第5話 領都エランの大聖堂
「九百九十はち、九百きゅうじゅうきゅう……」
子供には重い剣を振り続けて、疲労で腕が震える。それでも振り続ける。
「……せ、せん!」
振り下ろし、そのまましばらく耐える。周囲に何かあれば、いつでも切り上げることができるように。
一呼吸おいて、剣を腰の鞘に収める。そこで体力が尽きて、その場にへたり込んでしまった。
「ほう。素振り千回の後で残心も十分できたか。上達したな」
「父上!」
疲れも忘れて飛び起き、背後の離れた位置から見守っていた父親に向き直る。父が身に纏う鎧が、傾きかけた陽射しに輝く。
「明日からは乗馬も教えよう。最初はポニーからだがな」
「はい!」
少年は、暮れなずむ東の空に浮かぶ、ほぼ真円の月を見上げて思う。
(お前は……領都にたどり着いた頃か、コニル)
* * * * * *
「うおぉ~、こりゃ、都というより城じゃん!」
キルカボシル領の首都、すなわち領都であるエランは、立派な城壁に囲まれていた。高さは大体、三階建て家屋の屋根くらいある。
城壁の外側にも、へばりつくように街並みが広がっている。しかしどうやら貧民街らしく、平屋建てのバラックばかりだった。そのため、城壁の高さがさらに強調されている。
沈みゆく夕日に照らされて、城壁は
(まさに中世ヨーロッパって感じ!)
そして、都の大門では衛兵による厳しい取り調べがあった。
「そこの荷車の二人! 身元を明かせ!」
ニオールはマントをはだけると、神官服の胸元から
「これは! アウローラ教の神官様でしたか、ご無礼をお許しください」
「いえいえ、お勤めご苦労様です。あなたに神々の御加護を」
ニオールは、指で空中に印を切ってそう言った。
大門の内側は広場になっていた。ニオールはそこで手荷物を抱えて荷車から降りた。コニルもそれに続く。
「まずは、大聖堂で報告と手続きがあります。ついて来て下さい」
「はい」
さすがに、ここで放り出されても困るから、同行するのに異論はないのだが。
「あの、報告って……」
「もちろん、あなたの事ですよ、コニル」
やっぱりか、と思うしかない。
(いや、でも神官はねーわ。生涯独身とか)
老神官と並んで歩く。高齢だが背が高く姿勢の良いため歩幅が広い。歩調はゆっくりなのに、五歳児のコニルは小走りになってしまう。ましてや、周囲の景色はヨーロピアン。
「暗くなってきました。近道を行きましょう。こちらへ」
大通りを離れて、何やら看板の書かれた小さな門をくぐり、そこから伸びる小道を抜けていく。
左右に並ぶのは、出窓や
(何を売ってるのかな?)
と覗きこんでみたら、やたら露出度の高いお姉さんと目が合ってしまった。
「あら、可愛いボウヤ♡」
「うぎゃっ!?」
売り物は「春」だった!
と思ったとたん、ニオールに目隠しされて抱え上げられてしまった。高齢のはずなのに、コニルをガッチリと抑え込んでいて、身動き取れない。
「すみませんでした。もっと明るいうちに通り抜けるつもりだったんですが」
どうやら、昼間は別なものを売っているらしい。おそらくは、通り抜けるだけなら神官にも問題の無いようなものを。
……それが何なのかは、全く思いつかないコニルである。
* * *
「すげー」
田舎からのお上りさんそのまま、コニルは大聖堂を見上げてた。
夜の大聖堂は煌々とライトアップされていた。魔法ではなく、「光の女神アウローラの加護」によって。
ここまでコニルを抱きかかえて来た神官ニオールだが、息一つ上がっていない。
「ニオール先生も、すげー」
「とっさに、女神さまの加護に
(前世のファンタジー系の知識だと、
どうやらこの世界には、似たような効果が得られる「魔法」と「加護」があって、それらが対立しているような感じだ。
(その対立が最終戦争とやらを引き起こすのなら、何とかしないとな)
などとコニルが考えている間に、老神官は彼の手を引いて大聖堂の裏手に連れていった。途中に小さな門があり、衛士に
中は庭園になっていた。シクラメンなどの冬の花々が楚々と咲いている。
その中を連れられて歩くコニル。
(なんか……
あちこちの木立や茂みの陰で、若き神官らしきお方々が、なにやら深刻な面持ちで何かをささやき合っている。最初は、後輩が先輩に悩みを打ち明けてるのかと思ったが……。
どうも、男女の組み合わせも目立つし、明らかに熱い目で見つめ合ってるし……同性同士でも。
気が付いたら負け。というか、お世話になったニオール先生に迷惑がかかりそう。前世の知識が、すごくそうささやく。
(ううう、ボク、子供だからワカラナーイ)
そうだ。性別関係なく唇重ねてるなんて、わかりたくない。
やがて、老神官は庭園の奥にある扉から屋内へ入った。コニルが入ると扉を閉めて、ほう、と息をついた。
「やれやれ……どうも綱紀が緩んでいるようですねぇ……」
悲し気に小さく
(……やっぱそれかよ)
神官に対するイメージが、ガラガラ崩れていきそう。
* * *
そして一時間ほど後。
アウローラ教団の偉い神官様たちの前で、算術の問題とか簡単な読み書きとかやらされた後だ。
ニオール先生に割り当てられた部屋で、コニルは質素だが上質な夕食にありついていた。メニューは、何とか噛みちぎれる硬さのパンと、暖かいスープ。
「なにこれ? うまい! うまい!」
単なる根菜などを煮込んだスープなのだが、ちゃんと出汁が出ていて旨味がある。こっちに転生してきて初めてだ。
老神官はスプーンを置くと、そんな彼を微笑まし気に見た。
「美味さの秘訣は、細かく刻まれて入っているキノコですよ」
コニルはスプーンですくったスープをしげしげと眺めてみた。確かに、それらしい小さな角切りがいくつか漂ってる。シイタケみたいなものだろうか?
「今年は豊作でしたから、献品も多かったのでしょう」
「あの……神官さまって、いつもこんなにうまいものを?」
意外に思ったコニルだったが。
「地方にいると、まず食べられませんね。領都でも、献品の多いこの時期くらいでしょう。ただ」
ここで言葉を切って、ニオールは続けた。
「普段食べるメニューそのものは、大司教から平の神官まで同じです」
「はぁ……」
よくわからないので、とりあえず飢えを味覚で満たす方に専念する。
(平等主義ってことかな)
地位の上下に関係なし。普段食べるものは皆同じ。と言う事は、なにか特別な場合は違ってくるのだろう。重要な相手との会食とか。
(まぁ、社長とかが客先の接待のために美味い物食うのは構わないよな。社員食堂に重役専用メニューとかあったら嫌だけど)
で、食べたらあとは今夜は、寝るだけだ。
(問題は……誰と寝るかで……)
「ベッドはひとつしかないから、隣で寝たらどうです?」
ニオール先生に、ベッドに誘われております。
(まぁ、ここまでの旅の途中も寒かったから、毛布にくるまった俺を、先生がさらに包んでくれた。宿屋でも、一緒の毛布にくるまった)
……でも、だ。
ここで支給された寝間着はワンピースみたいなのだ。それはいいんだけど、普段来ている下着は何と、股の間は覆っていない。トイレで用を足しやすいように何だろうけど、無防備すぎるにも程がある。
で、さっきの庭園にいたカップルさんたち。
あれで綱紀が「緩んだ」だけなのだから、この教団ってかなりそっちの方は自由主義らしい。聞けば、神官は男女とも、普通に結婚できるとか。
それで……つい、この年まで独身だったと言うニオール先生を疑ってしまったのだった。
「大丈夫です! この長椅子が、ちょうどいいサイズですから!」
実際には、脚が少しつかえる。だから膝を抱えて脇を下にして寝て、大事なところは太ももに挟んでガッチリとガード。お尻の方は長椅子の背もたれに押し付けて、鉄壁の守り。
「お休みなさい!」
と元気よく告げて、コニルは眠ることにした。
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