ちょっぴり真面目に認知症の話


 今日は3月31日ですねー。私、一年で一番嫌いな日です。だって、お別れの日じゃないですか。自分の職場には、ほとんど異動がないもので、あんまり関係ないんですけれども、お役所関係は異動が退職の日ですからね。せっかく仲良くなった職員さんたちが異動したり、退職されるのは、ちょっと寂しい。まあ、明日になると、新しい人が増えて、また落ち着かなくなるんですけど。


 先週から、元夫のばあちゃんが調子悪いんです。結婚当初、すっごくよくしてくれたばあちゃんです。戦闘民族系の元夫の一族の中で、唯一、嫁の気持ちを理解してくれたばあちゃん。親族で集まった時も、いつも台所で一人静かにいるばあちゃん。私は、ばあちゃんとよく台所で話しをしました。


「おらは他人だからない。嫁はいつまでたっても他人なんだ」


 嫁の思いをわかってくれる人。私は大好きでしたけれども。離婚した頃に、ばあちゃんは認知症になりました。そして、重度の弁膜症になってしまいました。


 先月、入院して退院してきたんですが、少し動くと息切れがひどいようです。静かに寝ていてくれればいいんですけれども、なにせ認知症なもので、自分の病気のことをすっかり忘れちゃうんですよね。息切れしなければ、なんともないですから、病気のことを忘れちゃうんです。「ああ、夕飯の準備しなくっちゃ」って、いつもの調子で起き上がって苦しくなるらしいんです。夕飯の準備なんて、できるわけないんですけれども、自分の役割だから、やらなくちゃいけないという意思が働いて、動こうとするらしいです。


「認知症が弁膜症か、どちらかだといいんだけど。やっかいよね。認知症って」


 義母はそう言います。確かに大変なんですよね。目が離せないもの。孫たちやじいちゃんの面倒も見ているわけで、義母はかなり忙しいんです。ばあちゃんの気持ちもわからくはないけれど、周囲からしたら「困った行動」になるわけですね。


 実の親の認知症を受け入れることって、本当に大変なことなんだと思います。子には色々な事情もあって、そんな事情なんて関係なしに振り回してくる親を見て、文句も言いたくなる気持ちもわからなくはない。大人になればなるほど、色々なことを縛られるから、そう思うのは当然なんだと思います。


「お母さん。今日は何日ですか?」って一々テストみたいに確認する娘さん、息子さん、います。ねえ、日付わかるとなにかいいことある? 仕事していなかったら、私だって何日か分からん時あるよ。答えられない本人を見て、お子さんたちは、大層がっかりした顔をする。それを見た本人は、更にがっかりするんです。「自分の抱えている不安を、相手に投げちゃダメです」って言いたくなります。


 以前のエッセイで書いたかも知れませんが、小学生の娘たちの対応は花丸です。ばあちゃんが折り紙で鶴を折れなくなった時。義母はすっごくショックを受けていましたが、娘は「忘れちゃったなら、最初から一緒に折ればいいじゃない。ばあちゃんに鶴の折り方教えてきた」って言うんです。


 娘たちに何度も菓子をくれるばあちゃんを義母は咎めますが、娘たちは「ばあちゃんところに行くと、何回もお菓子くれるんだよ。その度に、ありがとうってもらっておくんだ」って言います。


 長寿大国の日本で、認知症は誰しもがなると言われています。そんな中、国は「認知症バリアフリー」などをテーマにして認知症施策推進大綱を取りまとめています。大綱の中で、目指すべき社会として書かれているのが以下の文言です。


「認知症の発症を遅らせ、日常生活を過ごせる社会」


 認知症になると絶望する。それが今の日本の現実なんでしょうね。認知症って怖いなーってイメージが日本に定着した一因は、マスメディアの影響ではないかと思います。


 ちょっと一昔前、テレビで認知症の派手な症状を取り上げた番組を良く見かけました。あれを見ると、確かに怖いイメージになるでしょう。徘徊して迷子になるとかね。暴力ふるうとかね。これらは、BPSD(行動障害)と言って、周辺症状と呼ばれるものです。本人のそもそもの性格、気質に加え、周囲の関わり方、その人の置かれている環境によって発現する症状なんです。ですから、全ての認知症の方がそうなるとは限らないんですけど……。認知症を正しく理解することで、悪いイメージが払拭されることを国は目指します。


 長谷川式簡易知能評価スケールを考案した長谷川先生。彼は認知症を発症した時、「」と言ったそうです。これ、すっごくいい。長谷川先生のエピソードは検索すると出てきます。是非読んでみてください。じーんと来ます。


 私はですね、認知症になりたいと思います。できれば、にこにこ認知症がいいなあ。


 人間って、長く生きるほど、色々なことを背負うでしょう。それを忘れるのが認知症なんじゃないかな。大好きな人のことを忘れるのは切ない。忘れられた家族はもっと切ない。けれど、辛いこと、嫌なことを忘れて、だんだんと幼少に帰っていくのです。認知症って、人間が幸せに生きていくために出てきたものではないのかなあと、個人的には思っているところです。


 みなさんはいかがでしょう。認知症になりたいですか? 


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