応援コメント

ちょっぴり真面目に認知症の話」への応援コメント

  • 娘ちゃんたちの対応、素敵ですね!

    わたしは認知症、なりたくないかなあと思います。
    お姑さまがぼちぼち記憶力が薄れてきていて、自分でそういうのに気づいたときに、とても不安そうにするんですよね。
    見ているわたしも心配ですし、仮にわたしがわけわかんなくなったときに、頼りになりそうな人、いなさそうだなあって思いますし。笑笑

    作者からの返信

    夏緒さん

    お返事遅くなってしまいました。すみません!

    初期が辛いんですよね。自分が自分ではなくなっていくような不安。その段階の人に何が必要なのか、模索しているところです。
    そんな時でも周囲のサポートが必要なんですが、なかなか難しい。周囲の不安が、本人にも伝わって余計に不安になるんですよね。なんとかしたいところ。

    サポートしてくれるひとがいないと困ります。今から教育が必要ですね笑!
    我が家は娘たちに、「認知症になったら、ポテチとハンバーグをくれれば、母は喜ぶ」と言い聞かせています。

  • 認知症ケア加算に関わる研修を受けた時に、認知症の生命予後(死亡率)の話がでて、認知症は終末期に向かう疾病の一つとして確立もしているんだなと思いました。
    認知症診断から平均5年以内だとか、重度認知症の1/4が半年以内に亡くなるだとか。

    病棟でも、一晩でベッド周囲の棚類まで全てが糞尿塗れだとか、とても普通の生活ができない認知症患者さんはたくさんいます。確かに周囲は、困った状態になりますよね。
    でも、その方の長い人生の中の終盤の数年なんですよね。そう考えると、出来るだけ楽しく過ごせればいいなと思えます。
    病院で認知症が『困った』と言われるのは、転倒や受傷に過失が付くからが大きいと思うんですよね。だから動きを制限せざるを得ない。自由に動けなくてストレスフルな余生よりも、ケガをするかもしれなくても自由に動ける余生の方がいいなぁと思いつつ。責任があると難しいですね(´・ω・`)

    私は認知症を待たず、ある日電池切れのように心臓止めたいです(∀`*ゞ)エヘヘ

    作者からの返信

    ちえさん

    お返事遅くなってしまいました。すみません!
    そうなんですよ。今ではアルツハイマーは、先が見えているので、診断されたらACP開始の合図です。末期の方は、本当見ていられないくらい切ないですね。

    病院は治療の場ですから。言いつけ守れないのは、困ったちゃん認定です。在宅とは訳が違いますからね。

    ぴんぴんころり!
    それもまたよきかな。お別れの時間は少しほしいところですけど…

  • 正直なところ、認知症にはなりたくないんです。

    実家のおじいちゃん、おばあちゃん(共にすでに故人)。実家の父親と認知症なんです。おばあちゃんはかなりしっかりしてましたが、亡くなる数年前からは何が何だかよくわかっていなかったみたいです。おじいちゃんは亡くなる10年くらい前から、怒りっぽくなってましたね。

    家族が認知症になるのは辛いですよ。わたしはメンタル弱いので見てられないです。家族の認知症を認めたくないというのは、すごくよく分かります。おじいちゃんのときははじめてだったので、特にそうでした。

    認知症を改善する薬か治療法ができないかな〜と期待してます。体力は仕方ないんですけど、頭の方はいつまでも元気で小説を書いていたいですからね。

    作者からの返信

    藤光さん

    お返事が遅くなりました。すみませんでした。

    そうですね。周囲が耐えられない! その人がその人ではなくなってしまうようで、周囲は困惑したり、恐怖したりするものです。
    家族の苦悩はよくわかります。そして、普段しっかりしている人ほど、そのギャップにやられますよねー。

    改善薬、少しずつ出てきていますしね。わたしたちの頃に間に合うといいですよね。

  • 認知症は辛いですよね。
    父が脳梗塞から認知症の症状を呈して、いろいろありました。
    にこにこ認知症であればいいのですが、もともと学者肌の父にはとても辛そうでした。

    作者からの返信

    雨さん

    お返事が遅くなりました。すみません!
    脳血管性認知症はまた、難しいと思います。しっかりしているところはしっかりしていますから。さぞお辛かったでしょうね。
    認知症には、色々な疾患がありますから、一纏めにはできませんね。

  • なるほどねー
    病気になっても、幸せに生きていく。そういう思考はいままで、なかったなー

    病気=悪 という認識ですよね。でも、なおらないものならうまくつきあっていかないとですね。

    作者からの返信

    こころさん

    お返事が遅くなりました。すみませんでした。

    長生きになった人類へのプレゼント…なのではないかと思います。
    どうせなるなら、楽しい認知症がいいなと思います。それに、認知症になっても、生活に支障がない人もいる訳です。
    昔、修道院の女性たちがなくなった後に脳を解剖して研究がされましたが、認知症の症状がない人でも、脳自体には病変があったという話です。
    認知症にはなる! けれど、みんなに迷惑がかからない程度だといいんですよね。

  • 私、認知症になるって、『死への恐怖から回避できる』『生まれた状態に戻ってあの世に旅立っていく』って理解してるんですよ。
    段々なにもかも忘れて、理性も利かずに本能のまま生きている。それはまるで生まれたての赤ちゃんのよう。

    でも、なんも分かんなくなっちゃってるから、死への恐怖も病への恐怖も何も感じない。

    お世話する周囲は大変だろうけど、本人はそこまで苦でもないんじゃない? みたいな。

    私は今おいたんから凄い迷惑を掛けられてるから、将来ボケ散らかしておいたんにおしめ替えさせたろ! とか思ってるけど、実際はボケずにずっと仕事して生きていたいです。

    佐藤愛子先生のように、年を取ってからも言いたい放題書きたい放題で生きていたいなって思います。

    作者からの返信

    無雲さん

    お返事遅くなってすみませんでした。
    私も無雲さんの意見に賛同です。死への恐怖がなくなる。認知症は、長生きしすぎた人間へ、当然のように出てきた症状なのではないかと思うんですよね。
    なりかけは怖いです。なりかけの狭間の人たちは、とても怖い思いをします。そんな人をどうやったら支えてあげられるのか。私が一番興味があるのは「なりかけの人」なんですが、ある一線を超えるとニコニコですね。

    お世話は大変です。
    子供を育てるのとは訳が違いますから。でも、子どもたちだって、そうやって親には苦労かけてきたんです。最期の最後くらい、親孝行してもバチは当たらないのではないかと思うんですよね…。

    人間は「自分らしく」が一番。ところが年を重ねるとそれが難しい。自分らしく生きられるように、今からの準備が必要です。

  • 〉「自分の抱えている不安を、相手に投げちゃダメです」
    これ、覚えておきたいです。ついやっちゃう( ̄▽ ̄;)

    認知症かー……覚えておけない自分にふぎーってなりそうだもんなー(ピアノの練習とかそんな感じだった)
    でも認知症になっていた人は、辛いことや悲しいことがあっても、幼少期の思い出を嬉しそうに語ってくれました(回想法っていうボランティアをしていたのです)。懐かしむ、って、あの為にあるんだなあって思ったです。

    作者からの返信

    ロンズさん

    お返事が大分遅くなりましたね。すみませんでした。

    それ、よくあるんですよね。自分が不安になると、相手に確認をしたり、余計な行動を取ったりするんです。すると、周囲もその人の不安に巻き込まれて落ち着かなくなる。自分が不安な時ほど、じっとして構えるということも大事なんですよね。

    好きなことは覚えているけれど、好きじゃないことは、てんでダメでしたね。

    回想法はいいですよね。私の年代だって、「昔はね」とか、「わたしたちの頃は」とか、言ってしまいます。あー、もう始まっていますね笑