第8話 商人のお宅訪問

 商家というのは、どこでも活気がある。多くの人が出入りし、沢山の物資や金が動く。客の応対をする店員。番頭の大きな声が響くと、徒弟たちが走り回る。


「素敵ですわ、見ていて飽きませんね」


 店舗の入り口の横に置かれたベンチから、目をキラキラさせて店内を覗きこむソリアン。

 家名サーネームを持つ以上、下級とは言え貴族の生まれだ。五歳で教団施設に送られたのなら、こうした市井の喧騒は物珍しいに違いない。

 ここまで一気に歩いて来て、疲れたとベンチに座り込んでから動こうとしない。


「……では、メクマール嬢にはここでお待ちいただいて――」

「ソリアンとお呼びください、トレスクさま。あと、わたくしもそのメリッド氏にご挨拶しませんと」


(なんか、俺ってすごく空気)


 確か、ここへ来たのはコニルを商人に紹介するのが目的だったはずだ。しかし、なぜかソリアンが同行し、彼女が「ニオールの婚約者」として挨拶するのが目的だとすり替わってしまっている。


(いや、それより……いつの間に婚約したの?)


 ニオール先生を見つめるコニル。ああ、先生の目が泳ぐ。


「さあ、参りましょう、トレスクさま」

「……ああ」


 ソリアンさんがニオールの腕をガッチリと掴み、引きずるように前へ。そのニオールはなんとかして反対側の手でコニルの手を掴もうとあたふた。


「はぁ……」


 ため息をついてコニルはその手を掴み、後について行った。


(どうしてこうなった?)


* * *


 あたふたするのは、この商家の主人であるアモハ・メリッドも同じだった。

 茶色の短髪をかき上げ、絶賛領土拡大中の額の汗を拭う。


(暖炉の火が強すぎたか?)


 最大の原因は恰幅の良すぎる体格なのだが、そこまで気が回らない。

 長年、懇意にしていた老神官が神童を見出し、この自分が世話を任される。名誉なことであり、その神童が本物なら、まさにありがたいことだ。

 その神童との、顔合わせのはずだったのだが……。


(まさか、こんな若い婚約者を同伴とはな!)


 目の前に座る女神官。清楚な佇まいと裏腹な豊満な胸に、つい目がいきそうになる。その隣の旧友は、照れなのか少しぎこちない。

 信仰と、それに付随した研究一筋の堅物。誠実にして堅実。神官の鑑。

 それがなぜか、俗物の極みである商人の自分と気が合い、親しくしてくれる。それも、お互いの立場を上手く使いこなすことで。


「……あなたが孤児院の院長を退職して以来ですな、こうしてお会いするのは」


 なんとか若い女性向けの茶菓を用意して、旧友とその婚約者と、オマケの神童をもてなす。


「行き場の無くなった子供たちを徒弟として引き受けていただいて、私も肩の荷が下りました」

「今では皆、うちの徒弟たちの中ではベテランです。そろそろ正規の店員にしてやらないと」


 そんな会話を、コニルはビスケットのような菓子をちょっとずつかじりながら聞いていた。


(なにやら、色々と関わってるみたいだなぁ、この二人)


 ニオール神官の年齢を考えると、四、五十年近い付き合いかもしれない。


「それに、あなたの『とりなしの祈り』のおかげで、妻は一命を取り留めましたから……」

「加護は神の御意思です。私は奥方がどれだけ必要とされているかを伝えたに過ぎません」


(なるほどな。そりゃ、恩に着るわ)


「私は晩婚でしたからねぇ。この歳で二人目の子宝に恵まれたのは、まさに神々の恩寵ですよ」


 そこで、メリッド氏はソリアンへ目を向けた。


「そのあなたがご婚約とは。いやはや、お互い長生きするものですなぁ」


(あ、そこに繋ぐんだ)


 ここまでの長話は、そのための前振りだったらしい。

 つつましやかに茶をたしなんでいたソリアンは、伏せていた目を上げてメリッドに微笑み返した。


「あれは……天啓としか思えませんでした」


 静かに彼女は話し始めた。


「ここにいるコニル君が、私たちを引き合わせてくれたのです。まさに神童。神々が使わされた子です」


 いきなり話が回って来て、コニルはお茶にむせた。


* * *


 そして、お決まりの読み書きと計算の実演。


「なるほど、さすがは神童と呼ばれるだけの事はある」


 いつものように感心してくれるメリッド氏。

 このままじゃ賞味期限つきですけどね、とコニルは胸中でごちた。


「商人になりたい、と言うことだが」

「はい」


 ここ一番、売り込まなければ。


「おれ……僕は世の中の事、もっと知りたいんです。いろんな所へ行って、いろんな人に会って、いろんな物を売り買いして」

「ほう。それは面白そうだな」


 興味を持ってくれれば、こっちのものだ。


「そうしてお金も稼いで、世の中の役に立つことに使いたい」

「ほう、例えばどんな?」


 本音は、来世の自分たちを支援することだ。この世界を救うために、あと九回の人生を送ることになる。生まれも育ちも違う、別人としての自分たち。

 彼らが必要とする時に経済的に支えること。前世の知識が役立つとしたら、一応は経済学科で学んでたのだから、商人が一番似合ってる。


 とはいえ、そのままを口にすることは流石に無理なので。


「さっき話に出た孤児院。そう言うのを作って、子供たちに読み書きや計算を教えます。そうすれば、きっと役に立つはず」

「ほう……自分の利点を潰してしまうのか?」


 くすっとコニルは笑った。


「その時はもう、僕は神『童』じゃないですから」

「それもそうだな、ははは」


 そう笑うと、メリッド氏は真面目な顔で続けた。


「よろしい。では、メリッド商会に見習い徒弟として迎えよう。本当なら妻と娘にも会わせたいのだが……」


 ため息をついて。


「折あしく、こちらの冬は厳しいし、ここ近年は毎年疫病があちこちで出るので、今は南にある実家へ帰らせている」


(さいですか……では、あったかくなったらよろしくお願いしますです)


 という程度で、コニルにはどうでもよかった。


「で、あの……見習いになったら、お給金とかは?」


 現実はシビアだ。貰えるものが無ければ、生きてはいけない。


「そうだな。衣食住で言えば、着るものはお仕着せを年に三着与えるから、仕立て直すなりして何とかして欲しい。食は日に三度、粗食だが飢えることは無い。住は店舗の屋根裏になる。寒暖は厳しいが我慢してくれ」


 そっと、ニオール先生の方を見ると。


「今まで見聞きした限りでは、教団の教育施設の寮と大差ありませんね」


(……よし)


 なら、手紙の検閲が無いだけ、ずっとマシだと思えてくる。


 コニルは立ち上がると、深々と頭を下げた。


「かまいません。どうぞ、よろしくお願いします」


* * *


(誰だ、あいつ?)


 商人メリッド氏の家をでると、いきなり通りの向かい側からガン見された。

 相手はコニルと同じくらいの歳の少年。しかしコニルよりずっと粗野な感じで、ありていに言えば山猿をイメージさせた。

 そして次の瞬間には、イメージ通りの俊敏さで通りの人混みの中を走り去ってしまった。


「今の子、お知り合い?」


 ソリアンがそっとささやくが、コニルはブンブンと首を振った。そもそも、昨夜この都に着いたばかりだ。

 ニオールも目をすがめて少年の去った方を見ていたが、二人に告げた。


「用があるなら、いずれあちらから来るでしょう」


 そして彼は歩きだし、腕を組んでるソリアンも従う。


 大聖堂へ戻る道すがら。ソリアンはニオールと並んで歩き、コニルはメリッド氏に渡されたお仕着せの包みを抱えて、その後ろをついて行く。


(空気からさらに、小間使いに格下げされたような気分……)


 なんだか情けない。そんな彼を振り返り、ニオールが言った。


「コニル君。そのお仕着せ、仕立て直しに出しましょう」

「はぁ」

「こっちに、懇意にしている仕立て屋があります」


 この調子だと、大抵の業種には懇意にしている店がありそうだ。


(年の功、てやつかねぇ)


 仕立て屋の店は、都の入り口である門前広場のそばにあった。採寸してお仕着せを預けて店を出ると、日は既に傾き始めていた。


「さて。ここからなら例の小道が近道なんですが。この時刻なら暗くなる前に抜けられるでしょう」


(あの、「春」を売る小道を?)


 しかも今回は女性連れだ。

 前世なら、常識的に考えてあり得ない。

 あり得ないはずなのだが……。


「ああ、先輩方がおっしゃってた『癒しの小道』ですね。わたくしもお役目上、そこへは何度も足を運ぶことになりますし」


(な、なんなのその『お役目』って……?)


 異世界の驚異に翻弄されっぱなしのコニルだった。


* * *


 商家の前で待ち伏せること小一時間。先日の仕事の報告をするため父親と家を出て、帰りに分かれて彼はここへ来た。


(記憶が正しければ今日のはず)


 そして、それは間違っていなかった。男女の神官に連れられて出て来た少年。


(コニル!)


 その顔を見ただけでもう充分だった。確かに彼は、ここにいる。

 走り去る。声をかけるのは、次の機会だ。

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