◉第24話 国は荒れている
「国王崩御! 国王崩御!」
馬に乗った伝令が矢のように駆けていく。その声を聞いた民衆たちが慌てたように建物から飛び出してきて、思い思いの顔をした。……諸悪の根源が死んだ、とにわかに顔を綻ばせる者、これからどうなるのかと不安そうに顔を見合わせる者。
フィランは自身がその民衆の中に紛れながら、王城に居合わせることができなかった機運の悪さに心の中で悪態を吐いた。
西の方で、ルクス教徒の叛乱の気配あり。
フィランを始めとしたユス教団の役員たちがそのことを知ったのは二週間ほど前のことだ。
ルクス教徒たちは長い時間をかけ、気づかれないように武器を集めていたようだが、所詮城下の武器工場は皆ユス教団の傘下だ。情報はどう隠そうとも教団に集まってくる。さらには、街に放ってある密偵たちが、蜂起は金曜の夕刻、日曜市の開かれる西の広場だ、というところまで正確に調べてきていた。
もう少しで日没。行動を起こすまで待とうかと思ったが、国王崩御を知ったルクス教徒たちが変に昂ったりしたら敵わない。フィランは時を移さずして、民衆に紛れている軍隊の隊長に合図を送った。
隊長はさっと外套を脱いだ。下から、よく鍛え上げられた筋肉と、それを覆う鎧、剣、それから鉄砲が姿を現した。五十人ほどの部隊が、隊長に倣い戦士の姿となって隊列を組んだ。突如として剣呑な空気を帯びた広場から、ひっと悲鳴を上げて逃げていく女が数人。あっと息を呑んで踵を返した男が一人。その者が逃げ込んだとある米問屋の倉庫に、部隊は有無を言わさずになだれ込んだ。
「武器を捨てろ! さもなくば命はないと思え!」
先頭十五人の構え筒が倉庫に向く。
ドタバタと慌てふためく足音が聞こえたが、恐らく武器を捨てなかったのであろう。こちら側の銃が火を噴いた。
悲鳴は轟音にかき消され、フィランの耳までは届かない。
相手も撃ち返してきて、こちら側の数人が銃を取り落として倒れ込んだ。後列の者が仇を取るように、さらなる弾丸を倉庫内に送り込む。
武力の優劣は明らかだった。やがて向こうからの攻撃は止み、こちらの硝煙が空に消えていく前に倉庫の中はしいんとなった。
隊長の合図があってから、指揮官であるフィランはようやく邪教徒たちの前に歩み出た。弾が急所に当たらずまだ命があるのは数十人、血を流して息絶えているのはその倍はいた。むっと鼻をつく血の匂い。生き残った者は、跪いた姿勢で両手を上げ、視線と汗と戦意をぼたぼたと床に落としている。
その中でも年長と思える者に、フィランは自身の銃を突きつけて聞いた。
「正直に話せば、この場は助けてやる。蜂起の場所は、西の広場の他に、どこだ?」
男は顔を上げようとしなかった。額から垂れる脂汗の染みをズボンに作るその男から、フィランは恐れと迷いを感じ取った。強情そうな感じは受けない。少し揺さぶれば本音を吐くだろう。
バン! フィランは別の男に向けて引き金を引いた。身代わりになった別の男は、ギャアと鈍い悲鳴を上げ、身をよじってのたうち回った。それを目の当たりにした年長の男の恐怖がさらに煽られるのが伝わってきた。
だが、年長の男が口を開こうとする前に、身代わりの男が声を絞り出した。
「だめだ、言うな! 神はまだ俺たちを見放していない!」
それで、男の心の気配が変わるのが分かった。
「国王は死んだ! ルクスさまの怒りに触れたのだ! お前たち邪教徒にも、いずれ神の怒りの鉄槌が下るだろう!」
と苦し紛れに叫ぶその男を見て、フィランは自分の策が失敗したことを悟ったが、ざっと他の面々を見渡しても、心がぽっきりと折れ、簡単に胸の内を吐き出してくれるような者はいそうになかった。
フィランは銃をくるりと返し、その持ち手の部分で、年長の男の頭をガツンと殴りつけた。泡を吹いて倒れ込んだその男を尻目に、ルクス教徒たちに向けて声を張る。
「お前らは自由だ」
思いもかけない単語に、数名が顔を上げるのが分かった。
続く言葉に、再度顔は強張ったが。
「別に強制はしない。ここで死ぬことを選ぶのも、それは自由だ。俺が言い終わる前に本当のことを述べた者だけ、俺たちの仲間として迎えよう。嘘を嫌い真実を愛する、ユス教徒としてな。武装蜂起の起点はここ西の広場で、二百三十人。倍の人数が、まだ武装を解かないまま、市街地に紛れ込んで機を伺っている。城から国王軍をおびき出せたら、ディヴェルディ王弟殿下の御所に精鋭が向かう……と」
言い終わる頃には、全員が面を上げて、顔を真っ青にしていた。声を上げる者はいない。フィランはため息をついて、最後の機会を与えることにした。
「……と、まあ、俺たちは全部掴んでいるから、隠したって何のいいこともないぞ。真実を述べ、俺たちの仲間に入りたい者は?」
それでもまだ誰も何も発さず、フィランが呆れて踵を返そうとしたときに、
「……ほ、本当に?」
と震える声が名乗りを上げた。全員の目線が一気にその者に注がれる。
何故こんな若い人間が武装蜂起に参加しているのか。十八歳のフィランよりもさらに幼く見える少年が、涙をいっぱい溜めてこちらを見ている。
「だめだ、カヤク!」違う者が制止しようとする。「こいつらは約束を守らない。ルクスさまを信じろ、カヤク! お前の父さんも母さんも報われないぞ!」
カヤクと呼ばれた少年は、父母の名前に身を震わせはしたが、それでもフィランから目線を離そうとしなかった。
「本当に、助けてもらえますか。あなたたちの神を信じたら」
「信頼とは、綱を渡るのではなく、綱を結ぶようなものだ。安心が欲しければ、自分から俺たちのことを信じればいい。古い神を捨てガガラ様の教えを乞うのであれば、喜んで仲間に迎えよう、カヤクとやら」
「ぼく……弟と妹が家に……。ぼくが死んだら……弟たちは……」
「賢明な判断だ。こちらに来い」
カヤク少年が、裏切り者の誹りを受けながらこちらに来て話したのは、城下に潜伏している、他のルクス教徒たちの家だった。いずれもあらかじめ掴んでいた情報ではあったが、少年にそのことを悟らせる必要はない。一小隊にこの場を抜けさせ、その者の家へ直行させるふりをさせた。
「絶対に殺さないでください! 約束ですよ!」
カヤクの悲痛な声がそれを追い掛ける。
「さて、勇敢なこの少年に続く者はいるか?」
弟妹を守ろうとした哀れな少年に怒号を浴びせかけるほか、ルクス教徒の動きはなかった。かわいそうなくらい身を縮め震えている少年を庇うようにしてフィランが倉庫を出ると、兵隊たちの銃が一斉に火を噴いた。少年がはっとしたようにフィランに縋りつく。
「やめて! やめてください!」
「お前の荷じゃない、カヤク。他人の荷は他人に背負わせろ」
「お願い! 殺さないで! お願い……」
音が止み、死臭が漂い始めた倉庫の中を、一人の少年が呆然と見つめていた。顔は真っ白、精気もなく、魂が抜けそこに身体だけ取り残されているかのようだ。
大勢の仲間と、自分の家族。
人の命は平等じゃない。
誰にとっても。
まだ起きていない叛乱を罪に問うのは難しい。ある者は捕らえられて牢獄へ行き、ある者は命からがら城下町を逃げ出した。城下に潜伏していた他の反逆者たちを全て捕まえることは不可能であった。
フィランが城へ戻れたのは夜半過ぎ。
まず、国王の亡骸の側に付き添っていた神君に状況を報告した。
神君は政治から独立した宗教団体の長でありながら、国王の相談役として一端の地位を与えられ、施政に携わることを許されていた。また、国王軍や近衛兵師団とは別のユス教団固有の軍隊を持っており、その元帥も兼ねていた。国王が危篤でさえなければ、今日の叛乱の対処も神君が指揮を執っただろう。
「そうか」
実の親子でありながら、フィランと神君の関係は事務的といっていい。父からそれ以外に労いの言葉はなく、明日執り行われる葬儀と戴冠式の説明を簡単にしただけだった。国王の棺に礼をして、フィランはその場を辞した。
王子クレメンティは、兄のように慕うフィランが帰ってくるのを寝ずに待っていた。
「大丈夫か、クレン」
自分と一つ違いの王太子。体躯は細い方だが、鍛えた身体は雄々しい筋肉で覆われていて、父王ガートルヴィが病に臥してからというもの、父王が精気をなくしていくのに比例して、顔からはあどけなさが消えていき、険しさと隙のなさを増していくばかりであった。フィランと二人になったときだけふっと和らぐこともあるが、今はそれもなく、空気はぴんと張り詰めていた。
「覚悟はしていた。大丈夫だ」
声は震えてはいなかったが、勘のいいフィランは、王子のささやかな心の揺らぎを感じ取った。
王子は十七である。国は荒れている。
……世継ぎを王子ではなく王弟に、という声は城の内外で少なくない。
彼に向けられる、大勢の国民の期待と思惑と不信とは、フィランには手に取るように分かる。それを彼は、自らの手でかき分けていかなければならないのだ。身内である叔父君を一番の敵として。
「明日、法律を制定するつもりだ」
「それはいい。ディヴェルディ殿下に恩赦を与えてやるな。王家の身内といえど、大逆罪を適用できる法律を作れ」
王子は失笑した。
「いや、そちらじゃない。負け犬には吠え面を掻かせておけばいい。父上が舵を切ろうとしてやり切れなかったことを、私はやろうと思う」
翌日、クレメンティは戴冠式を経て正式に王位を継承した。
そしてその日のうちに、異教禁止法、別名ルクス教徒撲滅の法を制定した。
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