◉第29話 神依士との対話

 ミックの父親が哀れな声を上げて息子に駆け寄るのが目に映る。ミックは返事もしない。

 生きているのか、死んでいるのか。縋るような思いでミックを見つめる自分に気づいたとき、フィランは唖然としてしまった。次代神君しんくんともあろう彼が、何に縋るというのか。


 ルクス教神依士かむえしの衣をまとったミックの父親は、息子の体を自分の背に庇うようにして横たえた。目尻に浮かんだ涙が、フィランに痛烈に現実をつきつけた。

 神依士はもう命乞いなどしなかった。「私はどうなっても構わないが、ミックだけは」彼は確かにそう言った。その言葉が本心であるのなら、ミックが撃たれた今、彼に失うものはないのだ。


 立ち上がろうとした神依士に、スピネルがあからさまな敵意と銃口を向ける。

 そのとき、奥に人を探しに行っていたゼンたち三人が戻ってくる足音がした。

 神依士はゼンたちに気を取られるでもなく、スピネルの力の誇示を全く意に介さぬといった態度で、物怖じすることなく口を開いた。


「ユス教が真実人の役に立つのなら、そうなるべきでしょう。ただ、隣人と手を取り合おうとしない教えに今後があるとは思えません」


「おい、お前! ユス教を侮辱するな!」

 スピネルが激昂する声。

 銃を構えた彼の右手に力がこもるのを感じ取って、フィランははっと我に返った。


「待て、スピネル。これ以上……」

 言葉は尻すぼみになった。これ以上、何だというのだ。一体何をした。休戦の協定を破って、総帥にほぼ等しい人間が発砲した。これ以上のことがあるものか。


 血気盛んなスピネルは、次代神君が撃ったのを見て、早く自分もと逸る気持ちを抑えられないようだ。

 バン!

 空中でかき消えたフィランの言葉を是と捉えたのか、スピネルは神依士に向けて発砲した。

 弾は当たらなかった。神依士からは一切の怯みも伝わってこなかった。経験上、こうなったルクス教徒にもう言葉は通じない。


「……手を取り合うために同じ考えが必要だとは思わないのか」


 異教徒であるが、人である。そんな分かり切ったことを今更痛感したなどと言うつもりはさらさらない。ユス教の幹部として異教徒の前に立ち、初めて相手を殺めたときに迷いも道理も捨ててきた。

 フィランの中でははっきりと分けられている。ありもしない架空の存在を崇め、神の意志とやらを名目に意識を操作しようとしてくる輩と、理想の世を創るために志を共にする仲間とは。

 ミックと心が通じ合っていた過去がなんだというのであろうか。

 フィランはぎりりと奥歯を噛み締めた。

 もう一度こちらに歯向かって来たら撃つ、もしも、万に一つの可能性もないだろうが、こちらの言うことを受け入れたのなら銃を下ろす。


「考えろ、そして動け。我々が目指している人間の意識の発展には、お前たちのように、いもしない存在に祈りを捧げる行為は必要ない。お前たちの神を捨て、俺たちの仲間に入れ。信者たちを説得しろ。もう争うな、とな」


「あなた方の宗教は、意識の発展よりまず先に、意識の尊重を学ぶべきです。ミックの命を奪おうとも、息子の魂は神の国に行くだけです。私もそうです。あなた方のものには、決してなりません」


 頑な。フィランの目に、神依士はそう映った。

 ユス教で大事にされるのは、思考の豊かさと柔軟さである。仲間にはならない、確かにそう言った。

 鳴る轟音。そして、嵐のように伝わってくる痛みの感情。

 フィランは無意識のうちにぎゅっと目をつぶっていた。

「おい、フィラン!」咎めるようなゼンの声が鼓膜を打つ。

 目を開けたときには、神依士の腹から流れ出た大量の血が彼らの青い法衣を赤黒く染め上げており、側でゼンが異教徒たちの脈をとろうとしていた。

「……どういうことだ。今日は建物を破壊する以外で銃は使わないという話だったじゃないか」

「分かっている」

 フィランの言葉は、彼の喉から、彼自身が思うよりもなめらかに出てきた。

「スピネルが撃っちまったんだ、俺を守ろうとして。教団内で余計なことは言うな、スピネルも他のみんなも。今回の責任は全て俺がとる」

「兄貴……」単純なスピネルはそれだけでほだされたようだった。

「他に誰かいたか」

 フィランの問いに、ゼンや他の三人が首を振る。


 神殿から逃げるように帰った道すがら、彼に何か聞こうとする者は誰もいなかった。

 フィランは教団に戻ってから、神依士の少年が自分の知己であったことを伏せ、最悪の罰も想定しながらあったことを神君に報告した。

 神君は彼のしたことを不問とした。

 次週あるであろうルクス教徒の叛乱を、神君の代わりに制圧に行くことを条件として。




    **********




 ゼンはきっと、フィランと別れた後にスピネルから詳しい事情を聞こうとしただろう。スピネルが状況をどう語ったのかは分からないが、今のゼンの様子を見るに、腑に落ちるものではなかったらしい。

「……先に言ったことを反故にするお前を初めて見た、フィラン。最初に引き金を絞ったスピネルが全ての原因であることは間違いないが、俺の知るお前だったら、その場でスピネルを諭して全員で引き揚げたんじゃないかと思ってな」

「お前の知る俺……」

「……どうして撃ったんだ?」


 友人が単に後悔の言葉を期待しているだけだったなら、まだ何か口にできたかもしれない。フィランが言葉に詰まったのを見て、ゼンの口調の気色が変わった。


「なあ、一体何があったんだ? スピネルが、ルクス教徒が兄貴の名を呼んだと言っていたぞ。まさかとは思うが……」

「……何も聞くな」

「フィラン、俺の前で隠し事なんかしなくたっていい。お前が何を考えていたって、俺たちの関係が変わるものか。立場上言えないことがあるのは分かるが、今は俺とお前しかいないんだ。兄上って立場は忘れて、話してみろよ。聞くぜ」


 友人のその言葉は、幼き日のフィランが喉から手が出るほどに欲していた親愛の情に他ならない。

 しかし、次代神君しんくんとしての立場をもし取り去ったとしたら、一体フィランに何が残るというのか。

 友人はガガラ様の教えに心底惚れている。そして、彼ほど仲間意識の強い者はいない。彼は味方であるユス教徒に対してはとても情に篤いが、仲間とそうでない者の線引きは非常に厳しかった。

「話したくないのかもしれないが、言ってくれ」

 食い下がったゼンの姿は、ユス教の経典の言葉をフィランに思い起こさせた。


 目を閉じよ。信頼とは、しるべとなる綱を結ぶようなものだ。闇にて身を委ねられる相手こそ、真に信頼できる相手である。


「そうか」

 たっぷり十分も経ったかと思う頃、ゼンはようやく諦めたかのようにため息をついた。

「……言う機会を掴めなかったんだがな、神殿でお前に撃たれた神依士かむえしは両方とも息があったぞ」


 ルクス教徒は撲滅される。

 計帳にあった、ミックの名。神殿で、自分の弾は彼と父親の命を消し去ったとばかり思っていた。同じ姓は、すぐ隣の男性名だけだった。

 フィランはミックの姓を知らない……彼の母の名も。


「今はやめておく。でも何かあったら、いつでも言えよ」

 ゼンはフィランに向けて綱を結んできた。……フィランは親友を見やり、感傷を頭から振り払おうとした。


 考えても仕方がないことである。ルクス教徒は撲滅される。

 次代神君であるフィランが彼らと混じり合うことは万が一にもあり得ないし、自分は彼らに向けて引き金を引いたのだ。


 ちくりと走った胸の痛みに触れぬようにして、気づかぬふりをして、フィランは計帳の確認作業に戻っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る