窒息金魚

伊島糸雨

窒息金魚


 小学校の同窓会があるというので、地元に帰ることになった。

 年末年始以来、初めての帰省だった。

 春の終わりと夏の始まりの間の季節は、肌に張り付く湿度の高さと奇妙な肌寒さをもって私を迎えた。念のためにと持ってきた薄っぺらい上着を羽織って二の腕をさするけれど、べたつきが増すばかりで、不快感は拭えなかった。

 空には重たい色の雲が垂れ込めて、こんな時に限ってと思わなくもないけれど、想いが届かないのはいつものことだ。大学生になって20歳も過ぎて、一通りの合法的な不健康さを享受していく中で、物事を諦めるのが上手くなったような気がする。たぶんこれからもっと上達していくんだろうなと、飲み会の後の帰り道でくたびれたサラリーマンを見るたびに思った。

 かつてはこの目に映ったはずの青い春はどこかに消えて、目の下には隈、眼窩に植わった濁った瞳が鏡に反射する。必要最低限の他者に配慮した化粧で顔を覆って、口角を人差し指で持ち上げて笑顔の練習。無駄な争いを避けるためのエチケット。

 昔はもっと純真だったのにな、と思う。まだ幼く、分別の程度も種類も今とは違う。

 人との関わり方も変わった気がする。私は同窓会なんかに行って、いつの間にか失ってしまったものを取り戻そうとでもいうのだろうか。過去を偲んで、色褪せつつある記憶を手繰って。

 思い出に花を咲かせる。過去の姿を共有する。

 それはまるで、死者の葬列のように。


 人付き合いは得意な方ではなかった。ただ、できるなら会っておきたいと思う相手がいないわけでもない。そういうのがあって、私はそれだけのために同窓会への参加を選んだのだった。

 小学生の時、縁日の遊びがやたらとうまい友達がいた。

 シノダという名前で、射的の景品もスーパーボールも金魚も、一人で取れる限界まで持っていくようなやつだった。普段から奇行が目立つ変人ではあった。ただ、手に入れた景品を分けてくれるからと仲良くしていた。

 成人式に彼女が来ることはなかった。だから望み薄ではあったけれど、理由としてはそう悪くないと思っていた。



「死んだってさ」

 なんの感傷もなく、煙草の灰を落としながら友人は言った。

 折れてこぼれ落ちたひとつながりの灰を、芋虫みたいだと思う。

「へぇ、そうなんだ」

 意味の浸透は思いの外にスムーズで、言葉なんてものはアルコールに混じって気化して消える。

 自分でも驚くほど、感傷も何も湧いてはこなかった。

 会いに来た相手が自分の知らないところで知らないうちに死んでいた。

 地球の裏側で名前も何も知らない誰かが死ぬのと、それはどこか似通っている。

 薄情なものだった。

「自殺だってさ。風呂場で溺死だったかな」

 友人はそう言うと、誰かがレモン汁をかけた唐揚げを箸でつまみあげて、口に放り込んだ。彼女が頬を膨らませて咀嚼するうちに、私はぬるくなったビールを飲み干した。

 もったりとした舌触りは、しつこさを伴って胃に満ちる。

 自殺、溺死と聞いて、なんとなく、吐瀉物に混じった酸欠の金魚を思い出した。

 酔いの回ってきた脳みそは、ここに存在できなかった人間の影を空席に宿す。ぼんやりと霞む姿で、私のことをじっと見つめている。

 神社の境内に敷き詰められたたくさんの屋台。

 藍色と混じる茜色の空の下、茫漠とした白熱電球の明かりたち。

 先を行く少女が、こちらを振り向いて笑っている。



 最初にシノダを見たとき、変なやつだと思った。

 新学年の最初の日、子供心にそわそわしながら教室に入ると、彼女はとっくに登校していて、中身をぶちまけたランドセルの中に頭を突っ込んで眠っていた。私はぎょっとして、しばらくの間入り口で立ち竦んでいた。

 時間が経つにつれ、シノダはクラスの中で着実に孤立していった。

 誰もが彼女を変人扱いしたし、事実彼女は奇行が目立って、クラスの秩序というものを乱すばかりの存在だったからだ。担任の話は聞いていない。授業中にはどっか行く。話を振ってもまるで喋らない。私自身、そんなシノダのことを疎ましく思ったりして、できるだけ避けるようにしていた。

 本格的に関わるようになったのは、蝉が鳴き始め、気温も湿度もうなぎのぼりの七月のことだった。ふらっと出かけた地元の縁日で、私はシノダと会うことになる。

 親にもらった小遣いを握りしめて屋台の間を練り歩いていると、射的の屋台の前にシノダがいるのが見えた。私は一応顔を知っている相手ということもあって、後ろから彼女の様子を眺めていた。

 シノダは次から次へと弾を当てていった。ぽこんぽこんと音が続き、彼女は着実に景品を落としていく。私は思わず「すご」と声を漏らして、それが耳に入ったようだった。

 さっと振り向いた彼女は、私と目を合わせると、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべた。

 今なら思う。あの時本当に純真無垢だったのは、シノダただ一人だったのだ。

 彼女は射的を終えると、手に抱えた景品を持ったまま私に近づいて、その半分を押し付けてきた。「いる?」とかそういう問いかけもなしに、ただ強引に。

 私は反射的にそれを受け取って、「もらっていいの?」と聞いた。彼女は一言も喋らずに、大きく頷いた。

 たったそれだけのことだった。たったそれだけだったけれど、当時の私からすれば仲良くしようと思うには十分だった。純粋というより、単純といった方がいいかもしれない。

 その日一日を、私はシノダと過ごした。どの出し物も私がやるより彼女がやるのを見ている方が面白くて気持ちが良かったから、彼女の手持ちがなくなると私の分を差し出した。彼女が時折見せる微笑みが、電球の光に霞んで朧げに映っていた。

 最後は金魚すくいだった。あの薄っぺらなポイを破らずに金魚をすくうというのが、私からすると既に未知の領域だったのに、シノダときたら破らないどころか次から次へと容器に放り込んで、ここでもやはり上限までかっさらっていった。

 ビニール袋にギチギチに詰められた金魚たちは妙にグロテスクで、うぞうぞと蠢いて窮屈そうだった。白や赤のコントラストに、一対の銀と黒の眼球がいくつも並んでいた。私はその袋を持つのを拒んで、シノダは首を傾げつつ袋の口をきつく握りしめた。それだと酸欠で死ぬんじゃないかと思ったけれど、シノダのものだし好きにすればいいやと黙っていた。

 終わりまではまだ時間があった。私はまだ回るのかと思っていたけれど、シノダは予想に反してどんどん屋台の群れから離れていった。私は意図がつかめないまま素直に後を追って、やがて人気のない畦道に出る。

 鉄塔から伸びる電線が頭上を這って、カラスがどこかで鳴いていた。少し離れた道路を自動車が次々通り過ぎていく。シノダはふと立ち止まると、道路に背を向けておもむろにビニール袋の口を開いた。

 何をするつもりだろうと覗き込んだ瞬間、シノダは手をビニールに突っ込むと、のたうつ金魚を一匹鷲掴みにして、

 口に、放りこんだ。

 ごくり、と白い喉が大きく波打った。

「なんっ……」

 知り合いの頭がおかしくなったと思って、私は狼狽するばかりだった。他にどう反応すればよかったのかは、未だにわからないままだ。シノダの表情は仮面のように硬直して、黄昏時の景色に不気味な彩りを加えていた。

 十数秒が立った時、シノダの身体の奥底からごぽり、と不穏な音がして、何が起こるのかと思っていたら急に身体をくの字に折って口を開け、地面に勢いよく嘔吐した。びちゃびちゃ、という水音とともに饐えた匂いが漂った。同級生の女の子が嘔吐するのを見るのなんて初めてだった。

 その行為の意味するところを、私は理解することあができなかった。当時も、今でさえも。

 呻き声と荒い呼吸に混じって、水音は続く。視線を落とした先では、酸欠の金魚が吐瀉物の中を跳ねていた。

 垂れた唾液ごと口元を拭ったシノダが、私を見て中途半端に笑う。

 酸欠なのはシノダも同じで、当たり前みたいに苦しげで、でも私にはどうすることもできなかった。

 しばらくすると音が止んだ。

 金魚は、もう動かなかった。


 シノダのそういう一面に付き合ったのは、彼女が景品をわけてくれたからだ。他に理由なんて、ありようもない。

 縁日に行くと、決まってシノダの姿があった。毎年毎年、白や橙色の灯りの下には彼女がいて、普段感じる得体の知れなさは消え、目に映るのは、ただ楽しげに笑う同い年の女の子だった。

 彼女が言葉を発しなかったから、私も会話を求めることはなかった。言葉のやり取りを欠いた関係には、わかりあえる穏やかさとは遠く離れた付かず離れずの安らぎがあって、私はその空気が好きだった。私たちは別々の存在で、理解する必要はなく、何かを求め期待することもなく、それゆえに裏切られることがない。

 学校で関わることは結局ほとんどなかった。すれ違った時にほんの少し目を合わせるくらいだったから、私たちが一緒に遊ぶ姿を想像できた人はいなかったと思う。


 地元の中学を卒業するまでのおよそ六年間、私たちは夏の数日のみを共に過ごす仲であり続けた。

 彼女はいつも決まって、大量にある景品の中から金魚の詰まった袋だけを掴むと、人気のない陰で金魚を飲み込んでは吐くことを繰り返した。そして、彼女の色白い喉が膨れるさまをその隣で眺めるのが私の常だった。

 彼女の苦しみは彼女のものであり続け、私たちは胃液の匂いと酸欠の金魚の色彩だけを共有し続けた。

 歪だと言われればそうなのだろうと思う。けれど私たちは他の関係性を思いつきもしなかったし、当時のその距離が最適解だと信じて疑わなかった。何より、今だって間違いだったとはこれっぽっちも思わない。私とシノダはあれでよくて、そこから先はきっとありえなかった。

 金魚を見るたびに、彼女のことを思い出していた。

 衰弱しながらも飛び跳ねて、やがて動かなくなった金魚のことを。

 そんな金魚を見下ろした後の、あの曖昧な微笑みを。



 シノダはどうやって死んだのだろう?

 追加で注文した酒で想像の枷を外しながら、そんなことを考える。

 顔の塗りつぶされた輪郭の朧げな女が、何かの薬を大量に飲んで、ふらふらと風呂場に向かう。のろのろと全裸になって、そのまま湯船につかり、徐々に瞼は降りて、ずるずると水面の下に引きずり込まれていく。

 あるいは、素肌の上を血の混じった水が流れていく。頭からシャワーを浴びる骨の浮いた背中を、赤と茜のあわいの色が斑らに染め上げていく。

 だとすれば、それはまるで金魚のようだと、そんなふうに思う。

 けれど、いくら考えたところで、そこにあるのは経験も情動も伴わない空虚なフィクションだ。物語性の被膜の中で、不気味に蠢めく言葉の上の現実でしかありえない。

 画面の外から覗き込んで、しばらくすると忘れてしまう。

 薄情で、冷血で、それゆえに穏やかでいられる。シノダは私の日々を侵さない。私たちはビニールの膜に隔たれて、それぞれの痛みも苦しみも、他の誰のものでもなく自分のものだと言い張っていられる。

 その程度の、仲だったのだ。

「シノダと仲よかったっけ」

 彼女の死を告げた友人は、顔色一つ変えずに言った。

 彼女の死は私たちの日々を侵さない。

 だから、

「いや、そうでもなかったよ」

 私はそう言って、グラスの中身を飲み干した。



 実家の冷蔵庫に、縁日のチラシが貼り付けられているのを見た。当時から代わり映えしない古臭いデザイン。地元を出てからは、一度も行っていなかった。

 日時と場所も変わっていないことを確かめてから、横で料理中の母に話しかける。「ねぇ母さん、あのさ──」


「──縁日って、私が行っても大丈夫かな」

 


 今年はいつかのように、ふらっと顔を出そうと思う。

 それでもし、祭りの灯りにあの笑顔がちらつくのなら。


 下手くそなりに、金魚でもとってみようか。

 

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