梨霊艮
安良巻祐介
精霊が憑いている。果物のような。
道端の卜占氏にそんなことを宣告され、なんだそりゃあ、と思いながらも、そう言えば最近、何かが腐ったような甘い匂いが、家にいる時にふと薫るということがよくあるなあ、と思い至った。
半信半疑のまま、その卜占氏の勧める、地域ゆかりのお守り張り子、曰く「眠り艮」を一つ購入し、こりゃあ霊感商法にまんまと騙されたぞと思いながらも、鬼門を封じ悪意ある霊を眠らせてしまうという、その赤べこと大虎の合いの仔のような張り子が、かなり朴訥として愛嬌のある顔をしているので、いんちきだとしても、郷土玩具等の趣味のある自分にとっては良い買い物をした、と愉快な気持ちで帰宅した。
ところが、戸を開けて下足を上がるや否や、張り子が首をぐらぐらぐらりと揺らしながら、WOW WOW WOWと妙にグルーヴィーな声で吼えだしたので、せっかくの牧歌的情緒はあっという間に失せてしまった。
お前、そんな風に鳴くのかよ、と呆れていると、やがて、その声に引き寄せられるように、部屋の隅の、薄暗くなった角のところから、だだだだだっ、と音を当てて、何やら細長い、薄緑色の人が駆け出してきた。
その人は──まるで、肥えたバッタが立ち上がったような造形だが、見れば、顔の、目鼻口のあるべきところに、大小さまざまの虫食いのような穴が生じている。そして、その周りから、ここ数日いつも嗅いでいた、あの腐った甘い匂いが流れ出し、鼻腔へと飛び込んでくる。
思わずくしゃみをしたところで、その、緑色の人が、腰を捻って、くるり、と妙に軽快なターンを決めた。
その浮足立った様子は、休日ぼんやりしていたところへ、外から心を掻き立てる音楽が流れてきたせいで、いてもたってもいられず、立ち上がってそのまま家を出た、そういう風情がありありと見て取れた。
WOW WOW WOW…WOW WOW WOW…
陽気な張り子のシャウトがまたもや響き、それに釣られて、緑の人のステップが情熱的になる。
そのようにして、まんまと釣られてきた緑色の人は、部屋の中ほどまで来て、こちらの腕の中の艮のすがたに気が付いたらしく、ギャッと甲高い悲鳴を上げて、慌てて踵を返そうとしたけれど、もう遅い。
陽気な声を吐いていた張り子の口がぐにゃりと動いて、大きな鰐口になったかと思うと、ぞぶん、と汁気たっぷりの音を立てて、その人の顔を、喰い千切ってしまったのである。
強烈な甘いにおいが、その場にまき散らかされた。
そうして、緑色の、ノリの良い、精霊らしい人は、消え去った。
あっけに取られながらも、ことの次第および、張り子の示した確かな効能がだんだんと理解されてきて、(眠らせる、と言いながら随分と物騒な解決法だったとはいえ)やれやれ、よかったよかった、と胸を撫でおろしたりしつつ、さっきまでの熱唱がうそのように沈黙してしまった張り子を、両手で押し包んで、棚の一番良いところに据えてあげた。
しかしあんな奇態なものがなぜ、いつの間に。
気になってたまらず、後日、馴染みの神道で禊ついでに、改めて
それだけ。
それだけのことで。
あんな見た目の珍しい、変な緑色の厄介者が、かたちを成して家に棲みつくなどとは。
全く、何とも可笑しな話である。
そんなことなら、このところ暑い日が続くことだし、今度は冷やした西瓜でも切ってみて、出てくるであろう緑と黒の縞々の奴へ、「おまえは誰だ」と
そんなことを、呑気に思った私であった。
梨霊艮 安良巻祐介 @aramaki88
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