☆第15話 ミナの記憶に残るもの

 城下町には貧富の差が歴然としてある。

 庶民の暮らす街中の細道を川の方角に抜けるとすぐに、薄い板の廃材と鉄釘を組み合わせて作ったバラック小屋や、雨風に強い布と針金とロープで家族が眠れるだけの場所を確保したテントがずらっと並んだ貧民街が目に入る。

 大雨が降って川が増水したらたちまち水の中に沈んでしまうようなところに、貧民層は寄り集まって暮らしていた。

 レイヤは少しずつ金を貯めて材料を揃え、貧民街の中でも親のいない子が集まる孤児街の片隅にテントをこしらえた。


 住民が増えるということは、それまでの住民の居住空間が侵されるということである。先住していた他の孤児たちは新入りを追い出そうとしたが、その度レイヤは立ち向かって戦った。

 仲間入りを認めてもらえるようになっても、孤児たちとは些細なことでよく揉めた。相手を殴っては蹴っては、自分も同じようにされて戻って来た。自分たちの暮らしていく場所を守ることで必死だった。

 腕っぷしが強くなってくると負けることも少なくなり、そのうちにナイフを盗み出してそれで脅すことも覚えた。




 風を防ぐテントの中で、ミナを毛布にくるんで寝かせてやれるようになったあと、レイヤは働き場所を見つけてきた。他の孤児の紹介で、一日当たり穴あき銅貨二枚という賃金で雇ってもらえることになったのだ。

 それが多いのか少ないのかは分からない。

 だが、その穴あき銅貨二枚というお金を七日間貯めて日曜日に市場へ持っていくと、二人が次の一週間何とか食いつないでいけるだけの買い物ができるのだった。


 ただ、ミナが風邪を引いたときはいけなかった。

 丸薬を手に入れるための銀貨は、工場で働いているだけではとても手に入れられない。足りない分は追い剥ぎで工面するしかなかった。


 ミナは泣いた。切られて血を流した兄を見つめ、他の者から奪ってきた金を見つめ、そして泣いた。

 自分も咳で辛いはずなのに、レイヤの痛みに寄り添って泣いた。

「おれはお前の兄なんだ。お前を育てるのは当然だろ」

 ミナは顔をくしゃくしゃにしながらその言葉を聞いて、変わらずずっと泣き続けた。




 ある日、とんでもないことが起こった。

 一週間分の賃金を貯め込んでいると知っている他の孤児が、兄の離れたのを見計らってテントに押し入り、ミナを強く殴って金銭を奪ったのだ。

 十分かそこらで用を済ませて帰ってきたレイヤが見たのは、頬をぶたれて倒れている幼い妹の姿だった。


 怒りにかられたレイヤはテントを飛び出し、すぐに犯人を見つけ出した。

 そして問答無用でそいつをぼこぼこにした。

 立ち上がれないほどまで叩き潰すと、盗まれた以上の金を奪ってテントに戻り、傷ついた妹を優しく抱き上げた。

 ミナは傷の痛みよりも恐怖心から沢山泣いた。

 盗人をこてんぱんにしたのが効いたのか、それ以降は一人でいるミナを襲おうとする輩は出なかった。







 日中はミナをテントに置いて働きに出て、日が暮れるとその日の路銀を手に真っ直ぐテントに戻ってくる。

 ミナは、その辺に落ちていたのをレイヤが拾って直した七輪に火を焚いて、雑穀と少しの野菜を一緒に煮立てたスープを用意して待っていてくれる。

「お兄ちゃん」

 帰ってきた兄を幸せそうに迎えるミナの声を聞きながら、レイヤはそのスープに口をつける。


 そんな穏やかな日々が続いたある日曜日、市場の帰りにミナがふとこんなことを言った。


「あそこ……何があるの?」


 孤児街まであと少し、市街地の東大通りを歩いていたときのことである。

 東大通りの脇に、小高い丘へ連なる道があり、孤児や荷物を抱えた町人が坂を上っていくのが見えた。


 そこに何があったのかを思い出そうとしたレイヤは、ずきんという頭の痛みを感じた。痛みの走ったところを押さえながら、妹に嘘を吐いた。


「さあ。知らないな」


 ごまかしたレイヤの心のうちを知ってか知らずか、ミナはこう続けた。


「あのね、あそこにあるものを知っている気がするの。おっきくて、白くて、ごつごつしていて、それで、とてもきれ……」


「知らないな!」


 レイヤはかっと目を見開いて、強引にミナの言葉を遮った。

 手を引っ張られた妹が目を白黒させながらついてくるのを確かめた後で、痛みと共に湧いてきた感情を振り払うように頭を振った。

 ミナはまだ何か言いたそうにしていたが、脇目も振らずに帰路を急ぐ兄の様子にただ口をつぐんだだけだった。




 丘の上にあるもの。それはルクス教の神殿だ。

 ミナの言った、白くて大きくてごつごつしたものとは、レイヤ自身よく覚えていないが、きっとルクスの神像に違いない。


 工場で様々な情報が手に入るようになったレイヤは、ルクス教とユス教が争い合っていることを知っていた。

 街中に貼られた「老いぼれルクスは滅びろ!」「ルクスさまの恩恵を受けぬ野蛮人はこの国からとっとと失せろ!」という紙や、お互いの宗教を侮辱し合って言い争う大人たちの姿は、昔よりもよく見るようになった。


 だが多くの一般市民にとって、二宗教の争いは雲の上の出来事でしかなかった。

 無関係の孤児が巻き込まれることはまずなかったし、取っ組み合いをしている奴らに出くわしたときも、黙って目を逸らし、違う道を通っていけばよかった。

 争いは二人の生活を脅かすほどではなく、はっきり言えば関わりのないことだった。


 ずきん、また痛みが走った。


 レイヤ自身が、あまり思い出さずにいた日のことがある。

 それは、母が死んだ夜のことである。


 ルクス教の正当性を訴える母、言い返して母を殴ったユス教の男たち。

 ……二人の母を奪ったのも宗教の争いだった。ミナ自身が母のことを忘れてしまったと言ったとき、ルクス教のことも神殿のことも記憶からなくなったものと思っていた。だがそれは、単なる思い込みだったらしい。


 日曜は他の曜日と違い、三時間遅れの十時から仕事が始まる。

 ミナにテントから絶対に出ないことをいつものように言い聞かせ、市場で買ったものをしまってからテントを出た。

「行ってらっしゃい」と見送ったミナはいつもと変わらない笑顔だったが、その変わらない様子が逆にレイヤの心配を煽り、動悸を早まらせた。

 レイヤの心の奥底で、言いようのない感情が湧き起こってくるのを感じた。


 レイヤはその感情に名前をつけることができなかった。

 もやもやしたものを抱えたまま、穴あき銅貨二枚という駄賃と引き換えの金属加工作業をしに、工場へと駆けて行った。

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