第3話 神童でいる間に

 少年はナイフを握った手を見下ろした。たった今仕留めた魔物、ジャイアントラットの返り血で真っ赤だ。手拭いでそれを拭いながらつぶやく。


「くそっ。またオヤジにどやされるな」


 魔物の血には病魔が潜んでいる。そう父親に教えられていた。要するに病原菌だ。触れないに越したことは無い。

 周囲にそれ以上潜んでいない事を確認して、彼は魔物の首筋を切り裂いた。小型犬ほどあるそれの尻尾を掴んでずるずると引きずり、他の死骸と一緒に尻尾をロープに縛り付ける。


「終ったぜ、オヤジ!」


 狭い下水道の竪穴から呼びかけると、ロープが引き上げられた。が、竪穴の途中で止まる。ここで血抜きをし、流れ落ちた血が他の魔物をおびき出すことになる。

 それをまた明日狩るのが、見習い冒険者としての少年の仕事だ。

 竪穴の取っ手を掴んで登って行く。その先は秋晴れの青空。


(そう言えば、アイツはもう目覚めたかな?)


 まだ会ったことのない、しかし他人とは言い難い相手の事を、少年はふと思うのだった。


* * * * * *


「……はい、全部正解です」


 村でただ一人の老神官は、手にした石板を机に置くと、胸の前で祈りの印を切った。その手が震える。


「おお、麗しき光の女神アウローラよ感謝します。このような神童とお引き合わせいただけるとは……」


 老神官の名はトレスク・ニオール。この世界の平均寿命に比べると、格段に長生きの七十代だった。その長い人生で初めて出会う奇跡に、背の高い痩せぎすな身体をまっすぐに伸ばして祈りをささげた。

 その姿を見上げて、コニルは胸の中でつぶやいた。


(……神童って年齢制限あったよな)


 十で神童十五で才子、二十過ぎればただの人。

 賞味期限が五年かそこらでも、利用できるうちに何とかしないと転生クーポンを一枚無駄にするだけだ。無抵抗で世界の終末に付き合わされることになる。

 ならば、一刻も早くこの村を出るべきだ。


(女性との出会いのためにも!)


 コニルが計算が出来ると知った両親は、確かめるべく礼拝所の扉を叩いた。何しろ、自分たちでは答えがあってるかわからない。


「コニル君は四則演算ができます」

「し、しそくえんざん?」


 父親は目を白黒させた。


「足し算、引き算、掛け算、割り算です」

「わ、割り算って……」


 掛け算までなら、まだ何とかなる。しかし、無学な父親にとって割り算は全くの未知の世界だった。


「コニル君。ここにリンゴが七十一個あるとする。十五人で分けたら一人当たりは?」


 こんな時、父親のような普通の村人なら、一人に一つずつ配って終わりだ。手はかかるが考えなくて済む。

 しかし、コニルは鼻ホジホジしながら答えた。


「四個ずつで十一個余る」


 外見は五歳時だが、中身は一応二十歳の大学生だ。さすがにこのくらいは出来る。さらに、肉体が幼児だからか記憶力も良い。


(でもなぁ……特典チートというほどじゃないし)


 それでも感極まった老神官ニオールは、「とてもありがたい話し」を両親に持ちかけてくれた。


「実は収穫祭の後、後任の神官と交代で、私は引退する予定なのです」

「それは……お役目、ご苦労様でした」


 急に話題が変わって、戸惑う父親。


「それで故郷の領都エランに引き上げるのですが……よろしければコニル君を同行させ、都で見習いの神官か、商人の徒弟として奉公させませんか?」


 コニルは内心ガッツポーズだった。


(都会キター! 女の子との出会い!)


 もちろん、神官ではなく商人の方で。神官でハーレムは流石にヤバイし、先立つモノが無ければ何もできない。


 一方、父親の方はうろたえていた。


「え? いや……それは……」


 コニルは大事な息子であり、それ以上に大事な労働力だ。あと何年かすれば、今の長男のトニオぐらいには働いてくれる。それを今すぐ失うのは、大きな痛手だ。


「父さん。俺、一生懸命働いて、お給金を貰ったら家に送るから」


 目をキラキラさせて――ギラギラかも――コニルは父親を見上げた。

 現金収入など、村ではほとんど得られない。精々、冬の間に麦藁むぎわらやなぎでゴザやかごなどを編んで、それを市場で売る程度だ。

 そうして得たわずかな現金で、ちょっとしたアクセサリーや酒を買う。それがささやかな贅沢だった。それ以外に、現金の使い道はほとんど無い。

 父親は思い悩んだ。


(俺は……贅沢のために息子を売り飛ばすのか?)


 ところが、その息子の方はまっすぐな目で見上げてくる。


「俺、文字を習いたい。『本』と言うものをたくさん読んで、色々な事を知りたいんだよ。いろんな所に行って、いろんな物をみて、いろんな人に会いたい!」


(特に、可愛い女の子と!)


 そこにいたのは、自分には全く分からない「知識(+女)」というものを追い求めようとする少年だった。まるで全くの見知らぬ他人のように思えて、父親は内心薄気味悪くさえ思った。


「そうか……なら、好きにすると良い」


 だから、少し突き放すように答えてしまった。

 すると、どうだ。


「ありがとう、父さん!」


 満面の笑みで抱き着いて来るのは、確かに息子のコニルだ。ずっとこうして、父親にくっついて仕事を真似たりしていた。


(長男のトニオと比べると、おとなしくて内気かと思っていたが……)


 ふと見ると、傍らで妻がそっと涙を袖で拭いていた。


「男の子、ですからね。次男だから、いつかは家を出なきゃならない……」


 袖が目頭から放せなくなった。涙が止まらない。


「それでも……それでも、あと十年くらいは、側にいて欲しかった……」

「母さん……」


 やはり、五歳児の身体に、そしてコニルとして育ってきた記憶に引きずられるのだろうか。両親にすがってすすり泣くその胸中では、前世の新藤祐樹としての人格は居場所がなかった。


(そう言えば……俺の両親はどうなったかな……)


 あの震災に巻き込まれていなければ良いが……。果たして一人息子の死を乗り越えられただろうか。

 今となっては、知りようがない。


* * *


 収穫祭の当日。

 コニルは息をするのも忘れて、姉の舞踊る姿をその目に焼き付けていた。

 取り立てて美少女と言うほどではなくとも、ケラルは素朴で可愛らしい娘だ。若草色の髪に挿したかんざしは、舞に参加する全員が貰ったものだ。キラキラ光っているのは、このあたりでどこでも拾える石英質の石を磨いたもの。

 なのに、コニルには姉のものが一番輝いて見える。他の娘たちは目に入らない。


(もう十年あとなら、惚れちゃったかもなぁ)


 コニルとしては大好きな姉だが、新藤祐樹としての人格はまだ少し溶け残っている。ケラルが十七歳になったら、どんな美少女になっているか。

 今更ながら、村を出ていくのがちょっと惜しくなってきた。


「なんだコニル。その串焼き、食わないのか?」


 しかし、食い盛りの兄トニオにとっては、当然ながら妹のことなど眼中にないらしい。


「いいよ。あげる」

「にーちゃ、どした? おなかいたい?」


 ティナが心配そうに見上げる。こっちは純粋に、妹として可愛い。


「痛くないよ。それより、お姉ちゃん。きれいだろ?」

「うん。ねーちゃ、きれい! きれい!」


 どことなく和楽のような響きの調べにあわせて、少女たちの舞の列が村の広場を練り歩く。

 その光景は深く魂に刻み込まれ、コニルの生涯を――いや、祐樹の十の人生を通して輝き続けることになるのだった。


* * *


 翌朝。

 年貢を領都へ送る荷車の列に同乗し、コニルと老神官ニオールは静かに語りあっていた。


「本当に、これで良かったのですね?」

「はい。俺にはどうしても、やりたいことがあるんです」


 つい先ほどの、村の出口での見送り。

 姉と妹に泣かれて、家族との別れは湿っぽくなってしまった。幼いティナが泣いてしがみついて来るのは予想していたし、母が抱き上げているうちに泣き疲れて眠ったのもそうだ。

 だが、その後でケラルが涙でグシャグシャになりながら抱きしめて来たのは、予想外だった。


「うわあああん! コニル、コニル」


 それでも、決して「行くな」とは言わない。そこは偉いな、と思ったコニルだった。


「……姉さん」


 背中に手を回して、ポンポン叩いてあげる。どちらが年上かわからないが、中身で言うなら祐樹の魂を宿したコニルの方だろう。


「文字を覚えて手紙を書くよ。新しい神官様に読んでもらってね」


 何度も何度も、ケラルはうなずいた。それでも、涙は止まらない。


 あるいは彼女は、無意識のうちに悟っていたのかもしれない。村を出ることで、コニルが「家族」からいなくなってしまうことに。

 年末年始の休みで行き来できる距離なら、毎年、里帰りが出来る。しかし、領都までは遠い。よほどのことが無ければ、もう戻ることは難しい。


 そんな出来事のあった村の出口は、もう見えない。今生こんじょうのコニルとしては、生まれて初めての遠出だ。

 身を切るような想いと同時に、希望もまた溢れていた。


(今度こそ、彼女をゲットだぜ!)


 ……野望も欲望も渦巻いていた。

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