第4話 文字と世界樹

 少年の細い指が、くうを切ると、込められた魔力が青い光となって五芒星を描き出す。


「火のエレメンタル、我が魔力に応じ魔石より出でよ……火矢!」


 左手の短杖ワンドの先端にはまった魔石が輝き、吹き出た炎が矢のように飛んだ。矢は庭の向こうの標的、石壁に立てかけた板に命中し、焼け焦げを作った。

 少年の背後に立つローブの男が、フードを下ろすと灰色の目で板の焦げ目を見つめた。


「ふむ。威力はまだ足りぬが、精度は十分じゃな。五歳でここまでなら、この先が楽しみじゃわい」


 少年は振り返ると師匠を見上げた。癖のない銀色に近い金髪と、真紅に近い茶色の瞳。整った目鼻立ちのせいで、いつも女の子だと間違えられるが、本人は負けん気の強い努力家だ。


「はい、よろしくお願いします、デンペルトン先生!」


 鼻息も荒く、東の空を見上げた。


(コニルは今、領都への旅の途中か……)


 日の傾きかけた空には、半月が薄くかかっていた。


* * * * * *


カイオルナイイルルン


 これでコニルKONIL


 生まれ故郷のニルアナ村から領都エランへの長い道のりの間、野営や宿場に泊まるたびにコニルは老神官ニオールから文字を学んだ。

 焚火の揺らめく明かりを前にして、この世界のアルファベットに当たる文字を、白墨で石板に書く。寒さにかじかむ手に、息を吐きかけながら。


カイエルライアルルンタイイルナイアル


 これで、ケラルKERALティナTINA


 名前は単純で、発音をそのままローマ字で書くのと変わらない。しかし、文章となるといきなり難易度が高まる。

 ……どこかの神々に国語能力で苦言を言われた気がするが、それどころではない。

 そもそも、語彙が違いすぎる。


「家族に手紙を書きたいから、文字を教えてください」


 事の起こりはそんなお願いだった。そうしたら見せてくれた例文が。


『拝啓 初冬の候、寒気いや増す中、御身はいかなりや』


 などと始まり、最後は『敬具』で締められている。

 この場合の「漢字」の部分は、ようするに「とても古めかしい長い単語」だと思ってほしい。そして言葉遣いもやたら仰々しい。

 要するに文語体なのだ。


(日本だと確か、明治のころから『言文一致運動』とかあったんだよなー)


 これがなかったら、未だに小説の地の文章など「御座候。」で結んであったかもしれない。


「あのぅ……もっと簡単なのありませんか?」


 五歳の子供が書く手紙に「拝啓」は無いだろう、と思うのだが……よく考えてみると、手紙を書く五歳児など、この世界にいったい何人いるだろうか。

 そう考えると、一緒に焚火を囲む目の前の老神官が困り果てているのも納得だった。


(どの道、手紙を出せるようになるのは、ずっと先だろうしな)


 この国のこの時代、紙はまだまだ高価だった。数十年前に植物紙の製法が東方からもたらされたおかげで、一気に生産量が増えてコストは下がったが、未だに子供がおいそれと買える値段ではない。

 ……らしい。


(と言うより、この国の物価とかが、そもそも全く分かんねぇや)


 冬の間に作らされた草鞋わらじのような履物やかごなどが、春先の市場で父親の酒や母親の手鏡、自分たちの素朴な玩具と置き換わるとき。チャリンと音を立てる硬貨を見たことがあるくらいだ。

 で、分らなければ聞こう。


「俺が領都から村まで手紙を出すには、全部でいくらお金がかかりますか?」

「そうですねぇ。銀貨一枚あれば何とか」


 続けて、貨幣単位のことも教えてくれた。

 銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨。それぞれ、十枚で一つ上の硬貨と同じ。十円玉が十枚で百円玉、というのと同じだ。


 父さんが飲んでた蒸留酒が一本で銀貨三枚。母さんの手鏡が一枚。俺たちが買ってもらった玩具……ケン玉みたいなのとか木彫りの人形とかが、大銅貨数枚。

 どうも、銅貨一枚が十円かそこらの感覚だ。なら、手紙一通は千円。


(ってことは、草鞋とか籠とかいくらで売れたんだ? 一つ十円くらい?)


 高いのか安いのか。しかし、細い指を傷だらけにして必死に編んだのを思うと、ちょっと泣けてくる。


「まぁ、今食べたパンが一つ銅貨五枚ですからね」


 スープに浸してからでないと硬くて食えない黒いパン。日持ちと腹持ちの良さだけを追求したシロモノだ。


(手紙を一通出すお金があれば、一週間近く食いつなげるのか……)


 パンと水、という最低限の生活ではあるが。

 ペンとインク、という最低限の文化となると桁が違う。


「羽ペンは一本銀貨三枚。インク壺は五枚ですね」

「……え?」


 二ヶ月分の食費。これは手紙一通とは別料金だ。銀貨一枚とは、紙と、切手代わりの封蝋、そして配達料だけ。


「銀貨九枚って、徒弟には大金ですよね……」


 がっくりしたコニルを見て、老神官は微笑んで答えた。


「ペンとインクなら貸してあげましょう。紙も一、二枚なら。そうすれば、残りは大銅貨数枚です。貸してあげますから、領都に着いたら早速出してあげなさい」

「……ありがとうございます」


 お金は貴重だ。なにしろ。


(女の子と出会ったら、デート代だってかかるしな!)


 五歳からのデート積み立て貯金も始めなければならないのだ。

 その意味では、家族への手紙もラブレターの練習だ。実の姉とは言え、ケラルも大好きな女の子なのに変わりはない。


 五十年後の滅亡を防ぐのと並行して、女の子とのイチャラブも追及する。それがコニルの生存戦略。


(でなきゃ、モチベーションが維持できねぇよ!)


* * *


 旅の間、コニルはずっと老神官を質問攻めにしていた。特に昼間の荷馬車の上では。

 老神官トレスク・ニオールは下級貴族の三男で、やはり家を継げなかったので、聖職者を選んだという。


「元々、歴史に興味があったので、とても私には適していました」


 神学校の教科は、確かに歴史に関する物が多くを占めている。加えて、地理にも詳しかった。

 ニオールが手荷物の中から取り出した巻物を広げると、それは世界地図だった。とは言え、描かれてるのはこの国の人間が知る限りの範囲だ。

 ユグドラシアと呼ばれる大陸の西端、そこにヒト族の国々はある。その国境線は、北の大氷原と東の魔の森、南と西の海岸線で断ち切られていた。


「魔の森はその名のとおり、魔物や魔族の跳梁跋扈する場所。通り抜けた者はほぼ、おりません」

「ほぼ、と言う事は通り抜けた人がいるの?」

「はい、数十年前に東の国からこの地にたどり着いた英雄、ダイゴ・ド・メクレンスです」


 紙の製法などの技術も、彼がもたらしたと言う。

 つまり、魔の森の向こうにもヒト族の国々はあるはずなのだ。異文化、異なる人種。可愛い女の子。

 多様性、バンザイ!


(でも、どうやって通り抜けたんだろう?)


 英雄と言うくらいだから、もう人外レベルで強いのかもしれない。なんと言っても、ここは「剣と魔法」の世界だ。

 というわけで、教えてニオール先生。


「あまり詳しい事は伝わっておりませんが、神々の強力な御加護があったのか……」


 なにやら語尾を濁すので。


「……それとも、魔法とか?」


 すると、柔和な老神官には珍しい渋面となった。


「そうかもしれませんが、魔法となると私にはお答えしかねます」


 なにかそこには禁忌タブーがあるらしい。


(聞きたいけど、後にした方がよさそうだな……)


 とりあえずは、地理の話の続きだ。


「ユグドラシアって、どんな意味?」

世界樹ユグドラシルが根を張る大地、という意味です」


(世界樹……一気にファンタジーっぽくなってきたぞ!)


 地図の南東、魔の森の南端の海岸近くに、かなり大きな樹木が描かれれていた。こずえの方が、前世のテレビCMで見かけた「この樹なんの樹」みたいに枝が広がって、半球状になっている


「幹の太さは、帝都レクアサンドリアの城壁がすっぽり入ってしまうほど。その梢の高さはどんな高い山よりも高く、大陸の開けたところならば、どこからでも見えるほどです」


(すげえな。日本の富士山並みか)


 関東平野のどこからでも見えるから、あちこちに「富士見台」とかの地名があった。


「ちょうど、そろそろ見えてくるころですね。ああ、あのあたり」

「え?」


 神官ニオールが指さす彼方。故郷の村からずっと南側にあった山脈が切れ、地平線が広がっていた。


(あれは……!)


 最初、満月が昇って来たのかと思った。だが月なら既に、そのずっと上に薄く半月がかかっている。

 だからこれは、絶対に月ではない。

 晩秋の青空も白くかすむ遥か彼方、それこそ藤色に連なる山脈のさらにその向こう。ただ浮かんでいるように見える、薄紫色の伏せた半円形。だが、目を凝らすとそれを支える幹も見えて来た。


「あれが、世界樹ユグドラシル……本当にあるんだ」

「……それもまた、定かではないのですが」


 老神官の意外な言葉に、コニルは振り向いた。


「どういうこと?」

「あまりに遠くて、しかも間に魔の森があるため、未だかつてあそこまでたどり着いた者は一人もいないのです。そのため、幻影なのではないか、とも言われてます」

「へぇ……」


 もう一度、世界樹を見る。確かに遠い。空でも飛んでいかない限り、たどり着けないだろう。


「そんなわけで、あの世界樹は神々の住まう場所だとも、魔王の城があるとも言われています」


(まるで逆の伝説じゃねーかよ、それ)


 適当過ぎないか、とコニルは逆に心配になる。


(でも、世界の滅亡を防ぐには、いつかあそこに行くことになるんじゃ?)


 ほとんど本能的にそう思うのだった。

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