◉第26話 計帳にあった名前
新国王が発令した異教禁止法。
巷ではルクス教徒撲滅の法と呼ばれたが、ユス教以外の全ての宗教を禁ずる法律であった。
これにより、教団同士の戦争は国家と個人の対立にすり替わった。
ユス教徒が武器を持ち、異教徒を私的に弑することは禁じられ、代わりに城から大勢の警吏が出て行って国民の信仰を検めることになった。
ユス教徒であると証明できなければ逮捕される。
隠れルクス教徒は思ったよりも多く、駐在の警吏だけでは手が回らなくなり、急遽雇用の口が広げられることになった。
そして地下牢の数も足りなくなった。かつてこんなに罪人がいたことはなかったのだ。城の地下牢は急遽増築され、城の離れも国が管理する施設もありとあらゆるところを使ったが、入り切らなかった。
しかし、国王が手を緩めることはなかった。牢が足りなくなるとすぐに、先に入っていた囚人を引っ張り出した。そして看守に尋ねさせた。
「愚かな神を捨て、ガガラ様の教えの門徒に下るのであれば、命を助けてやる。さあ、選べ。改宗するか、それともここで死ぬか」
神を捨てることこそ愚かなり。
始めにこの尋問を受けたのは、先代国王が崩御した日に蜂起を企み、追手から逃げ切れず捕まった者たちであり、ユス教を受け入れることができる者は多くなかった。彼らはひどく痛めつけられた格好で刑場に吊るされた。
二番目に連れられた人たちは、死体の生首が見つめている中で尋問されたためか、改宗を拒否する者は減った。改宗を認めた者たちは看守の手を離れ、ユス教団が預かることになった。フィランたちの出番である。この時点でまた抵抗し、刑場に連れ戻される者もいたが、そうでない者は、徹底した教育を施された。
これら一連の流れは、全て国王の勅令により、
資金はユス教団本部ではなく、全て城から捻出された。不景気対策に使われた莫大な補助金も合わせると、類を見ないほどの額の金が城から外に出た。しかし城には元々沢山の金が貯蔵されていたので、国王や貴族たちが倹約すれば生活には困らなかった。
国王となったクレメンティが制定したこの法令について、フィランは事前に何の相談も受けていない。フィランばかりか、神君にも側近にも誰一人言っていなかったという。
即位後にクレメンティに会った際、その訳を尋ねようと喉元まで出かかった言葉を、フィランは直前で飲み込んだ。
国王と一対一で顔を合わせてみて、分かったからだ。
彼が自分に何も言わなかった訳は、信頼や不信といったものからは遠く離れたところにあるということが。
既に貴族院や大臣たちからの追及を受けたのだろうクレメンティは、体中から疲れを滲ませていた。
フィランはそんな彼を労う言葉も、敢えて口にしなかった。
十七の若さで王として立っていくためには、強くあらねばならない。
一方、最初の異教徒審査時に、武器を持って警吏に反抗したルクス教徒たちもいた。
ただの反発ならそれこそ何千という単位で起こったが、ひと月と過ぎた現在まで手こずらせたのは城下町の東と西に位置するそれぞれの神殿に立て篭もった者たちだった。
だが準備なしの篭城組に対し、こちらは邪教徒たちを何千人とお縄にかけてきた玄人の軍隊だ。もう終わりは見えている。
二回目の異教徒審査が行われた頃、フィランは看守に頼まれて計帳を確認していたのだが、あることに気づいてはたと手を止めた。
作業を手伝ってくれていたユス教青年団の友人ゼンがそれに気づいたようだった。フィランの手元に目線を落とし、「その名前がどうかしたか?」と声を掛ける。
「いや……」
ごまかして計帳を閉じようとしたフィランに追い打ちをかけるように、ゼンはぽつりと言った。
「東の丘の、坂の上の神殿にいた
藪から棒の言葉であった。
フィラン自身人の機微に聡い方だが、この友人はそれに輪をかけて敏感な時がある。それに助けられたことは数知れないが、今だけは少し鈍くあれと思わないでもなかった。
「あの時のお前、少しおかしかったぞ」
あの時の自分……。
フィラン自身あまり思い返さずにいたが、あの時のことが頭の中にこびりついて離れなかったのは事実である。
**********
先代国王が崩御する二週間前。ルクス教徒たちが叛乱を企んでいると知ったフィランたちは、それを未然に防ぐために東奔西走した。
諜報員を使って情報を調べ上げたこともその一つ。
首謀者を突き止めて捕まえようとしたのもその一つ。
ルクス教徒の戦意をあらかじめ削いでおくこともその一つ。
ルクス教徒たちが戦争の責任を全てユス教団に押し付けているのは知っていたが、こちらとしては積極的に争いをしたいなどと思っているわけがない。戦えば必ず犠牲が出る。向こうの犠牲は知ったことではないが、フィランは教団の役員として、ユス教徒の命を守る義務がある。
日曜は休戦。ユス教徒である以上日曜の対話問答は避けなければならないが、それ以外の曜日ではお互いに銃を向け合っていて、まともに話ができるとは思えない。
フィランは神君の許可をとった上で、ユス教青年団員を数人引き連れて日曜の神殿を回ることにした。ルクス教では、
土着信仰のルクス教の歴史は、ユス教のそれとは比べ物にならないほど長い。ルクス教の神殿は、その考え方と同じように人々の生活の中に存在していた。
フィランは城下町以外の町を知らないが、ここでは十分歩けば別の神殿に行き当たるというくらいたくさんの神殿が建っていた。打ち捨てられ廃墟となったところも多いが、日曜に信者を集めて宗教的儀式を行っている神殿もまだいくつかある。
銃を持っていったのは、威嚇と、それから護身のため。
最初の神殿で銃を鳴らして神像を撃ち抜いたたとき、神依士は面白いくらいに身を縮めて怖がっていた。ずっと争いから避けて生き延びていたのだろう。傷一つない健康そうな肌が法衣の隙間から見えていた。前線で生傷を負い続けてきたフィランとは、生きる世界が違うようだ。
そして、暴力に慣れていない人間に対しては、説得はだいぶしやすいと考えた。
「話し合いをしたい。全員出て来い」
神殿にいたのは男が一人、少年が一人だけだった。
ゼンと他の二人に奥に探しに行かせる。
「銃を持って話し合いだと? 卑怯だぞ!」
歯向かってきた少年に向けて、スピネルが銃の引き金を引いてしまった。弾は少年の肩に当たり、その子はもんどりうって倒れた。
「おい、スピネル! 何している!」
平日だったらまだいい。だが今日は日曜日だし、相手は丸腰で戦意がない。この国を統べていくべきユス教の教えが、間違った使われ方をしてはならないのだ。スピネルを連れてきたのは早計だったか、そもそも銃を脅しに使おうとした魂胆が誤りだったか。
「すいません、兄貴。つい思わず」
この事態をどう収めようか、考えあぐねているとき、男の方が急に、頭を床に着くくらい深く下げた。
「私はどうなっても構いません。でも息子は……ミックだけは、どうか助けてください」
ミック?
何てことはない、ただの命乞いだと思ったのに、その名前は不思議と心に引っ掛かった。
いくらも経たないうちに、フィランの記憶の扉は叩かれ、過去の思い出が蘇ってきた。
(参考:第五話「ユス教徒の襲撃」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054917654996/episodes/1177354054917658275)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます