第1話

 外に出ると、グレーの空が広がっていた。何度も通ったはずの道が、やっぱり彼女がいないというだけでどこかよそよそしい。初めて来た外国の道みたいな寂しさと不安が充満しているように思えた。


 駅前まで行っても、どんよりした雰囲気は変わらなかった。ほとんどの飲食店が閉まっていて、衣料品店は裸のマネキンが虚しく気取ったポーズをとっているだけだった。


 駅前にある広場に出ると、十数名の人影が見えた。人影の中心には、製作者もその意図も不明のモニュメントがあった。くねくねとした棒が何本か絡まり合った形状のモニュメントの周りで、人々は皆スマホを構えて写真を撮っている。


 彼女がこのモニュメントのことをよく「芋虫の交尾」と揶揄して大笑いしていたことを思い出した。そのたびに「いや、交尾するのは蝶とか蛾の方だよ」と訂正していたことも同時に思い出し、僕も少しにやけてしまった。


 彼女はどこに行ってしまったのだろう。

 そして、どうして僕は彼女の名前を思い出せないのだろう。


 いろんな不安が吐瀉物となって口から噴き出しそうになるのを、息を止めて何とか抑え込む。彼女のことを尋ねるために、僕は、細長い棒につながったスマホで、モニュメントをバックに写真を撮る女性に声をかけた。女の人は20代前半に見える。


「すいません、少しいいですか?」

「……はい? 何でしょうか」

「とある女の人を探しているのですが……」

「はぁ……その女性のお名前は?」

「それが、ちょっと忘れてしまいまして……」

「え? それじゃあその人の服装とか、体型とか、特徴は?」

「うーん。説明するのが難しいのですが、焼き立てのパンみたいな温かさがあって、良い匂いがします。なんだかそこにいるだけで回りが柔らかく光ってるみたいな、そんな女の人なんですけど……」


 ぼくがそう言うと、目の前の若い女の人は呆れたようにため息をついた。


「そんなこと言われても、わかりませんよ。主観的すぎる」

「でも、そうとしか説明できないんです」

「……それじゃあ私は力になれませんね。他を当たってください」


 女の人はつっけんどんにそう言うと、自撮りに戻ろうとした。僕は何とか会話をつなげるために「あなたは今何を?」と聞いた。女性は怪訝そうな顔をしながらも一応反応してくれた。


「何って……見てわかりませんか? 写真を撮ってるんです」

「はぁ……なぜここで?」

「ここ、ネットで特集されてたんですよ。これ」


 彼女はスマホをいじり、画面を僕に見せてくれた。表示されたページには「滅亡までにめぐっておきたい10の場所!」という陽気なタイトルがつけられていて、確かにその中に目の前の奇妙なモニュメントも取り上げられていた。


「はぁ……確かに載ってますね。ここ」

「でしょー? これで半分くらい制覇したんですよ」


 女の人は少しだけ得意げに言った。しかし、地元の人間の僕からしてみれば、このモニュメントは人生の最後にわざわざ足を運ぶようなものには思えなかった。

 僕の微妙な感情が視線で伝わったのか、目の前の女の人も寂しげな表情になって言った。


「……分かってるんですよ。バカなことしてるなぁって。もっとするべきことあるんじゃないかって。私だって、隕石が落ちてくるってわかった時、残された時間で何か特別なことをしたいって思ったんです。でも……」


 女の人は小さく息を吐いた。表情は変わらず寂しげで何かを後悔しているようにも見えた。


「……特別なことをしようと思った時に、何をしていいか分からなかった。だからとりあえず美味しいお店とかきれいな観光地とかを雑誌とかネットで探してたんです」


 女の人はスマホを操作して、いろんなページを見せてくれた。どのページにも「死ぬ前に行っておきたい!」「食べずに死んだら後悔する!」といった煽り文が散見された。


「でも、実際に行ってみても『これだ!』っていうのが見つからないんです。何をやっても『ああ、特別なことをしたな』って感覚が得られないんです。これが自分の最後でいいのかなって思うと、どれも不十分な気がして……。いくら探しても見つからなくて、時間だけがどんどん過ぎていって、すごく息苦しくなってきて……」


 そういいながら、女の人は本当に苦しそうな表情になった。みるみる顔から血の気が引いていき、吐き気を我慢しているようにも見えた。


「大丈夫ですか?」

「写真、写真を撮らなきゃ。とりあえず記念に、かわいいのを、映えるのを……」


 そうぶつぶつ呟きながら、女の人は自分にカメラを向けて写真を撮り始めた。何枚か写真を撮っていると彼女の表情は少しずつ正常に戻っていった。


 写真を撮ることが、彼女の旅や食事の目的の一つになっていることは明らかだった。写真を撮ることで、自分の思い出を保存することで、彼女が求める「何か特別なことをした」という感覚が、ある程度満たされているのが見て取れた。


 僕は邪魔しないように、そっとその場を離れた。離れる直前、女の人は写真ではなく動画を撮り始めていた。カメラに笑顔をむけて手を振っている。


「……ところで、その撮った写真とか動画って、いつ見返すんだろう」


 頭に浮かんだ疑問を、僕は頭を振って払いのけた。それは僕には関係ない話だ。


 振り返られない思い出にどれほどの価値があるのか、僕には分からなかったし、雑誌やネットにあふれる幸せの形を追う事で本当に幸せなシュウマツが過ごせるのかも分からなかった。


 とにかく、僕は彼女を探さなければならない。僕は駅前の広場を後にした。

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