言っても、この手紙はニオールの後任の神官が家族に向かって読み上げるのだ。そう言った微妙な内容を読ませるのは、さすがにはばかれる。


「代わりにこれだよな。ニオール先生の電撃婚約!」


 自分の「五分de失恋」は脇に置いて、ちょっとセンセーショナルに書いてみる。そして、商家の徒弟となったこと。

 書き終えてみると、便箋三枚分にびっしりとなってしまった。どう見ても、五歳児が書いたものには見えない。


「でも、気になるのは書けなかったことの方だな……」


 裏庭とか小道とか失恋とか。

 そして、商家から出た時に出会った、あの少年。


「ガン見するなら、俺じゃなくてソリアンさんだろうになぁ」


 そこで、ようやく気が付いた。自分が知らなくても相手は自分を知っている、そんな存在に。


(転生クーポン)


 念じると空中に現われる、金メッキの紙片。それを指でつまんでじっと見つめる。


「いずれ、俺は死ぬ」


 病気や事故に遭わなくても、遅くとも五十年後には世界の滅亡と共に。その時に、このクーポンを一枚消費して、「最後の半世紀」のどこかに生まれ変わる。


「あいつはきっと、二回目か……それ以降の俺なんだ」


 今まで実感がなかったが、今ははっきりとわかる。この世には、自分の死に様も含めた全てを知っている者が、九人もいる。そして自分は、彼らの事は何もわからない。

 そう、「彼ら」だ。別な親の元に産まれ、別な人生を生きる彼ら。それはもう、別人と言っていい。


「なんとなく、何度生まれ変わっても、俺は俺だと思っていたけど……」


 この世界に馴染んで、コニルとして何カ月かを過ごしてきて。

 今の自分は、大学生の新藤祐樹と同一人物だと言い切れるだろうか? 祐樹だったら、あの単調な農作業の日々に耐えられただろうか?


「人はやはり、生まれ育った環境に影響されるんだな……」


 そうして十回の人生を終えた時、いったい自分はどうなっているのだろう?

 手にした金色のクーポンを眺めながら、そんなことをぼんやり考えていると。


「おまたせ、コニル君」

「一緒に夕飯にしましょう」


 それぞれ、トレイを手にした二人が戻って来た。


「あら、コニル君……」


 ソリアンがコニルの手元を覗きこむ。それにつられて視線を落とすと。


(あ、クーポン出しっぱなし!)


 金色の紙片を手にしたままだった。

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