第7話 初恋の五分間

 壮麗な宮殿の奥深く。高価な板ガラスをふんだんに用いたサンルームで、少年はテーブルについていた。

 午後三時のお茶の時間ティータイム

 かしずくメイドが、恭しくテーブルに皿を置いた。皿に入っていたのはシロップに浸したドライフルーツ。


(これで寒天や黒豆がはいってたら、蜜豆だなぁ)


 そう思いながら、少年は懐から布の包みを取り出した。包みから出て来たのは、お気に入りの銀のスプーン。


(まぁ、用心に『やり過ぎ』ってのはないからね)


 そのスプーンでシロップをひとすくいし、しばらく眺める。


(覚醒する前なら、何も考えずに口にしてたろうな)


「爺や」


 シロップを皿に捨て、傍らの執事にスプーンを見せる。シロップに浸った部分が黒く変色していた。同時に、給仕をしたメイドがその場にくずおれ、震え出す。

 黒ずんだスプーンに、執事も何が起きたか悟った。


「! これは……」

「ただちにそこのメイドと、これを作った者、仕入れ先まで洗え」


 五歳児とは思えぬ口調の命令に、青ざめた初老の執事はただちに従った。

 ガラスの天井越しに、目を細くして彼は空を見上げる。


(全く、毒殺が日常だなんて。皇族なんかに産まれるんじゃなかったよ、コニル)


* * * * * *


 大聖堂の裏手にある庭園には人影がなかった。


「さすがにいくらなんでも、朝っぱらからイチャラブはしないか……」


 ニオールが「商家を当たってみる」と言って出掛けたので、暇になったコニルは散歩しに来たのだった。


「しかし、アウローラ教団が自由恋愛主義だとはなぁ……」


 日当たりの良いベンチに腰を下ろし、懐から小冊子を取り出す。出がけのニオールから渡されたものだ。内容は教団の綱紀をまとめたもの。生徒手帳みたいなものだ。

 これを拾い読みして出て来た感想が、先ほどのつぶやき。

 一応、綱紀に禁忌は書かれている。独身の聖職者同士ならOKだが、既婚だったり相手が一般信者ならNG。最悪、破門とか処刑とか怖いことになるらしい。


「つまり、女性との出会いは十分にあるけど、ハーレムなんてとんでもないな」


 そして綱紀には、なぜか年齢制限がない。まるでロリ・ペドの天国みたいだが、大聖堂には子供、つまり見習いの神官はいない。

 男女とも十五歳までは教団付属の全寮制施設に預けられ、そこで神官の見習いとして教育される。その意味では、きちんと守られているわけだ。


「俺も神官の道を選んでたら、そこに送られたのか……」


 それなら、学園物ファンタジーな展開となったろう。実際、そこで相思相愛となったカップルが卒業後に結婚し、各地へ神官夫妻として赴任することも多いらしい。

 コニルの故郷に赴任してきた若い神官も、春には奥さんである女神官を呼び寄せるという。


「うーん。いざ卒業という時になって、(一人を)選ぶなんて辛いなぁ」


 などと、なぜか自分がモテモテという都合のいい妄想をもてあそんでると。


「何を選ぶんですか?」


 いきなり話しかけられて飛びあがった。

 そのまま「気をつけ!」の姿勢で立つと、神官服が視界を塞いだ。胸のあたりがふくよかで、振り仰ぐと美少女がこちらを見下ろしている。

 そのまま冬晴れの空に溶けていきそうな青い髪。結い上げたうえで左右に垂らした房が揺れている。瞳の色も同じ青。


「あら、それって綱紀手帳よね。あなた、神官見習いになるの?」


 コニルの手にある小冊子を見て、神官の少女は問いかけて来た。


「は、はい……いや、その……ええと」

(美少女! 本物の美少女! しかも巨乳!!)


 頭の中は歓喜と戸惑いでパニック状態。


「ええと、村の神官さまに連れてこられて、神官か商人の見習いに……」

「ああ、それで選ぶのが辛いって言ってたのね」


 すっと、美少女神官はベンチに腰を下ろした。


「じゃあ、相談に乗ってあげても良くてよ。お座りなさいな」

「は、はいっ! よ、喜んで!」


 やや離れて隣に座ると、彼女の方から身体を寄せて来た。


「くっついてた方があったかいでしょ?」

「は……はひっ!」


(あああ、身体の柔らかいところが密着……)


 もはや溶けて流れそうなコニルだった。


「私はソリアン・メクマール。十五歳でまだ新米の神官です。あなたの名前は?」

「コニル……ご、五歳です」

「五歳? それでこれが読めるの?」


 ソリアンと名乗った少女神官は、目を丸くして小冊子――綱紀手帳を見つめた。


「えっと、その、神官様に教わって……」

「そうなの。何才くらいから?」

「いえ、こっちに来る旅の間に――」


 今度はソリアンが飛びあがった。


「一体、どんな遠くから? キルカボシル領内よね?」

「ニルアナ村……ええと、馬車で十日ぐらいです」

「たった十日で読み書きを!? コニル君、もしかして天才?」


 テレテレで頭をかくコニル。


「実は、計算も得意で……」

「ホント? じゃあやってみて!」


 ソリアンが出す問題をスラスラ解いていく。もちろん、いくら簡単だからと鼻ホジなどしない。


「ああ、アウローラさま感謝します! こんな素晴らしい神童に巡り合わせていただいて!」


 感謝の祈りをささげる彼女。

 そのあまりの美しさに、コニルの胸は高鳴った。


(恋だ。これはもう、恋だ。間違いない。この人生での初恋!)


 五歳と十五歳。十歳も年上だ。しかし、十年経てば十五歳と二十五歳。

 うん、イケるイケる、と思ったその時。


「おやおや、コニルはもう新たな信奉者を得たようですね」


 いつもの落ち着いた声。振り向くと、いつの間にか帰って来たニオールが微笑みながらこちらを見ていた。

 コニルは立ち上がる。


「えっと、ソリアンさん、この方はニオール先生。僕を連れて来てくれた――」


 見上げると、ソリアンはみぞおちのあたりで両手を握りしめて震えていた。

 ニオールを見つめたまま。

 そしてそのポーズは、やたら胸の膨らみを強調してしまう。


「あの……あの、わたくし、ソリアン・メクマールと申します。あの……ニオールさまは……」

「ああ、これはどうも。私はトレスク・ニオール。このたび――」

「……独身でいらっしゃいますか?」


 老神官と少年の声が重なった。


「「はぁ?」」


 しかし、ソリアンはグイグイ前に出る。


「あの、もし今、特別な伴侶パートナーがいらっしゃらないのなら……あの……」


 しまいには、ニオールは庭園の隅に追い込まれてしまった。


「どうかわたくしとお付き合いしてください!」

「あ……はい」


 その背後では、コニルが真っ白に燃え尽きていた。


(俺の初恋……五分で終わっちゃった……)


* * *


 年齢差、なんと六十歳のカップル誕生。

 これを奇跡と呼ばずして、なんと表現すればよいやら。


(うん……ニオール先生のショタ疑惑は完全に解けたな)


 テーブルにベタッと突っ伏して、横目で長椅子を盗み見しながら、コニルは思った。そこには並んで座ったニオール先生が、ソリアンに熱く語っていた。


「……というわけで、ニルアナ村の伝承には根拠があったと判明したんだよ、メクマール嬢」

「トレスクさま、ソリアンとお呼びください」


(ニオール先生の話についていけるソリアンさんもすげー)


 なんでもコニルの生まれ故郷の村には、その昔魔物に襲われ英雄に救われた、という伝承があったらしい。ニオールが数年前に赴任した理由が、その伝承の検証だったとか。

 それがあらかた判明したところへコニルという神童が現れたので、引退と帰郷を決心したらしい。

 で、その検証のための地道な努力の内容を延々と話しているのだが、コニルは途中で脱落。伝承そのものには興味があったのだが、話が長すぎる。

 鼻をホジホジしながら思うのは。


(あー、大学に残ってたら、ゼミとか卒論とかでこんなのやらされたんだろうなぁ)


 そこへ、カランコロンと天上から妙なる鐘の音が。


「――おっと、もうお昼ですね。ソリアンさん、午後の予定は?」

「はい、今日は丸一日、お休みを頂いております」


(なるほどねー。じゃあ、お二人でどうぞ仲良く――)


「私は、コニルを連れて懇意にしている商人に紹介してやらねばなりません」

「まぁ。ではコニル君、もう決心を?」


 いきなり声をかけられたので、急いで鼻から指を引っ張り出して丸めて飛ばし、身体を起こした。


「は、はい。えーと、説明書き読んだら教団の施設も面白そうだな、とは思ったけど、やっぱり……」


 すると、ソリアンは腕を組んで目を閉じ、うんうんとうなずいた。


「そうよね。十年間、ほとんど外に出られないし、故郷との手紙も検閲されるし」


(なんだそりゃ、まるで監獄だ)


 一応、宗教施設だからなのだろうが、検閲とは酷い。

 そして、「わかったわ」と何やら一人で納得するソリアン。


「わたくしも、その商人のお宅に同行いたします」


(……え? なんで?)

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