第4話 暗殺者(シェフォン)

「ここへ君を入れるのは初めてだね」


 おじさまは昔教えてくれた、地下室の秘密の出入り口の先へと、私を案内してくれた。


 地下の秘密の道は曲がりくねりながら続き、やがて開けた場所に出た。


「ここは君が捕まっていた路地からほど近い場所にある」


「とても広いところですね……お屋敷と同じくらい広い……」


 そう、そこは地下道から続く空間だったけど、とても広くて天井が高かった。どこからか外光を引き込んでいるらしく、灯りの類が見当たらないのに隅々まで見通すことが出来た。


「ここはかつて、この都を陰から支配した暗殺者たちの巣窟だった地下宮殿の一部だ」


「暗殺ギルド? 昔、騎士団が襲撃して壊滅させた?」


「そう。彼らはここで暗殺や盗みの技術を鍛え、様々な薬の製造を行い、表の世界に向けて刺客を放っていた……私はここを密かに確保して自由に使っている」


「母はこの場所を知ってるのですか?」


「ははは、知ってるが、私がここに来ることは知らない……付いてきなさい」


 おじさまは地下宮殿を案内して下さった。暗殺者たちが技術を鍛えたとされる訓練場、薬草を育てた畑、首領たちが暮らした部屋は往時の最盛期を偲ばせる豪華な造りをしていて、今はおじさまの秘密の部屋になっていた。


 一体どこから持ち込んだのか、樫の一枚板を使った立派な机、金の足をした天蓋付きの大きなベッド、棚には壺や瓶に入った色とりどりの液体が納められていた。


「クローゼットを開けてごらん」


 示されたクローゼットの戸口を開けると、美しい刺繍のされた豪華なガウンや、煌く糸で作られた艶っぽいデザインのドレスなどが掛かっていた。


「まぁ、素敵ですわ!」


「あはは、気に入ってもらえてよかった。……君もそろそろ、社交というものを意識するべき年になったね。きっと似合うよ」


 思いがけない言葉だった。


「周りから言われるんだよ。お前の家にいる若い娘は何だ? お前の娘か? とね」


 娘……誘拐犯も、私をおじさまの娘だと思っていた。そのことに私は人知れず傷ついていたことに、おじさまは気付いているだろうか?


 それともおじさまにとっても、私は娘みたいなものなの?


 寛いだ様子でおじさまは机の上の香炉に火を入れていた。ふんわりと薄桃色の煙が出て、部屋の中に芳しい香りが漂っている。


「君もいつか、立派な貴公子の元へ旅立っていくだろう。寂しくはあるけど、それが私の君にしてあげられる……」


「そんなの嫌!」


 甘い酒のような香りが満ちる部屋で叫んだ。


「私は、いつまでもおじさまと一緒がいいの!」


「シェフォン……君は」


「おじさま、おじさまにとって私は何なの? 恩ある女の娘? それとも……もし……」


 私は涙が溢れた。その先を言うために、顔をくしゃくしゃにしながら、飾られていたドレスを床に捨てて彼に迫ったわ。


「もし……もし、一人の女として見て下さるなら……」


「シェフォン……君は何を言っているか理解しているのかい?」


「分かっていますとも。おじさまは独り身、世の貴婦人の皆さまからも、さぞ人気がおありでしょうね……私のような小娘なんて……」


「そうじゃないよ、シェフォン」


 暗い気持ちが満ちた私をおじさまが抱きしめてくれました。ああ、殿方の温もりの甘さに痺れてしまいます。


「君のような女性を手放す苦しみを、私は日々堪えていたんだ。君にはまだ輝かしい未来がある。そんな君を、私ごときが手折ってしまうわけにはいかないから」


 熱っぽく、そして抑制された激しい愛情が視線に満ち溢れたおじさま。その熱に照らされて、私は抱き返しました。


「私の幸せは、おじさまと共にあるのです……ん」


 その先を言おうとした唇がおじさまによって塞がれました。


 今までの親愛と家族愛に満ちたキスとは違う、貪るような、甘く、蕩けるほど熱いキス。


 私は日の当たらぬ、血の残り香が漂う暗殺者たちの墓標で、おじさまに受け入れられた喜びに沈んでいったのです。




 自分の中におじさまを感じて、その日は過ごしました。




 私が先生から医術開業に足る技量を認められると、おじさまは菜園を増築して医院を開けるようにして下さいました。といっても、新米女医の医院なので殆ど患者は来ません。


 その代わり、空いた時間を使って私は地下宮殿に通い、おじさまの手で特別な技術をお教えして頂きました。


 意外なことに、ナイフ術や錠破り、登攀術などは教えられると実に容易く身に付きました。お屋敷に引き取られてからの生活で身に付いた、様々な技術や知識が役に立ったのです。


 訓練場に置かれた、人を模した自動人形に、素早く近づいて致命の刺殺を加える練習を幾度も繰り返していると、私は得も言われぬ満足感を得ます。まるでこの時のために生まれ育ってきたような感覚を覚えるのです。


 やがて一通りの訓練を身に着ける頃、おじさまは私に贈り物をしてくださいました。


「これを着てみてくれないか? 君の体に合わせたものだ」


「はい」私はおじさまの前で服を脱ぎ、装束に袖を通します。


 既に体の隅々までおじさまの手に触れられた身です。隠し立てするものなどありません。


 贈られたのは艶やかな黒で染められた皮の服です。所々に銀の装飾が施され、身体の線に沿って作られたそれは、ドレスの襞のように体の動きを妨げることがありません。


 そして贈られたもう一つの品、大振りで鋭いナイフを帯に収めて立ちました。


「いかがですか? 似合いますか……?」


「ふむ。素晴らしい出来栄えだ。美しいよ、シェフォン……おいで」


「はい」期待に身体が熱を帯びるのを感じながら、彼の腕に飛びこみました。




 私が開業医を始めた頃から、母の様子は奇妙でした。彼女は頻繁に医院を訪れて私の調子を観察しに来ていたのです。


「貴女、余りお仕事に身が入っていないみたいだけど大丈夫?」


「心配しなくても大丈夫よ。だって患者がいないんですもの」


 むしろ、おじさまに任された仕事を放っておいて、この人は何をしているのでしょう?


 独り立ちしつつある子供に過剰な干渉をする親に、私は徐々に不快感を覚えました。


 私は思い切って、ベッドの上でおじさまに聞きました。


「おじさま、私の母はおじさまのお仕事のお役に立っていますか?」


 おじさまは私を撫でながら答えてくれました。


「どうやら、最近仕事に身が入らなくなってきたみたいだね……正直、困っているところさ」


 そんな! おじさまを困らせるなんて、なんて悪い女なのでしょうか。


「酷い人、これほどの恩を受けておきながら、貴方を困らせるなんて」


「自分の母親にそのようなことを言うべきではないな……。ふむ、君にその気があるのなら、少し仕事を手伝ってもらおうかな」


「勿論です。おじさまのためなら、なんでもしますわ」


「……前にも言ったが、私には敵が多い。そして私は目的のためなら手段は問わない。その意味は分かるね?」


 真剣な目で彼は私を見ます。


 私は頷きました。おじさまのお役に立ちたい。その為ならどんなことでも出来る。


 そして今の私には、そのための力が身についていたのです。




 銀の剣商会に協力する小貴族、ザキパン準男爵が借り受けているアパルトマンに向かって欲しい。


 そう言われた私は早速準備をしました。以前贈られた黒装束にナイフを携え、更に私が独自に作った毒薬を持っていきました。


 この毒薬は資料でしか知らない暗殺ギルドの毒を目指して作ったもので、血中に入らなくとも皮膚に触れるだけで吸収され、相手を死に至らしめる特別な毒です。


 準備が出来た私は、マントで身を隠して地下宮殿を出発します。地下宮殿には無数に地上への出入り口があるのです。


 そこから私は人の気配を遠ざけながら、目的のアパルトマンに近づきました。既に夜、灯りは落ちています。


 おじさまはザキパンが自分にとって良からぬ情報を持っていると言いました。だから夜陰に乗じて彼の寝床に忍び込み、脅迫を与えます。口を割った時には死の制裁が下るでしょう。


 アパルトマンの表口には人がいましたから、裏に回ります。いくつかの窓、古びたブリキの雨樋の付いた煉瓦の壁がありました。


 雨樋は今にも外れそうです。手の掛かるところがない煉瓦壁を見上げ、私は懐から道具を取り出しました。


 それは腕に付けられる鉄製の鉤爪で、滑らかな壁面でも登れる優れた道具です。


 少しの不安がありましたが、おじさまの指導のお陰で私は壁を登ることができました。黒い姿の私は闇に溶け込み、誰の目にも映らないでしょう。


 屋上に出ると、物干し台から階下に降りました。ザキパンは最上階に住んでいるので、居場所はすぐそこです。


 その時、一羽の鳩が物干し台の陰で丸くなって寝ているのを見ました。これは使えます。


 ひと気のない廊下をそっと進み、立派な扉の前で止まり、鍵を破ります。これも容易く成功しました。


 五つほどの部屋が繋がっているザキパンの部屋の一番奥に彼は寝ているというので、私はナイフを抜いて静かにそこを目指します。


 寝起きしなにナイフを突きつけて、彼におじさま……オクティス伯爵に不利な情報を口外するなと脅し、立ち去った後に部屋の前に毒殺した鳩を置いていくのです。きっと準男爵は大いに驚き、その舌を引っ込めることでしょう。


 寝室の戸口は半開きになっていました。そこに身体を滑り込ませて見えたものに、私ははじめて動揺しました。


 寝室には、ザキパン以外の誰かが居たのです。


 なるほど、ザキパンらしい影はベッドの上でふくらみを作っています。その傍に、誰かが立っていました。


 その人影も、入ってきた私を見ました。煌く刃が見えます。この者もナイフを持っているのです。


 人影は飛びのきながら、窓に向かって走りました。私は不味いと思いました。目撃されては、おじさまの不利益になります。


 追いかけた私は横目に準男爵を見ました。その胸の上に、血の染みが広がっているのが分かります。


 今は目撃者に対処することが先決、そう決めた私は、逃げる相手が窓を破って外に飛び降りたのを追いかけ、跳躍しました。


 相手はどうやら、窓に鉤縄を掛けて侵入したらしく、片手で縄を取りながら落下していきました。私もそれに倣い、街路に着地します。


 風のように早い相手を追いかけて、私は走りました。蛇行する路地を曲がりくねり、相手は私を撒こうとします。そこで私は追いながら周囲を見て、地下宮殿の隠し入口を見つけると、そこを通って相手の先回りをしました。


 出た場所は、袋小路の手前。相手をそこに追い込んだ私は、ナイフに必殺の毒を塗って構えます。


 そう、この者は殺さなくてはいけない。何処かで私について話すかもしれない。それは巡り巡っておじさまの害になるでしょう。それだけは、防がなくては。


 そのためになら殺せます。おじさまのためなら……。


 相手も覚悟を決めたのか、ナイフを構えていました。あちらも生きて脱出するために、私を殺すつもりでいるのでしょう。


 私と相手は同時に飛び掛かりました。互いの腕が交差して、ナイフが突き出されます。


 相手のナイフは私の黒装束を掠めて背中に抜けました。私のナイフは、相手の左肩に一筋の傷を与えます。


 さっと身を引く時、相手の身体に触れて分かりました。この者は女性です。私と同じ……女の……暗殺者。


 彼女は私を見ているようでした。何かを言おうとしていましたが、毒が回って口がきけなくなったらしく、震えながらその場に倒れました。


 痙攣しながらもがく女暗殺者を見ていて、私は不思議な気持ちでした。初めて人を殺したというのに、ショックも何もありません。薬を試していた時に実験動物を死なせてしまった時のような、微かな残念な気持ちに似ています。


 動かなくなった相手を見下ろし、その脈を確かめました。肌はまだ温もりがありましたが、既にその鼓動は止まっていました。


 これでいいのでしょう。脅迫相手は死にました。目撃者も死に、路地裏のここでは発見されるのもかなり後になるでしょう。




 その日から、母は消えました。




「どうやらメーテルは、君に仕事を任せたことをどこかで嗅ぎつけていたらしい。君に先んじて準男爵を始末すれば、娘の手を汚すことはないだろうと思っていたんだろう」


 地下宮殿の片隅にある霊安室に呼ばれた私は、母と対峙しました。


「私がいけなかったのだ……メーテルを信頼していれば、君の手を……娘には母を殺させることなどなかったのだ」


 暗殺者の黒装束のまま眠る母を前に、おじさまは震えていました。


「おじさま……教えてくださいますか?」


「何を……?」


「一体、どこからどこまでが本当で、どこからが嘘、いえ、仕組まれたことなのです?」


 初めての仕事を終えてお屋敷に帰り、母の姿が見えなくなってから、私はずっと考えていました。


 あれが母の仕事なら。母が暗殺者だったなら。あの暗殺者が母だったなら。


 今の私も暗殺者なら。


 それらのすべては、おじさま……オクティス伯爵に繋がります。


「……全ては、メーテルが流れ者の冒険者にほだされ、組織を裏切ったことから始まる。この闇社会に君臨した地下宮殿の残滓をみれば、それがどれだけ偉大なものだったかわかるだろう。私はこの世界で立身栄達を願った。だがそれは、一人の離反者によってなしえぬこととなった……だが、私は諦めなかった。残った地下宮殿を再興させ、かつての人脈を用いて財を作り、そして兄から伯爵という表の顔さえ手に入れるために、今は絶えた暗殺者を欲した……そのために、私はある片田舎に隠れ住んでいた一家に目を付けた」


「私と両親ですね」


「そうだ。すっかり足を洗ったつもりだったメーテルを騙すのは造作もなかったよ。君と君の父が罹っていたのは病気じゃない。一種の中毒だ。君たちが飼っていた牛の飼料に、ギルドが育てていた薬草の一部を密かに混ぜておいたのだ。君の母は昔、薬に耐性をつける訓練をしていたから効かなかったのさ」


「そして母を暗殺者に復帰させる見返りに、解毒剤を渡したのですね」


 おじさまは私を背中から抱きしめました。


「初めて君を見た時、若いころのメーテルにそっくりだと思ったよ。全盛期を過ぎた暗殺者に代わる、新たな暗殺者に相応しいと思った。だから君の父には死んでもらった……メーテルが兄を殺すまでの間、都を離れた時に君の家に忍び込み、忌々しいあの男に薬を盛ったのさ」


 大好きだった父を殺した男。だというのに、私は憎しみを感じませんでした。


 それは私が成長したからでしょうか? それとも……。


「すべてはお膳立てされたことだったのですね。母の死も、貴方は初めから私に殺させるつもりだった」


「古くなった道具は処分しなければならない。新しい道具の贄になってもらうことにしたのさ」


 新しい道具。私はおじさまの道具になりました。


 その響きの、なんと甘美なことでしょう。今の私があるのは、一から十まで全ておじさまの手によるものです。この居心地の良い心の動きさえ、おじさまの手によって作られたものです。


 ですが、私はそれを嫌だとは思えませんでした。きっと私は悪魔に魅入られたのです。身も心も燃え尽きて地獄に落ちるでしょう。おじさまと一緒に……。


「おじさま。シェフォンを大事にお使いください。おじさまのためなら、私……死んでもいいわ」


 向かい合い、抱きしめ合い、情熱の口付けを交わす私を、死んだ母が恨めし気に見ていました。




 こうして私は、甘く深い悪徳の悦びの中へ、母に成り代わり還っていきました。


 表向きは、小さな医院の女医として暮らし、暗黒の世界ではオクティス様のために働く忠実な暗殺者として。


 彼の掌の上で踊る人形である私を、彼は幾度も愛してくれました。


 ずっと、ずっと……。

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