2-2 時任家の夕飯
「朱華ちゃんのお弁当って、もしかして手作り?」
座った膝の上に弁当箱を広げて昼食準備に取り掛かる朱華に、砂音がそう訊ねた。
この場合、おそらくは自分で作っているのかと訊きたいのだろう。
「ああ、まぁ……今一人暮らしだからさ」
料理なんて女の子らしいスキルは自分には何だか不似合いだと思うので、何とはなしに照れて語尾を濁してしまう朱華だったが、砂音の方はそんな事は気にする様子もなく感嘆の声を上げた。
「すごい! 偉いねぇ、朱華ちゃん」
「べ、別に凄くも偉くもねーし⁉ 普通だし⁉」
「普通の事を普通に出来るって、凄い事だよ。俺なんか、高校入ってからはずっと一人暮らししてたのに、全然自炊出来てないんだよ」
おや、と思った。
「音にぃも一人暮らしだったんだ」
「うん。実家からよく食べ物送られてくるから、それに甘えちゃってさ」
「ああ……確かに
砂羽さんとは、時任 砂羽――砂音の母親の事だ。砂音によく似た、ほんわかとした雰囲気の可愛らしいお母さんだが、何かと子煩悩というか息子に構いたがる傾向のある人だったので、手料理を送り付けてくるのは想像に難くない。
「そうそう、昨日母さんと電話で朱華ちゃんの事話したんだ」
「え?」
鼓動が跳ねた。
「懐かしいねって。また今度、昔みたいに一緒にご飯したいねって、言ってたよ」
――昔みたいに。
当時の記憶が、瞬時に朱華の脳内から引き出された。忘れた日など、無かった。
朱華が時任家の夕飯に同席するようになったのは、砂音と仲良くなってからすぐの事だった。
学校帰りに公園で遊んだ後、夕方五時のチャイムと共に皆が家路に着く中、朱華だけがいつまでも帰ろうとしないので砂音が気になって訊ねたのだ。
「朱華ちゃんは、まだ帰らないの?」
すると、朱華は俯き加減で少し困ったように話した。
「……うち、共働きだから。帰ってもまだ誰もいないし」
広い部屋に、一人きりで居るのが嫌だった。それなら公園でブランコにでも乗って待っていた方が、まだ気が紛れる。そうして朱華はいつも時間を潰していたのだが、砂音はそんな彼女を心配したのだろう、こんな提案をしてきた。
「それなら、朱華ちゃんもうちにおいでよ」
「えっ? でも、悪いし」
「大丈夫! うちの家族みんなきっと歓迎するよ! それに、女の子が遅くまで外で一人でいるのは危ないよ」
「おっ、女の子……いや、あたし女には見えないだろうから、平気だと」
「そんな事ないよ。朱華ちゃんは可愛いんだから」
「かっ⁉」
「朱華ちゃんのご両親が帰ってくるまで、うちで待ってればいいよ。ね?」
こうして半ば強引に押し切られる形で、朱華は時任家にお邪魔する事になったのだった。優しい彼の事だ。何よりも彼女を一人にして寂しい想いをさせたくなかったのかもしれない。
時任家は和風の一軒家で、子供心にも大きな家だった。
気後れしながらも砂音の後に続いて玄関の門を潜ると、「ただいま」を聞き付けて真っ先に飛んで来たのは、砂音によく似た小さな男の子だった。
「兄ちゃん‼ またおれのTシャツ着ただろ‼ 兄ちゃんのがでかいんだから、のびのびじゃんか‼」
びろびろになったTシャツを掲げながら玄関まで駆け付けてきた少年は、砂音の後ろに見知らぬ少女(最も、この頃の朱華は殆ど男の子のように見えたのだが)の存在を見付けると、石のように固まってしまった。
「ああ、ごめん。
あまり悪びれた風もなく砂音がのほほんと返すと、今度は羽音と呼ばれた少年の後ろから、二人の声を聞き付けたのだろう、二十代にも見える若い女性が顔を出した。
「あらぁ、ごめんねぇ~羽音。お母さん、また間違えて砂音の服と一緒に畳んじゃったのねぇ」
それから、その女性も朱華の存在に目が行くと、大きな丸いヘーゼルの瞳を一層くりくりと丸くして「あらまぁ」と、のんびり零した。
その女性こそが砂音と羽音兄弟の母親、砂羽だった。
砂羽は朱華をすぐに気に入り、夕食に誘った。初めは遠慮しきりの朱華だったが、やはり押し切られて参加する事となった。砂音といいこの人といい、ふんわりした雰囲気の人なのに、こうと決めたら意外に押しが強い。
砂音羽音兄弟と共に砂羽の夕飯作りの手伝いをしていると、その内に大黒柱の時任
時任家の父、音也は物静かで穏やかな人で、夫婦よく似た優しい雰囲気を持っていた。長男の砂音も二人にそっくりなほんわか属性だが、次男の羽音だけがこの一家の中では良い意味で〝普通〟だった。
「あら、大変。砂音がお金を振り込んで欲しいって」
母親がオレオレ詐欺の電話に出て慌てていると、
「母さん! 兄ちゃんそこにいるだろ!」
的確な指摘を飛ばし、
「あれ、父さん会社の書類何処へやったかな」
探し物をしている父親に、
「父さん、その書類尻の下。さっき自分で椅子に置いただろ」
冷静に教授する。
そんな母親と父親と一緒になって慌てたり首を傾げたりしている
このように、言っては悪いが天然ボケ
短時間の間にもツッコミ疲れて息切れ気味の羽音少年が若干不憫にも思えたが、彼は彼なりに家族の事を大事に思っているらしい事はすぐに分かった。
「全く、おれがいないとしょうがないな」と溜め息を吐きながらも、それは何処か温かい響きを持っていたから――。
そんな感じで、時任家の夕食は至極賑やかなものだった。
余所者の朱華でも気後れせずすぐ馴染めるよう、彼らはよく話し掛け、笑い掛けてくれた。
成程こんな家族に愛されて育ったからこそ、砂音のような心根の優しい人が出来たのだろうなと、朱華は納得したものだった。
砂羽さんの料理も、甘い味付けが多いがどれもとても美味しくて、普段コンビニ弁当ばかりの朱華には心に染みる味だった。
彼女の料理を一口食べた後、朱華がじんとして押し黙ってしまったら、
「あら、お口に合わなかったかしら?」
と、大いに心配させてしまったくらいだ。
「いえ! めちゃくちゃうまいです! うまくてビックリしました!」
慌てて朱華が返したら、砂羽は大喜びしてくれた。それで一層気に入られたのだろう、
「また来てちょうだいね、朱華ちゃん」
帰る時にくれたその言葉も、社交辞令ではなくて本気の言葉だったようで、その後砂音から砂羽が朱華に会いたがっていると何度もお誘いを受け、朱華はすっかり時任家の食卓の常連となっていったのだった。
彼らと共に過ごす夕飯の時間は、朱華にはキラキラとした宝物のようで……温かくて、眩しくて、とても幸せな空間だった。
――それなのに。
その空間を、朱華自らがぶち壊してしまったのだ。
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