Nについて

ささやか

私の思い出

 昔から思い出のない人間だった。

 同窓会か何かで昔話に花が咲くとき、その大抵を思い出すことができず、そんなこともあったのだろうという薄らぼんやりとした感触しか残っていない。楽しそうに笑う皆と同じ時間を過ごしたはずなのに、まるで違う世界にいたようないたたまれなさに苛まれる。皆がきらきらと光る硝子玉をたくさん持っているのに、私には薄ぼけた塊がいくつかあるだけなのだ。

 そんな薄らぼんやりとした人間の交友関係は推して図るべきで、友人など数えるほどしかいない。私とNは親しいと言って間違いではないが、断言するには違和感が残る。そんな関係だった。

 Nと仲良くなったきっかけは保育園で絵本の取り合いになったことだと以前彼女が言っており、正直そのこと自体は覚えていないのだが、二人でよく絵本を読んでいた記憶はおぼろげながら残っているのでNがそう言うならそうなのだろう。

 私とNには二歳下の弟がおり、親から姉として弟の面倒をみるよう言われていた。弟たちはドラゴン探しなどと愚にもつかない戯言をほざきながら雑木林に突入して姿を消すような厄介な存在だったため、私たちはその奔放さに割を食うことが多く、報われない姉という連帯感から仲を深めていった。

 私とNの蜜月は中学二年生の夏に私が引っ越してしまうまで続いた。それからはだんだんと交友が薄くなっていき、年賀状が主なやり取りにとって代わり、Nの近況は母親から時たま聞く程度になった。

 最後にNと会ったのは、三年前に行われた弟の結婚式でだった。着飾ったNは幼い頃と変わらぬ快活さと女性らしい美しさを同居させることに成功しており、社会保険労務士として働きながら恋人同棲しているのだと嬉しそうにはにかんだ。一方の私はといえば、どうにも冴えない人間のまま小さな商事会社の事務として働き、恋人のコの字もなく実家で暮らし続けている。そんなものだと思えば、別に笑顔がひきつることもなかった。

 それからはお互いを過去の美しさとしてまたゆるゆると色褪せていくはずだったが、不意に私はNに対して手触りを取り戻す。きっかけはある夜にNから借りた児童書を自室で発見したことだった。これを借りたのは内容からして小学生の頃だったはずであり、どうしていまだに私の手元にあるのかさっぱり思い出せなかったが、借りたものは返さねばいけない。

 まあ二人で会って美味しい食事とお酒を嗜むなんて大人らしい楽しみをするのも悪くなかろう。私は珍しく前向きな意思をもってメッセージアプリを立ち上げ、その夜のうちにNへメッセージを送った。

 そうしてNから返信がきたのは翌日のことだった。仕事の合間にスマートフォンを手に取った際、偶然気がつく。


 あげる

 ありがとう

 さよなら


 どういう意味なのかわからなかった。ただ嫌な感じがした。児童書はあげるからもう私と縁を切るという意味なのだろうか。だがそれならありがとうは要らないだろう。

 意味を問うメッセージを送っても既読はつかない。三つの単語をがぐるぐると脳内を回るせいで全く仕事に集中できなかった。いよいよ電話をかけてみたもののやはりつながらない。嫌な感じがした。それは言語化することすら躊躇われるほど暗く重たいものだった。Nは今どこで何をしているのだろうか。それが知りたくてしかたなかった。安堵を得たかった。杞憂だと己を嘲いたかった。

 さりげなくトイレに行き、個室で弟に電話をかける。あいつはNの弟とたまに焼肉とか食べに行っているようなので、少なくとも私とNよりはまだ仲が良い。あいつならばNの弟を介して何か知っているかもしれない。

 執拗に電話をかけ続けると、何かあったのと弟がいつもより早口で言った。仕事中だからかもしれないし、私の電話に何か不吉なものを感じたからかもしれなかった。

 単刀直入にNがどうしているか尋ねると、弟は困惑しながらもNが恋人との同棲を解消したこと、転職に悩んでいると以前聞いた旨を答えた。世界の彩度が下がった気がした。

 私は今すぐNの弟に連絡を取ってNがどこにいるか確認するように命じる。

「なんかやばいの?」

「かもしれない。あげる、ありがとう、さよなら」

「何それ」

「今日Nからきた返事」

「急ぐわ」

「そうして」

 時間がじりじりと焦げていく。炭化して黒くなった無価値が意識の隅にちらつき、労働に対する集中力がまたしても損なわれていく。ディスプレイの表示された文字列が眼球を上滑りし、意味の構築できない。こういうときこそ冷静であるべきだ。機械のように美しくあるべきだ。けれども私は肉で作られた人間だった。

 積み重なった無価値が円を描き終えた頃、ようやく弟から電話が入る。慌てて腹痛を捏造しトイレにかけこむ。課長が怪訝そうな顔でこちらを見ていたが知ったことではなかった。

「もしもし」

「ごめん、遅くなった」

 弟は早口で謝罪を述べてから、Nの弟から聴取した内容を話しはじめる。

 ちっとも知らなかったがNは婚約までいった同棲相手と破局していた。そのせいかどうなのか、今は一度仕事を辞め実家に戻っているようだ。ごくありふれた小さな躓きで、きっと奈落より深い躓きだった。

「じゃあNは実家にいるのかな。家族いないの」

「それが両親は銀婚式で熱海に旅行に行ってて、あいつは中国に出張なんだって」

 私は小さな悲鳴をあげた。他人の不安や不幸をまるで自分のものだと主張するかのような浅ましい声音で、そんなものが自分から発せられたことに驚きと失望を覚えた。

「大丈夫だと思う?」

「わかんない。けど不安」

「だよね」

「でもごめん。俺、これから会議あるんだ……」

 弟の口調はまるで悪事を懺悔するかのようだった。全くもって健気で便利な弟だ。私は努めて芯のある声で言ってやった。

「ありがと、あとは私が行くから。一応このことは伝えといて」

「わかった」

 弟との通話を終える。

 幸いにしてNの実家の住所はスマートフォンに残っている。確か赤い屋根の一軒家だったはずだ。近くに行けばあとは大丈夫だろう。

 あとは手段だ。Nの実家の所在する地区は公共交通機関とのアクセスが悪い。ちんたらバスと電車に乗っていてはどれだけ時間を零してしまうかわかったものではない。車が必要だった。けれども免許はあるが車は持っていない。あんな金食い虫、薄給で飼えるものじゃない。そして家にある車は父が通勤で使ってしまっている。

 だが大丈夫だ。うちの会社では営業のため何台か社用車がある。社用車の鍵は壁に張られたコルクボードにフックでかけられており、社員であれば誰でも勝手に拝借することができるのだ。

 もちろんそれはやろうとすればの話だが、今の私はやる気だった。鍵に手をのばすと、車が必要なんて珍しいねと他の社員に声をかけられる。内心ひどく狼狽しながら、笑顔と理由をでっちあげて不審さを糊塗する。その目論見は成功し、私は無事に鍵を手に入れることができた。ふだんの勤務態度が良好だったおかげかもしれない。汗ばんだてのひらに金属の冷たさが伝わる。私は熱がうつるほどぎゅっと鍵を握りしめた。

 そのまま会社を出て社用車の運転席に乗りこむ。後ろめたさからまだ何も成していないにもかかわらず安堵のためいきをはいてしまう。なんて愚かなことだろう。本当に大事なのはこれからなのだ。ここまでは全て些事であるし、些事であるべきだった。

 エンジンをつける。シートベルトをかける。カーナビに住所を入力すれば適切な経路が表示される。もういつでも発進できた。それでもハンドルに頭を預け刹那の間、逡巡する。会社には何も言っていなかった。財布すら、免許証すら持っていなかった。

 いや、全て些事だ。

 スマートフォンを取り出し、『いまいく』と四文字だけNに送る。私はブレーキを解除し、アクセルペダルを踏みこんだ。

 動き出す。久しぶりの運転は私に緊張を強いたがじきにカンを取り戻した。運転に支障はない。Nのこと。自分のこと。Nのこと。余裕のできた脳みそがつまらないことを考えだす。愚かでありたいと思った。私の行いが全くの無意味かつ無価値でありますようにと願った。

 何度目かの赤信号で自嘲が零れる。馬鹿なことをやっている。私がこうして仕事をぶっちして社用車を無断使用しているのは、きっとNが大切だからではないのだろう。Nを失えば当然あるはずの何かが欠け、二度と埋まらない穴ができてしまう。それが嫌だから、そんな感情に従って馬鹿なことをしたかったから、いまハンドルを握っている。否定しきれない自分の浅ましさがやりきれないが、涙はでなかった。偽物だろうと成し遂げれば本物だ。

 優に一時間は車を走らせ、ようやくNの実家の実家にたどりつく。屋根は赤ではなく赤茶色で、ところどころ塗装が剝げ落ちているせいで錆びていた。玄関前の植木鉢にはやせ細った観葉植物が植えられているが、その葉は枯れかけており、庭には雑草がはびこっている。Nの実家には生活の垢がびっしりとこびりついており、年月の経過を否応なしに感じさせた。明るく希望に満ちていたはずだった。けれどそれは単なる美化に過ぎなかった。

 昔と変わらぬ笑顔で、Nに何やってるのと玄関を開けてほしい。そう願いながらインターフォンを鳴らすが神はいなかった。くる気配もない。元々信じていなかった。だから勝手に玄関の扉に手をかける。

 鍵はかかっていた。驚きはない。玄関を諦めて庭に回る。庭に面しているリビングには大きな窓がある。どうせここまできたのだ。一枚くらい窓を割って不法侵入したとしても誤差の範囲内だろう。物騒なことを考えながら窓に近づくと、リビングの奥に誰かいることに気づいた。

 急いで窓を叩く。肉と硝子がぶつかる粗暴な音が大きく響く。なんて野蛮だ。だがその野蛮さがちょうどよかった。奥にいた人物がこちらを向く。それはNだった。生気のぬけた顔でぼんやりと私を認めると、口の端を微かに上げる。彼女が泣こうとしたのか笑おうとしたのかわからなかった。だけど私はもう二回ほど窓を叩き、笑った。

「久しぶり、開けてよ」

 Nはリビングのテーブルに視線をやってから、ゆっくりと窓に近づき解錠した。

「こっから入っていい? いいよね」

 勝手に尋ねて勝手に判断して、窓からリビングにあがる。もちろん靴は脱いでから揃えた。

 テーブルに視線をやる。便箋と封筒が置かれており、ご丁寧に万年筆で何かを書いていたようだった。

 きっと私は、生きているだけでそれだけでいいんだとか、何か劇的で感動的なことを言うべきだった。けれど口にすれば嘘になりそうで怖かった。何か話すべきなのはわかっていた。このままだと単なる不審者だ。

「のど、かわいたな」

 まっしろな思考の末に吐き出された言葉は、本当にしょうもないことだった。

「なんかお茶とかない?」

 あるけど、とNは語尾を濁らせながらも、キッチンから麦茶とコップを持ってきてくれる。差し出された麦茶は冷たく、そのまま一気に半分ほど飲みほしてしまった。

 私には無理だった。Nが何かに悩やんでいたとしても共感も解決もできない。きらきらと光る硝子玉を語り合うこともできなければ、将来の夢や希望もないのだ。一山いくらの凡人だろうと手をのばせば奈落の底まで手が届くとか、夢見がちにもほどがある。なんておこがましい。

 うわっつらのどうでもいい人間が語れるのはうわっつらばかりのどうでもいいことだけだ。それでも私は話した。

 オーストラリアの海がとても青くて綺麗で、グレートバリアリーフも最高だし、自然も雄大だからカンガルーもコアラもとにかく可愛いらしいことを。全部去年家族旅行でオーストラリアに行った課長の受け売りだ。私は台湾しか行ったことがないが、海外に行くのは楽しいから一度行った方がいいとそれっぽく結論付けてみる。

 定期的に流行る純愛青春モノはあまりにもべたついていてうんざりすることが多い。特にいま流行っているやつは一段と商業主義くさくて実につまらないから、映画とか絶対に行かない方がいい。そもそも恋愛とか変に綺麗にラッピングするのが気に食わない、という概ね同意したネット記事を自分の考えのように話してみる。

 YouTubeで音楽がたくさん聴けるので、最近は何故かラップ系を聴くようになり、ラップといえばやたら攻撃的でアウトローなイメージがあったけれど、ポエトリーラップとかいう内省的なスタイルもあって、そういうやつをなんとなく体育座りしてヘッドフォンつけて聴いていると心が落ち着くと自分のことも少し語ってみる。

 私の話はあまりにくだらなすぎて、だからこそNも途切れ途切れに会話に応じてくれた。ぎこちなくだがたまに笑顔も作ってくれた。Nは生きていてこうしてここにいるのだ。もうそれだけでいい気がした。

 三杯目の麦茶を飲み終えたところで、だいぶ早いが夕食を提案する。色々あっておなかがすいたのだ。こういうときこそ焼肉を食べるべきだと私は果敢に主張した。

「問題は私が財布持ってないことなんだよね。いや、次二人でなんか食べるときは絶対私が払うから。約束する、絶対財布持ってくるし、絶対私が払うから。だから今日は、ね」

 Nはしかたないなあと苦笑して頷く。言質は取った。こうして私たちは歩いて二十分はかかる焼肉屋に馬鹿みたいに徒歩で向かい、お酒なんて飲まず、子どもみたいにただひたすら肉を食べた。

 そうして膨れた腹をさすりながらNの実家に戻ると、Nの両親が熱海旅行から戻ってきていた。あらかじめ二人で夕食に行くことは伝えてはいたが、実際にNの顔を見て、Nの両親は深く安堵したようだった。

 お久しぶりですなんて挨拶をして適当にお茶を濁したあと、私は社用車で帰宅する。Nの母親には盛大に感謝されてしまいかえって気まずいくらいだった。

 社用車に乗り、最後にまたねと手を振ると、Nもまたねと手を振り返した。一日が終わった。














 さて。

 無断退勤した挙句、無免許で社用車を私的利用した社員に懲戒処分がされないわけがない。翌日鬼のように叱られ減給になった。薄給がいっそう薄くなったことは痛手だったが、その対価として何を得たかを考えれば実に安い買い物だ。

 たとえば帰宅後、私は缶チューハイで晩酌しながら、そのとき渡された懲戒処分の通知書を眺める。まるで運動会の賞状のようだった。ささやかで愚かな私の勲章。のどの奥でくくと笑いが漏れる。甘ったるい缶チューハイは私にふわふわとした酔いを与えて私を甘やかした。

 あれからNとは私の奢りでイタリアンを食べに行った。それからもたまに会うようになり、私たちの関係はそれなりの色彩を取り戻していった。

 幼き頃の蜜月を甦らせるようなことはできなかったが、当たり前といえば当たり前だ。私たちは大人になってしまったのだ。もう一度完璧に手をつなぐには抱えるものが多すぎた。たとえろくな価値がないとしても。

 だけどNは生きていて、またいつか会うことができる。私はそれで満足だった。

 Nはいま、ワーキングホリデーでニュージーランドにいる。ワーキングホリデーがどういうシステムがいまいち理解していないのだが、まあワーキングでホリデーなのだろう。

 送られてきた写真では、南半球で太陽のように笑うNが写っており、自然と私にも笑みが浮かんでくる。

 ひとりきりの1DKでようやく手に入れた硝子玉を弄ぶ。硝子玉はてのひらで転がるに合わせて人生を反射し、きらきらと光った。

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