女神と暗黒世界(ニヴルヘイム)

阿賀沢 隼尾

女神と暗黒世界(ニヴルヘイム)

『世界樹』と呼ばれる大樹は世界中のあらゆる地域に生えていた。

『世界樹』は毎年収穫の時期になると、鮮やかな金色の実を付けた。

 しかし、その『世界樹』には不穏な噂があった。今回はそんな『世界樹』にまつわる都市伝説的な少し奇妙な話である。


 ――――――――――――――――――

「それでは、姫神様。祭りの用意が出来ましたので、祭壇へ」

「ええ。分かっているわ」


 とても緊張する。

 なんたって、今日は私が現人神になってから丁度一週間。今日は一年の中で最も忙しく、私達チェチャン族にとって一番重要な祭儀がある日だ。


「ノキ様。今日もお寝坊をして。もっと、現人神としての自覚をお持ち下され」

「げ、村長……。別に良いじゃない。今日で終わるんだから」

「それはそうですが」

「ていうか、村長に敬われるなんて、肩身が狭くて仕方が無いわ」

「そんなことを言ってもですな。今日は我々チェチャン族にとって一年で一番重要な日。三つの祭儀が行われる日なのですぞ」


「そ、そんなこと言われたって……」

 眠い物はどうしようもないじゃない。生理現象なんだから。


「ところでノキ様。今日行われる祭儀と祭りは何か頭に入っているんでしょうな」

 村長はただでさえ鋭い眼を更に細くし、睨みつける。

「も、もちろんよ」

「ほう。それでは口頭で答えて貰いましょうかな」


「一つは処女神祭。その年に選ばれた現人神(処女神)を祝い、今年と来年の豊作をウィキノ神にお願いをする儀式ね」

「その通りです。ちなみに、現人神になる条件は三つ。一つ目、開眼をしていること。二つ目、一を満たしていない場合、15歳未満(大人になっていない)こと。三つ目、処女であること。ノキ様は開眼をされていますので、無条件で決定でしたが、全ての条件に当てはまっておりますので。誰も文句は言いますまい」


「二つ目は豊作祭。世界樹に宿る豊穣の神——ウィキ——に来年も沢山稲が採れますようにってお願いする祭りのことね。三つ目は、年末祭。今年お疲れ様。来年もみんなで頑張っていこうって言うやつね」


「ざっくりしすぎだが、まあよかろう。それじゃ、行くぞ」

「はい」


 祭儀装束を着て外に出る。

 私は今村長よりも偉い立場にいる。だから、普段は村長が座るはずの場所に私が座る。絶好の眺めだった。


 始めは豊作祭。チェチャン族の古来から伝わる伝承をなぞった踊りだ。村長の話ではかなり昔から存在していたらしい。


 数人の男が顔と、顔から生えた複数の手を操作して、精霊(?)役の女性たちを貪り食う。

 毎年思うことだが、なんてむごい……。

 子どもにこんなのを見せて良いのかと思うが。


「ウィキは、実は『豊穣』と『強欲』の神様なんです」

「『強欲』?」

「そうです。チェチャン族の伝承にもあります。この豊作祭の踊りの儀式チパーラの化け物がいるでしょう。今丁度精霊を喰っている」

「はい」

「あれがウィキ紳なのです。我々が『豊穣の神』と呼ぶ」

「なんて、荒々しく、汚らしい神」

「それでも、私たちはウィキ神を信じないといけないのです。彼の神の機嫌を取らねば、私たちが死んでしまう。人間は神々に逆らってはいけないのです。もうすぐで儀式が終わります。さぁ、次は貴方の番ですよ。ノキ様」


 処女祭の間、私は自分の役目をすることでいっぱいいっぱいで、本当に上手く自分がやれているのかどうかなんてよく分からなかった。でも、自分が選ばれたのがとても嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。


 処女祭が終ると、村長に呼ばれて近くの森に連れて行かれた。

 木々が太陽を遮り、薄暗いせいか不気味な雰囲気が子どもの頃から嫌いだった。それに、この森は色んなものが視えるから嫌いだ。

 小さな小人みたいなやつとか、普通では考えられないくらい巨大な白蛇とか。どうやら、それらは他の人たちには視えていないらしく、私にしか視えていないらしい。村長曰く、それが私の『魔眼』の力なのだとか。


 それは私達チェチャン族がこの地に住みつくはるか以前から存在しているのだとか。言ってしまえば、神々の時代から彼らはいて、この地を支えてきたらしい。


「彼らは、我々が普段精アニムと呼んでおる存在じゃて」

「精アニムって、食べ物の前のお祈りとか、寝る前のお祈りとかで言っているあれのこと?」

「そうじゃ。我々だけではない。この森、この地に棲んでいる動植物全てが精アニムのもたらす恵みを受けておるのだ。そら。聖地へ着いた」


「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 薄暗かった視界が一気に開け、一気に明るくなった。

 陽光が照らす金色の草原の中心には、神々しいくらい堂々とした巨木が一本生えていた。その精気たるや。その場にいるだけで生命力、迫力に圧倒されてしまう。


 私達が行き着いたのは、チェチャン族が『聖地』と呼んでいる、村長とその年の『処女神』しか立ち入ることを許されていない聖なる場所。


「さあ、最後に『処女神』としての役割を終えて貰いますぞ」

 突然、敬語になったので、先程まで一人の村長と村の娘として話してくれたのだと、その村長の偉大な心遣いに感謝する。


「はい」


 習った通りにすればいい。

 私は神木の近く穴の近くまで行き、穴に頭を突っ込む。

 ここで、ウィキ神への感謝の言葉を述べれば終わる。言葉自体は代々伝わるものだそうで、理解は出来なかったけれど。

 ――――悪寒が走った。

 その穴からは訳の分からない声が聞こえてきたからだ。最初は風音かと思っていた。けど、良く耳を側立てると、違うとはっきり分かる。

 泣き声だろうか。声からして女の人の声だ。でも、呪詛のような声に私は耐えられずに頭を穴から抜こうとする――――。


「――――死ね。化け物め」

「え?」


 一瞬、何が起こったか分からなかった。

 唯、ヒューと風を切る音と、体が落下していく感覚だけが残っていて。かなり長い間落下しているように思う。


 次の瞬間、私は真っ暗な世界にいた。

 本当に何もない世界だ。


「どこ? ここ?」


 試しに村長を呼んでみるが、返事がない。

 何も見えないはずなのに、色々と見える。

 まるで、伝承に出てくる『暗黒世界ニヴルヘイム』のような。

 時が止まってしまっているみたいだ。


 辺りを見渡してみると、枯果てた大地のように何もない。ものの見事に何もない。

 空を見上げると、惑星のようなものを見つけた。円の淵が妖しく光っているだけで、それが一層この世界の不気味さを際立たせていた。


 何か。何でも良いからここを脱出する手段を見つけないと。


 しかし、辺りを見渡しても何もない。


 その場を一歩踏み出した瞬間、足が沈んだ。


「え? え? ちょ、ちょっと……」


 息を吐く間も無い程、みるみるうちに私の体は地面にのめり込んでいく。いや、沈んでいくと言った表現の方が正しいだろう。


 私の体は何かに包まれ、地面の中へと吸い込まれていった。どれくらいの時間が経ったのかは分からない。けれど、気が付いた時には私は洞窟の中にいた。


 また、訳の分からない場所に来ちゃったよ。

 どうすればいいの。これ。


 途方に暮れていると、遠くから足音が聞こえてきた。


「え? え? なになになに」


 隠れる場所なんてどこにもない。変な化け物とかだったらどうしよう。

 喰われたらどうしよう。


 頭の中がフリーズを起こして体が上手く言うことを聞かない。

 ああああ。やばい。この状況どう考えてもヤバいよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。


「あ、ひ、ひと?」

「え?」


 振り返ると、一人の少女が立っていた。


 しかも、結構可愛らしい。

「あ、あ……。ひ、人だ。さ、さみしかったよぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 金色の絹のような髪が彼女の背中を優しく撫でる。


 ぎゅうぅぅぅぅと両腕を腰に回されて、胸と胸が押し付け合う。


「ちょ……!?」

「ひぐっ。えぐっ」


 滅茶苦茶泣いてるし。号泣してるし。どうすればいいのよ。これ。


「とても寂しかったんだよ。変な人面魚とか。人面植物とかいるし。怪物ばかりだし。邪気は感じるしで寂しくて暗くて。私、これからどうなるの」

「よしよし」


 とりあえず、彼女の頭を撫でてやる。


「ねぇ、何があったの?」

「それはね」


 どうやら、彼女――――パル・セラウス――――の話によると、『異世界に移動できる』と言われている場所に行って、本当に見つけてしまって近づいたらこんな所にいた。ということらしい。


「だってだって。滅茶苦茶変な生き物がたくさんいるんだよ。しかも、人間×植物、人間×蟲、人間×動物みたいなキメラ生物ばかり。嫌になっちゃうよぉぉぉぉぉ。早く帰りたいよ」


 それは辛かったねと言いたいけれど、私はまだ見てないからなぁ。

 どうしたことやら……。


 反応に困っていると、かなり近くから「オオオォォォォォォォ」という地底人の嗚咽みたいな声が聞こえてきた。


「ほら。ほらほらほら。来るよぉぉぉ」

「と、とりあえず逃げよう」


 彼女の手を引っ張って、走り出す。とにかく走る。薄暗く、狭い道を。


「うぎゃ」


 何かに躓いた。

 起き上がって、躓いた場所を見ると、植物が生えていた。

 いや、よく見ると、植物ではない。その根もとを辿ると、人の顔があった。ムンクのような、眼球も舌もない、粘土を人の顔に似せたもののような。


「ひぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 私達は逃げる。ひたすら逃げる。時速30㎞よりも速いくらいの速度で走った。とにかく全力だ。


「君ら、こっちへ」

「「ふぎゃ!?」」


 何者かに手首を掴まれた。

 化け物たちはそのままどこかへ行ってしまった。


「お主ら大丈夫か」

「あ、は、はい」

「大丈夫です」


「うむ。それなら良かった」


 名尋ねてみたが、どうやら記憶を無くしている(多分)らしく、自分の名前さえも思い出せないらしい。

 どうやら、自分の役割だけはしっかり覚えているようで、「娘を見守ること」だそうだ。


「その娘の名前でさえも忘れてしまってね。姿も何もかも。見たら思い出すのかもしれないが……」


 それじゃあ、というわけで、おじさんの娘さんを探すことにした。

 手がかりは何も無いけれど、おじさんは一目みれば分かると豪語している。本当に大丈夫なのかな。


「時々ね、来るんだよ。君たちのようなはぐれ者が。いや、迷い人と言った方がいいのかもしれないが」

「その人達はどうやって自分達の世界に帰っているんですか」

「さてね。儂には分からない。そこらへんに屍があるだろう。それらがそうさ。食料も何も無いからねここは。ゆっくりと餓死して死んで逝くだけさ」


 うわぁ。そんな即身仏みたいな死に方は嫌だなぁ。


 お爺さんの姿を観察する。やっぱり、大きい。二メートル近くはあるんじゃないだろうか。でも、体はボロボロで。それでいて、神々しさを不思議と放っているように感じる。


「やっぱり、君達みたいな若い女の子がここに来ることが殆どかな。時々、男の子も来ることがあるけれど」

「そうですか」


 ここが本当に暗黒世界ニヴルヘイムならば、伝承の通りならば、ここにいるのはロキノテルミアと、その娘ウィキだ。

 キメラ生物を横目で通り過ぎながら洞窟の中を進んでいくと、悲し気で艶やかな声が聞こえてきた。


「と……とうさま………………おとうさま……………………」


「お、奥から何か聞こえてきますよ」

「あ。あぁぁぁぁぁぁぁぁ。ウィキよ。その声はウィキなのか」

「思い出したのですか」


「ああ。ああ。思い出したさ。思い出したさ。これほど美しい声の持ち主を儂は知らない。儂の娘の声だ」


 言うが早いか彼は全力疾走でその声の主の元へと走り抜ける。

 私達も彼に負けずと追いかけた。


 しかし、私達を待っていたのは、想像を絶する光景だった。


 女の人の顔を中心に、どす黒い実のようなものが無数に天井にぶら下がっていた(ミツアリをご存じの方は、彼等の巣を想像していただけると分かり易いと思う)。


 女神と呼ぶには程遠い姿だ。

 彼女がウィキ? まさか。そう現実を受けれない自分がいて。


 彼女は豊穣の女神で。美しくて。

 その時、村長のセリフが想起する。


『ウィキは、実は『豊穣』と『強欲』の神様なんです』


 そう。あの時、村長はウィキは『豊穣』と『強欲』を司る存在だと言った。表と裏。表裏一体の存在なのだと。


 人々に生の恵みを与える存在(『豊穣』)が表なら、裏は――――。


 ガクリとウィキの口が開いたかと思うと、無数の手が伸びてきた。


 逃げなくちゃ。

 身を翻して地面を蹴る。


「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 セラウスの悲鳴だ。


「セラウス!!」


 手を伸ばすが、届かず、彼女の若き肉体は女神の口元へと運ばれていく。


 ゴリガリガリゴリゴリグチュボリボリガリ。


 肉を、骨を断ち、切り裂く音が洞窟中に響いた。

 肉片と血しぶきが地面に飛散する。


「同胞よ。我々と共に一つになれ」


「や、やだ。やめて」


 金縛りにあったように体が恐怖で一切動かない。

 記憶が走馬灯のように駆け巡る。


 ――――『死ね。化け物め』という村長のセリフ。

 ――――処女神を一年に一回選ぶという処女祭。それに選ばれた女の子たちが姿をくらました謎。

 ――――なぜ『魔眼』が視える者が処女紳となるのか。

 ――――豊穣祭の踊りの儀式チパーラが何故あんなにも無残な儀式なのか。


 その全ての答えはここにあったのだ。

 踊りの儀式チパーラは本当で、このことを表していたんだ。あの村で異次元の存在――――神や精アニム――――が視える私は生贄としてウィキ神に捧げられたんだ。処女紳となった女の子たちはみんな生贄として。


 それは私も例外じゃなくて。


 ウィキの口から出た手に体を拘束され、口元へと運ばれていく。

 自分の運命を呪うしか無くて。


 ぼんやりとした意識の中、天井にぶら下がっている実を眺める。そこからは次々と生命が誕生していた。それは生命と言うにはあまりにも支離滅裂な肉体を有していた。

 私達が道中見たキメラたちだ。


 そう言えば、あの実も、毎年年末祭で食べる世・界・樹・に・実・る・果・実・にそっくりだなと思った。


 ああ。

 そうか。


 あいつらも私と同じか。

 姿が違うだけで。


 全部、全部同じものから生まれてきたんだ。

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