第6話 神と魔と人

「おはようございます、坊ちゃま」


 領主の次男である少年の朝は早い。

 夜明けとともに侍女たちに毛布を剥ぎ取られ、洗顔から着替えまでのフルコース。そして中庭に出て、自ら日課に組み込んだ「ラジオ体操」。


 ――貴族の子女って、絶対的に運動不足だからな。


 もう少し年齢が上がれば、狩りなどたしなんで多少は武芸の学びもあるが、五歳の幼児では望むべくもない。


「背伸びの運動から!」


 いち、に、さんと手足を伸ばす。


「そなたらも、一緒に!」


 背後のお付きの者たちに命じる。いち、に、さんと侍従や侍女も手足を伸ばす。

 そして、昇る朝日を見上げて。


(コニル。お前も目覚めたころかな? ようこそ、領都エランへ)


* * * * * *


 朝日の射す部屋でコニルは目覚めた。

 長椅子から起き上がって、こわばった身体を伸ばす。


「イテテテ……」


 下半身の貞操を守るために、不自然な格好で寝たせいだ。

 で、その元凶との疑いを持ってしまったニオール先生はと言うと、既にベッドにはいなかった。寝間着も毛布もきちんと畳まれている。


(……疑って悪かったな)


 コニルにとっては、「恩師」と言うべき方なのに。


(まぁ、それくらい、この教団の実態にはショックを受けたと言う事で……)


 神官は男女ともに自由恋愛OK。しかも、同性同士すら。フリーダムにも程がある。


「あ……なら、さっさと着替えないと」


 寝間着では下半身の防御力が低すぎる。

 まずは顔を洗って……鏡に映った自分の顔をしげしげと眺める。


(今までちっとも意識してなかったけど、俺って容姿は悪くないんだな)


 姉のケラルはもちろんだが、兄のトニオも黙っていればそれなりだ。妹のティナも成長すれば。

 だからこそ、警戒し過ぎてもやりすぎではない。急いで防具ズボンを装着して防御力を高める。

 そして、ニオール先生を真似て毛布と寝間着を畳んでいると、その先生が朝食を運んできた。


「おはよう、コニル。よく眠れましたか?」

「おはようございます。はい、とても」


 それは良かった、と言いながらニオールは手にしたトレイをテーブルに置き、そこから皿を二人の席の前に並べた。

 そして、席に着いたコニルは気が付く。


(朝食は……冷たいままか)


 夏場の農繁期なら、コニルの家でも冷えたままの夕食の残りで済ますこともあった。でも、寒い時期なら夜中もかまどの火を絶やさず、必ず暖かいものを食べていた。


(文化の違い、あるいは宗教的な戒律かな?)


 と思ったら、席に着いたニオールが胸の前で印を切り、静かに祈り始めた。コニルも手を合わせる。


「恵深い女神アウローラよ、どうか我らの糧を祝福したまえ」


 すると、目の前の皿が淡く光を発し、スープから湯気が上がってきた。同時に、食欲をそそる匂いも。


(すげー! 神様の加護、目の前で見た!)


 女神アウローラになら抱かれても良い。なんて本気で思う五歳児。

 食べ終わると、思わずつぶやいてた。


「なんか、加護って便利だなぁ」

「便利、ですか……」


 食器を片付けるニオールの手が止まった。


(あ、やべ。なんか地雷踏んだ!)


「神の御加護とは、私たち日々祈りを捧げる信徒に対して、必要に応じて助けてくださるもの。便利に使えるものではないのです」


 静かな声でそう告げると、食器を重ねてトレイに載せた。


「今朝は、私たちの到着が厨房の朝の当番に伝わっておらず、夕べの冷たい残りを貰ってきました。誰を責めるのもよろしくないと思ったので、ただ祝福を祈っただけです」

「つまり……加護を与えるかどうか判断するのは、神さまってこと?」

「そうです」


 うなずくと、ニオールはトレイを手にして戸口へと向かった。

 コニルはその後を追う。


(なんか、気になる。これ、魔法との違い?)


 ここまでの旅の途中にふと口にした疑問。その時は追及しなかったが、もの凄く気になって来た。


「ねぇ、ニオール先生」

「なんですか?」


 返事をすると、コニルに会わせて歩調を落としてくれた。


「もしかして魔術師は、魔力を便利に使うだけなの?」


 歩みが止まった。前方を見たまま、ニオールは答えた。


「……そうですね。さらに言えば、魔族や魔物も自分のために自分の意思で使ってます」


 そこが対立点だとしたら。


「じゃあ、加護も魔法も、実際に起きることそれ自体は……」


 結論を言うのがためらわれた。

 ニオールはコニルを見て言った。


「それは部屋に戻ってからにしましょう」


* * *


 部屋に戻って。ニオールは、ずっと上機嫌だった。


「しかしコニル。あなたがここまで優秀だとは、思いもよりませんでした」


 絶賛されても、コニルとしては嬉しくない。前世の知識と言うか、中身が二十歳だから出て来た考えに過ぎない。


「つまり、加護もまた魔法と同じく魔力の現れで、信徒は祈りの形で神々に魔力を捧げ、魔術師や魔族は魔石に溜めるんですね」

「その通りです」


 ニオールはうなずいた。


「魔術師も魔族も、どちらも広い意味では同じ『魔法使いマジック・ユーザー』です。違いは、その魔石を杖などに仕込むか、自らの体内に宿すかです。この魔石を体内に宿すかどうかが、ヒトと魔族の決定的な違いと言えます」


(ヒトと魔族って……あれ?)


 大変な事に気が付いた。


(あの、おチビ女神! とんでもないポンコツじゃねーのか!?)


 取るべきバランスとは、今出て来た『ヒト族と魔族』では無く、魔力を自ら行使するかどうかの、広義の「魔法使い」と「信徒」のバランスのはずだ。

 しかし、ヒト族に魔術師が増えれば信徒は減ることになり、魔族がそのままでもバランスは崩れてしまう。その逆も同じ。

 つまり、ヒト族がすべてを握っている。


「そして、その『広義の魔法使い』が増えることによる最大の問題点は、魔力の強さによって人間の優劣が決まる、不平等な世界になってしまう点です」


 うつむくニオール先生の声が重い。

 コニルはたずねた。


「じゃあ、『信徒』の側での人の優劣って?」

「神々の前では、原則として人はみな平等です。神々から見て『必要』だと認められれば、誰であろうと加護は与えられます。たとえそれが『信徒』でなくても」


 すごく引っかかった。


「信徒でなくても?」

「はい。例えば、先ほどのコニル、あなたです。」

「俺?」

「神は、信徒ですらないあなたのスープも温めてくださいました。自分で祈りを捧げていなくても」

「あ……」


 確かに、神、女神アウローラに、コニルは本気で祈ったことなどない。村の礼拝所には何度か親に連れられていったが、五歳児の祈りなど拙いものだ。大人の物まねでしかなかった。

 そして、前世の記憶が戻ってからは皆無。

 それでも今回は、ニオールの弟子だから「必要」だと認められたのだろう。

 もしニオールが「魔術師」だったら、彼が意図しなければスープは冷たいままだったはず。その場合、コニルはそんなニオールに何らかの報酬を渡すか、ひたすら媚びへつらうかしなければならなくなる。


(教団では、みんなが能力に応じて捧げた魔力を共有し、その時々に『必要』な人に加護が与えられる、てことか)


 これはある種、魔力の共産主義と言えるだろう。「能力に応じて働き、必要に応じて分配する」のと同じだ。


(魔法使いらは、自ら溜めこんだ魔力を、自由に自分の意思で使う)


 まさに、魔力の自由放任主義。

 魔法使いがどんなに善良であろうと、自分の目の届く範囲でしか魔力は行使できない。逆に、邪悪であったら目も当てられない。


(「魔法使い」らのやり方が不味いのは確かなんだけどさ……)


 脳内で必死に考える。


(「神々」が本当に完璧なら、そもそも俺はここにいねーんだよな)


 どっちも欠陥まみれだ。なら、少しでもマシなのは?


(魔法が使えさえすれば……自分の意思で行使したいよな、そりゃ)


 何の特典チートもないコニンに、飛びぬけた魔法の才能があるとは思えない。なら、教団の信徒になればいいかと言うと、それも違う気がする。

 確実なのは、コニンひとりが神々をどれだけ崇めようと、この世界の滅亡は防げない、と言う事だ。


(人々がこぞって神々を崇めるような奇跡を起こせば、「魔法使い」とのバランスが取れるかもしれんけど……)


 自分がそんな聖者になれるとも思えない。それに……。


(この世界の事をろくに知らないのに教団の中で一生過ごしたら、井の中の蛙で終わっちまう)


 なんにせよ、与えられた人生は十回もある。


(色々な人生を全うして、バランスとるのは最後にした方がいいな)


 ……長々と考えを巡らせてきて、ふと気が付くと、ニオールがテーブルに頬杖をついてこちらを眺めていた。


「ニオール先生」

「なんだね」


 その穏やかな笑みを裏切るみたいで申し訳なかったが。


「俺、やっぱり商人になりたいです。この目で世の中をもっと見て周りたい。信仰ってのも、その中で少しずつ……」

「……なるほど、そちらを選びましたか」


 背筋を伸ばしてうなずくと、ニオールは言った。


「それでは、親しくしている商家を当たってみましょう」


 その微笑みは、少し寂しげだった。

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