Clean Bandit

下村アンダーソン

Clean Bandit

 奪うことは極上の歓楽だ。欲しいから奪うのではない。掠奪という行為それ自体の甘美さを、あなたは知らないだろう。そのほうが幸福だ。


 十数年かけて獲得した戦利品を、今さら数え上げるような真似はしない。シールやキーホルダーといった安価な品から、イヤリングやネックレスのようなそれなりに高価な品まで、まあ色々とあったような気がするが、ほとんど手元に残ってはいないというのが本当のところだ。手に入れると同時に、もっと言えばあなたの体から離れると同時に、あらゆる物品が輝きを失い、まるで興味を引かないがらくたと成り果てるのを、幼い頃こそ不思議に思ったものだが、何のことはない、あなたから盗み取るという行為自体が快楽だったのだと、あるとき私は気が付いた。盗めるものならべつだん何でもよかったけれど、どうせならお気に入りの品のほうが愉快と感じるのが人間の性というもので、私の犯罪は少しずつ、大胆さを増していった。泣きじゃくるあなたを慰めながら、夜の公園でプラスチックの指輪か何かを一緒に探してやったのを、あなたはもしかしたら、幼少期の美しい思い出として記憶しているかもしれない。本当はあれは私のポケットの中に隠してあって、返そうと思えば返してやることもできたけれど、実際はそうせずに、帰り際、桟橋から池へと投げ捨ててしまった。あの池ももう無くなってしまったろうか、あなたの指輪を胎の底に抱え込んだまま。

 あの片田舎から大学に進んだのは私たちだけで、都会での初めての独り暮らしは不安だから知り合いがいて良かったとか何とか、あなたはずいぶんと喜んでいたけれど、私の目的はまったく別のところにあって、とにかく近い場所に居られる口実を作ったに過ぎなかった。あなたの部屋から徒歩圏内のアパートを借りて、あとはやりたい放題。とはいえ当時のあなたはあまりに無防備に過ぎ、私も私でスリルを感じにくくなっていた頃だったから、大学入学からの二年ほどは少し大人しくしていたような気もして、思い返してみるとそれほど面白くはなかった。精彩を欠いていた、とでも形容すべき時期だった。

 そういう倦怠期に突入してみると蘇ってくるのは幼少期のことで、私の脳裡に燦然と輝いていたのはあの、指輪を失くした日のあなたの泣き顔だった。なるほど私はあなたが苦悶するのが見たかったのかもしれないと思い立ち、かつそれが私の指先の技から生じるならば素晴らしいと考えて、新たな計画を練りはじめた。二十歳の頃の話だ。

 そのときちょうど、あなたは周囲に隠れて恋人を作っていたのだけれど、そのくらいの秘密を探り当てられない私ではなく、相手の名前から素性から、おそらくはあなたが知る以上の情報を私は得ていて、どうにかこれを利用できないものかと考えていた。驚いたというか意外だったのはあなたの恋人が同性、すなわち女であったことで、長年傍らに居つづけた私もそうしたあなたの指向には気付けずにいたのだけれど、あなたの恋人が男であろうが女であろうが別に構いはしなかった。単純にこれを奪い取ってやろう、そういう衝動がむらむらと込み上げてくるのを自覚すると矢も楯も堪らなくなって、私はあなたの恋人を篭絡すべく行動を開始したのだ。

 結果から言えばあなたの恋人は果てしなく軽率、薄情、そして好色な女であって、転がすのは自分でも驚くほど簡単だった。それまで同性間で睦み合うという経験はまったく無かったが、あなたがこうして愉しんでいたのかと思うと昂揚して、存外に盛り上がってしまった。あなたの恋人はそれを、自身の手柄のように誇ってみせたけれど、無論のこと私の関心はそんなところには無くて、事の最中でさえ、あなたがどういう表情で悔しがるだろうかとばかり考えていた。私の上になったり下になったりしながら白々しい声を上げつづける女には、一厘の興味を抱くこともなかった。

 そういった次第で私は、この女を伴って内心浮き浮きとしながらあなたの前に姿を現したのだけれど、あのときあなたは泣きも喚きもせず、そう、とだけ言って私たちの関係を黙殺した。気付いていなかったはずはなかろうに、あなたは少なくとも表面上は平静を維持して、最後まで私の望むような反応を見せることはなかった。祝福の言葉さえ口にしたような記憶が朧気ながらある。

 完全に期待を裏切られた私のもとに残ったのは元より興味の抱けない軽薄な女だけで、当然すぐさま遠ざけようとしたのだが、この女というのが妙にしつこく、精神的肉体的に私に依存してしまって、どんなに辛辣な態度を貫いても離れようとしなかった。このお荷物から逃れるべく私は引っ越しを余儀なくされて、オートロック付きの、外部から不審者がおいそれと侵入できない類のマンションへと移った。ここまでが半年前の出来事。

 新居に期待していたのはセキュリティのみだったが、私が住まうことになったのは夜景が素晴らしい七階の部屋で、この予想外のおまけには少しばかり気分が良くなった。何人かの男や女が出入りしたけれど、詳細はろくに覚えていないから省く。あなたと違ってつまらない連中だった。何を盗る気にもならなかった。

 ことが――というのは私がこの手記を残すに至ったことが、という意味だが、ともかくそれが起きはじめたのは三か月ほど前の夜で、私は例によって、契約時に不動産屋がしきりに主張した美しい夜景を眺めては愉しんでいた。ベランダの窓からだ。すると街灯りしか見えていなかったはずの窓に突如、女の影が浮かび上がって、私の視界を遮ったのである。思わず悲鳴をあげかけた。

 それなりの合理主義者を自認する私がまず考えたのは、整備士あるいは上階の住人が、何らかの理由でベランダを伝って下降してきたという可能性だったが、目の前にあるのは薄ぼんやりした影に過ぎないのであって、それはどこからどう見ても生身の肉体を伴ってはいなかった。どこからか映像が照射されている可能性も検討したがそれもまた違って、影はいかなる視覚的トリックとも無関係に存在しているのだとやがて知れた。

 この奇怪な影の正体を私は、かつて自分が追いやった女、つまりはあなたの恋人が、恨みを抱いてやってきたものと見做したが、そう理解したからと言って幻影の気味悪さ、嫌悪が去ってくれようはずもない。カーテンを閉じたところで影は影として浮かんで、じっとこちらを見やるような姿勢で佇んでいる。私に襲い掛かってくるだとか、あるいは悍ましい姿になって脅かしてくるとかいったことはなく、ただ女の輪郭がそこに存在しているだけなのではあるが、だからと言って無害なはずもない。夜ごと女の影に監視される恐ろしさと言ったら相当なもので、けっきょく私はすぐに白旗を上げて荷物を纏め、また別の住まいへと移った。

 引っ越しただけで解決してくれれば簡単だったのだけれども実際にそうはならず、心の奥底で予期していたとおり、影は平然と新居にも現れた。この手記が置かれているテーブルからすると左手側の、やはりベランダの窓に決まって出現する。毎夜欠かさず姿を見せては、ただ私を窓の向こうから眺めて、朝の訪れとともに去っていく。ただそれだけが繰り返される。

 怪現象に耐え兼ねて、例の女に謝罪をしようとしたのが昨日のことだ。あらゆる連絡手段を試したが、いずれも不通で、この段になって私は、彼女がとうにこの世の人ではなく、だからこそ亡霊となって私に付きまとうのだという、甚だ非合理的な、しかし物語的には順当な可能性に思い至った。ともかくもその生死を突き止めねばいられなくなった私が切迫した調子で電話を架けたのを、あなたは覚えていることだろう。

「――それ、誰?」

 あなたが空惚けているわけではないことは口調で分かった。元よりそうした冗談を好む質ではないし、自身が深い関係を持った人物を忘れているはずもない。あなたは何もかも覚えている。私が忘れていることも、捨て去ったものも、すべて。

 あなたとの通話を終えたあと、私は本当に久方ぶりにカーテンを開けて、影と真っ向から対面した。ああ、そういうことなのか、という不思議な感覚が、胸中に生じた。

 あの女が実在したかどうかなんて、私にもあなたにも、どうだっていいことなのだ。ふたりの記憶の中にのみ住んでいる、あの軽薄な女は、私たちの関係を決着させるための装置に過ぎないのだ。

 影はゆっくりと私を蝕み、衰弱させて、いま私の持つ唯一のものを奪うだろう。何もかも手にするなり放り出してきた私がいまだ抱え込んでいる、たったひとつのものを。

 私がそれを奪われたとき、あなたは涙するだろうか。それとももっとも身近な罪人が消え失せたことを喜び、祝うだろうか。私に奪われたいっさいを数え上げながら、私の罪の重さを測るだろうか。

 私が期待しているのは、そのどちらでもない。ここまで手記を読み進めてきたあなたならば、私が生涯を通じて味わった歓楽を、引き継いでくれるものと信じているからだ。私の汚れ切った魂を奪い去ったとき、あなたという清冽な盗人が感じるであろう愉しみを想像するだけで、体が打ち震えそうになる。私はあなたを通して、再び喜びを知るのだ。


 奪うことは極上の歓楽だ。欲しいから奪うのではない。掠奪という行為それ自体の甘美さを、あなたは知らないだろう。そのほうが幸福だ。

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