⌘第3話 次の日曜日
神殿は元々何組もの家族がまとまって住めるようになっているだけあって、居住区はとても広かった。
神堂を閉めて、廊下に連なる扉という扉に鍵をかけて、ミックたちは天窓しかない奥の小部屋に閉じこもった。
翌日には、すぐに音が聞こえてきた。
ドンドンと農具を神殿に打ち付ける音、耳に痛い火薬の発砲音。
その銃と呼ばれる武器をミックはまだ見たことがない。
「撃つ」とか「撃たれる」とか、信者たちがそのような言葉と共に形容するその武器は、元は野を駆ける動物を捕えるために作られたらしいのだが、彼らはそれを人に向けることを覚えた。
彼ら、つまり、ユス教徒、邪教を信じる者どもは。
戦いを始めたのはユス教の方だ。ルクス教は争うことを禁じているし、そんな野蛮なことを自分からしたがる者が信者たちの中にいるなんて考えられない。ユス教団はルクス教徒を攻め立て、それに対してルクス教は「仕方なく」武器を取った。
神殿で一番偉い
「刃に言葉で対抗することができなくなってしまったんだ、ミック。私はこの命に代えてでも、アリンのことを守らなければならないんだ」
アリン……祭司さまの娘の名前を聞いて、ミックの胸が痛んだ。
アリンの兄、祭司さまの息子は、ユス教徒の非人道的なやり方に異を唱えようとして、彼らに撃ち殺されてしまったのだ。
息子の死以来、不戦を訴え、理不尽に耐え忍ぶことを説いていた祭司さまは変わってしまった。
日曜は休戦、それは双方の利害が一致したのだと聞いた。しかしその日曜日を除いては、毎日のように火花が飛んでいる。
ひいふう、ミックは数える。
夜を越え朝を迎える度に、ミックは悪い夢にうなされた。
奥の小部屋にまでユス教徒の刃が届くはずがないと言い聞かせても、夢の中ではミックの喉元に刃物を突き付け、「ルクス神を捨てろ!」と脅すのだ。
真っ青な恐怖の中で必死に首を振って抵抗するが……その先は覚えていない。
ひいふうみい、まだ三日しか経ってない。
安心の日曜日、ルクスさまの姿を拝める日まで、あと四日もある。
争いが過激になっていけばいくほど、ミックは昔を懐かしく思う。あのときは普通に外に遊びに行けたっけ、とか、見習いとしての修行もあのときは楽しかったな、とか。
神殿にはたくさんの神依士がいて、一つの大きな家族のように、互いを慈しみ合って暮らしていた。祭司さまの死んだ息子も、アリンと同じように、とても優しくて面倒見がよくて、ミックにとっては憧れの存在だったのに、ユス教徒は彼の命を無慈悲に奪い去った。
クルタイさんのことも。セーデさんの家族のことも。皆いい人だったのに。
みいよおいつ。
小部屋に閉じ込められた平日、ミックと父にできることはなかった。身の回りの掃除をし、経典を読み、瞑想をして心の中でルクスさまに祈ることしか。
いつむう。
食材はもうほとんど尽きている。ミックたちは空きっ腹を抱えながら土曜日を過ごす。
明日になれば、また信者たちに会える。ルクスさまの像を拝むことができる。
けれど、本当に会えるだろうか。平日に命を落とし、次の昼餐会に来られなかった信者は数え切れないほどいるのだ。
その夜も夢を見た。
ミックは横になっていたが、その足を誰かがきつく引っ張っているかのように、足が重たかった。
一生懸命に足で蹴ろうとするが、その何者かはびくともしない。
にたりと笑って、ミックの心臓へ真っ黒な手を伸ばす。
「やめろ、化け物!」
叫んだところで目を覚ました。
ぜいぜいと荒い息をしながら、ぐっしょりと濡れた前髪がたらりと垂れて自分の視界を妨げているのを、ぼんやりと見て取った。
ひいふうみいよおいつむうなな。ようやく来た、日曜日。
父はまだ寝ているようだった。天窓にはまだ夜の闇が見えている。時計に目をやると、いつもミックが起きるより二時間も早かった。
悪夢の続きを見たくないという思いから、ミックは汗を拭いて見習いの法衣に着替えた。寝ている父をそのままにして、順々に封鎖を解きながら神堂へと向かった。
ああ、ルクスさまの荘厳な姿はやはり、薄闇の中でも月明かりに照らされミックの不安を取り払ってくれる。
彼は膝を折り、偉大なる神の足下で祈りの言葉を捧げ始めた。
日曜日、ミックや他のルクス教徒にとっての平穏の日。
ルクスさまに会えるこの時間だけが、ミックの心に安らぎをもたらしてくれるのだ。
せっかく早起きしたのだからと、ミックは普段は父の仕事である神堂の掃除を始めた。一週間誰も使っていないはずなのに、というべきか、一週間誰からも見捨てられているから、というべきか、薄暗い中でも目に見えて埃が溜まっているのが分かる。ミックはそうした埃を掃いて集め、水拭きをして隅々まで磨き上げた。
そうしているうちに空が白んでくるのに気づいたミックは、机や椅子のバリケードを解き始めた。
そういえば、いつもは日の出とともに起きてくるはずの父が、今日に限って遅い。
昼餐会の支度もあるし、後で起こしに行こう。
そう考えたミックが鎖を外して扉を開け放つと、遠くの山の向こうに朝日のてっぺんが重なるのが見えた。
朝焼けの美しさに彼は一瞬動きを止めた。
大きく深呼吸すると、早朝の気持ちの良い風が彼の体内を浄化していく。
ありがたき日、日曜日。平和の日曜日。こんな日が毎日続けばいいのに、ミックは心の中でそう呟いた。
振り返って神堂の中に戻ろうとしたとき、草を踏みながら丘を駆け上がってくる人影が目に入った。ミックはいつも他の信者たちよりも早く神殿にやって来る小さな来訪者のことを思い出し、微笑んで出迎えようとした。
ところが、現れたミナはいつもと様子が違っていた。
「ルクスさまの」
早口の小さな声でそう言った。そして、すぐ言い直した。
「いいえ、ルクスさまに。お祈りを。ええ、そう」
「おはよう、ミナ」
ミナはぺこりとミックに頭を下げた。
「おはようございます、神依士さま」
ここまで一生懸命に駆けて来たのだろう、頬が赤く染まって肩が上下している。
「ぼくはまだ神依士じゃないよ。ミックと呼んでくれたらいい」
「はい、ミックさま」
そう言いつつ、ミナの視線はミックと絡み合わなかった。ちらちらとルクスさまの像に目をやっている。お祈りをしてきてよいと伝えると、少女は強張った表情のまま頷いて、胸の辺りを押さえながら脇目も振らずに駆けて行った。
すぐにルクスさまの足下に跪いて祈りの文句を唱え始める。
いつもなら次第に落ち着いてくるはずが、今日のミナは震えが止まらないようだった。
何かあったのだろうか。
尋ねようと思ったミックは、静かに少女に歩み寄り、その肩に優しく手を置こうとした。
ミナは弾かれたように振り返った。
驚かせたつもりはなかったが、触れられたところを押さえながら神依士見習いを見つめた目は、恐怖に打ち震えていた。
ミナの無垢な瞳、心の痛みと傷に曇った金の瞳を見つめ返すと、ミックの中に慈愛の心が湧き起こってくる。
愛せ、慈しめ、そして理解しろ。
どんな者にも愛をもって接せよ。
「どうしたの、ミナ。今日は様子がおかしいよ」
少女は神依士見習いを見つめながら震えるばかりで、何も言わなかった。
ミックの脳裏に彼女の兄の存在がよぎる。
「落ち着くまで休んでいく?」
ミナははっと目を見開き、慌てて首を振った。
まだ震えも収まらないのに大急ぎで立ち上がり、ミックに礼をしてそのまま立ち去ろうとした。
そのときだった。扉の方で、何者かの足音がしたのは。
開け放たれた扉の中央に、朝日を背に浴びるようにして、一人の少年が立っていた。
逆光でミックからは顔が見えなかったが、かわいそうなミナが大きく息を呑み、縮み上がるのは分かった。
「ここにいたのか、ミナ」
怒りのこもった声が、神依士見習いと孤児の少女の耳をつんざくように飛んできた。
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