お別れに来た娘

増田朋美

お別れに来た娘

お別れに来た娘

暑い日であった。暑い中、流行している発疹熱のため、今年はどこかに出かけようと言う人もなく、スーパーマーケットは、物々しい状態が続いていた。みんな大量に食べ物をかい占めるものだから、食べ物はいつも店に陳列されてなくて、不自由であった。

その日、杉ちゃんと蘭は、買い物のため、スーパーマーケットを訪れていた。いつもどおり食品を買って、さあレジへならぼうとすると、レジは長蛇の列で、待つのだけでも、30分はかかってしまいそうなくらいだった。待っている人たちがみんな無言で、そのかごには米やパスタが大量に置かれているのは、ちょっと不気味だった。杉ちゃんと蘭が、いつもどおりに並ぶと、並んでいる人たちは、ギロッとした目で二人を睨みつけた。まるで、障害者はこっちへ来るなとでも言いたげに。杉ちゃんの方は平気な顔して並んでいたが、蘭はちょっと怖いなあと思ってしまったのである。

「いやあ、怖かったな。もうホント、あのスーパーマーケットには、もう来るなとでも言いたげだったぜ。」

蘭は、出口から出て、杉ちゃんに行ったが、杉ちゃんの方は、口笛を吹いていつもどおりにしている。

「まあいいじゃないかよ、生活できたんだからよ。」

あかるい顔して言う杉ちゃんに、蘭はほんとに変なやつだなあと言う顔で見た。

すると、濁流のように流れていく人の中、一人のおばあさんが現れた。多分、濁流の流れについていけないのだろう。一人で、足を引きずって、ノロノロと歩いている。というより、何か探しているような感じなのだ。よくよく見ていると、ここにもないあそこにもない、なんて口にしている。杉ちゃんの車椅子の近くに、ハンカチが一枚落ちていた。杉ちゃんはそれを拾い上げて

「おい、ちょっとまてよ、おばあさん。」

と、声をかけた。

「これ、落とし物じゃないのか?」

そう言って、杉ちゃんはおばあさんの落としたハンカチを渡した。

「ああ、そうです。私のです。ありがとうございます。」

そういって、ハンカチを受け取るおばあさんであったが、蘭はまだおばあさんとは言えないのではないかと、直感的に感じ取った。確かにおばあさんのように見えるけれど、その言葉遣いや発声から、おばあさんというわけではなさそうである。

「本当にありがとうございました。見つかってよかったです。」

と、彼女は杉ちゃんと蘭に頭を下げた。すると後ろにいた、中年の女性たちが、

「ちょっと!こんなところに長居をさせないでよ!」

「いまは買い物も長くいては行けないのよ!すぐに済ませなきゃいけないのに、入り口で…待たされちゃったじゃないのよ!」

と次々に言い出す。杉ちゃんも蘭もは?という顔をしたが、彼女たちは大事な買い物なんだから、出入り口で待たせるなと怒鳴り散らした。

「だって仕様が無いだろ?この人が、落とし物をして、探していたんだから、出入り口が塞がれただけじゃないかよ。」

と、杉ちゃんがいうと、

「おかげで、五分以上無駄にしたじゃないのよ!」

「いまは30分も店の中にいちゃいけないのよ!」

と、彼女たちは怒鳴りちらすのだった。

「そうか、そんなに時間がほしいなら、僕らのことはほっといて、さっさと行けばいいじゃないか。それでいいじゃないかよ。」

と、杉ちゃんが言い返すと、

「でも時間を無駄にさせた人にはちゃんと責任はとってもらいますよ。そういう、立場を考えて、買い物に来てもらわないと困るわ。あなた達みたいな人は、通販とかそういうものを利用していればいいわ!」

と、主張する彼女たちに、杉ちゃんはやれやれとため息をついた。時間を無駄にしているのはそっちの方なのに、誰かのせいにしなければ気がすまない普通の人たちに、杉ちゃんも蘭も呆れていた。もしかするとこれも発疹熱の流行により引き起こされたかもしれない。だってその前は、こんなに冷たいことはなかったから。

「すみません、私の不注意で。申し訳ありません。」

不意にハンカチを落とした女性が、そういうことを言った。彼女のカバンに、ヘルプマークがついていたので、蘭も杉ちゃんも、そういうことなんだと理解した。

とりあえず、その場をなんとか切り抜けなければならないので、蘭はすぐにタクシー会社に電話して、急いで迎えに来てもらうことにした。蘭はスマートフォンをカバンにしまうと、どうもすみませんでしたと言って、タクシー乗り場に移動していった。杉ちゃんもこっちへ来いとその女の人を連れて、タクシー乗り場に、移動した。その光景をまるで、死刑囚が磔台に向かって歩いていくのを見物しているかのように、周りの人たちは見ていた。

間もなく、タクシーがやってきた。さあ乗ってくださいと蘭は女の人に促した。幸いワンボックスカーのタクシーは、女の人を、乗せれられるほどスペースがあった。三人はタクシーに乗り込んで、急いでスーパーマーケットをあとにした。

「いやあ、ひどい目に会いましたね。あんなふうにハンカチ一つ落とされただけで、怒鳴られなきゃいけないなんて、本当に余裕がないんでしょうね。まあでも、買い物をしてはいけないという法律はどこにもありません。気にしないでください。」

蘭はそう言って彼女にお宅はどこですかと尋ねた。しかしその女性は、返答をしなかった。日本語の分からない人だったのかなあと蘭は思ったが、そういうことではないらしい。それよりも、恐怖を感じているのだろうか、ガタガタと震えているような感じである。

「ああ、なんにも恐ろしげなもんじゃないよ。僕も蘭も、歩けないから、お前さんのことを悪く言ったりはしないから。」

と、杉ちゃんが明るい声で言った。

「ごめんなさい、私、ちょっと人が怖く感じてしまうことがあって。あの、吉原駅まで送ってもらえますか?」

と、しどろもどろに彼女は答えた。

「吉原駅ですか。随分遠くからいらしたんですね。こちらへはバスか何かで?」

と、蘭が聞くと、

「ええ。バスで来ました。」

と、彼女は答えた。

「近くのスーパーマーケットは怖いので、こちらに来ました。」

「まあ、今はどこでも同じだよな。それにしても、僕らやお前さんのことを、あんなふうに言われたらたまらんよね。あれはちょっと、おかしいなあと思う。」

杉ちゃんがそう言うと彼女はええとだけ言った。

「先程、近くのスーパーマーケットは怖いと仰ってましたけど、なんで、そう思うんですか?」

と、蘭は彼女に聞いた。

「ええ、知っている人にあったら、なんて言われるかが怖くて。だって私、働いてないから。いまは、医療関係者が一番偉くて、働いていない人間は死ねという人が多いでしょ。あるいは、群馬の人肉事件みたいなやり方しか、障害者は役に立たないとか。」

そういう彼女に、蘭はなんだかこのひと、極端に突飛な考えをするなあと、思い至った。もしかしたら、ヘルプマークが示すとおりなのかもしれないと、蘭は思った。

「群馬の人肉事件ね。僕も知ってるよ。そうなったら、僕も誰かの餌になるしか役に立たなくなっちまうな。」

杉ちゃんはカラカラと笑っている。そういうことを平気で言えるのは杉ちゃんだけであった。

「確かに、それしか役に立たないかもしれないけどな。僕も蘭も、やりたいことはいっぱいあるし、まだまだ家畜の餌にはなりたくありませんね。」

「幸せな方なんですね。」

と、杉ちゃんの発言に彼女は言った。

「なんで?」

と杉ちゃんが聞くと、

「だって、あたしのような、この世に必要とされてない人とはえらい違いだもの。障害があっても生き生きしている人っていいわね。そうやって、明るく生きていられるって、幸せね。」

と、彼女は言った。と、いうことは何かわけのある人だろうと、蘭は確信した。

「もしよろしかったら、事情を話してくれませんかね。僕たちが何か役に立てるというわけではないですけど、何か事情があって、吉原駅なんて遠いところから、わざわざこの店に来たんでしょう?」

蘭は思わず彼女に聞いてしまう。

「例えば、学生の時にうまくいかなかったとか、それとも社会へ出てうまくいかなかったとか、そういう何か理由があったはずですよね?」

「ええ、私は社会に出ないほうが、家族も、私も幸せなんです。私が出ようとすると、必ず何か問題が起こるから。例えば、私、車に乗れないから、タクシーに乗ってこうして買いものに出るのも、お金がもったいなくて、やめてくれとか言われるし。私が、何も言わないで、黙って生活していれば、家は安寧に回っていけるのよ。でも、それじゃあ私も、生活が本当につまらないでしょ。だから、家族が家を留守にしている間に、こうやってこっそり、家を出て、誰も自分のことを知らない環境に置きたくなるのよ。そうすれば、私が、家族に迷惑をかけているダメな人っていう、認識もされなくなるでしょ。それが一番の快感なの。私のことを誰も知らないってことが。」

蘭がそう聞くと彼女は涙ながらに答えた。不思議なもので、家族に守られて生きている人ほど、家の中が居心地が悪いと感じる人が数多い。その理由はよくわからないけれど、そうなってしまうものらしい。人間は、どこか、家族内に欠陥というか、そういうものがないと、幸せと感じられないことは確かだった。

「そうですか。それはお辛いでしょう。僕も、そういう人をたくさん見ているから、そのつらさはなんとなくですけれどわかりますよ。人は甘えているしか言わないし、働けと言われても、そんなことできるんだったら、とっくにしているよと思うでしょう。どちらもできないで、家の中にいるだけしかできないってのは、本当につらいですよね。僕は、それはよくわかります。」

蘭がそういうと、彼女は、はい、そうですね、と、小さくなって、顔の涙を拭いた。

「まあ、そういうことは、しょうがないことだ。何か大きなことが起こって、どうしても変わらなきゃいけないってことがない限り、動くことはないからな。それでは、世の中、つらすぎるだろ。何もしないってのはつらすぎるよね。この世に、自分が存在していいっていう安心感って言うのかな、それが何もないんだもんな。」

と、杉ちゃんが言った。

「お前さんは、家にも社会にも居場所がないんだったら、お前さん自身を商品にして、何か商売でもしろ。」

という杉ちゃんに、蘭はそれはもしかして売春の事かと思ったが、杉ちゃんの表情から、そういう事でもないらしい。

「杉ちゃん、また女性に対して、そういうことを言ってはいけないんじゃない、」

と思わず言いかけると、

「もちろん、体を売れと言っているわけではないよ。お前さん自身を商品にしちまえばいいってことだぜ。それは勘違いしないでくれ。今はよ、手伝い人欲しがっている人は結構いるからな。それを売り物にしろ。」

とカラカラ笑っていう杉ちゃんに、蘭はちょっとほっとしたのであった。

「なるほどね。家事の手伝い人として働いてみたらどうかってことか。」

「でも、どうやって移動したらいいのでしょう。私、車の運転ができないので、遠方にはいけないんです。それでは遠くの人から依頼があったら、その人の家に行けない。」

という彼女に、

「だから、大丈夫だよ。本当に必要としている人であれば、車で迎えに来るよ。それに、移動手段は車ばっかりじゃないだろう。電車もあるし、バスもある。」

と、杉ちゃんは言った。

「バスは一時間に一本しかないじゃないか。」

と蘭が言うと、

「いや、一時間に一本あればそれでいいじゃないか。山奥の秘境駅だって使う人は使うんだぞ。」

と、杉ちゃんは言う。本当にプラス思考すぎるというか、考え方が軽すぎるよ、杉ちゃんは、と蘭は思うのだが、杉ちゃんの考え方は、変わらないようだった。

「意外にな、家事だけではなくて、何か人が欲しいっていう心情になることは、結構あるんだよ。だからそこに付け込むんだ。それを利用すればお前さんだって役に立つことができるさ。」

「でも、あたしが、頻繁に外へ出るようになったら、家族が何をしているんだって怒り出すわ。其れに、今は、外へ出ることはやめようっていう意見が多いじゃない。外へ出ないでできるだけ家にいようとか、他県ナンバーの車を見て震え上がることだってあるでしょう。」

「いや、お前さんは、少なくとも僕みたいに、あきめくらではないわけだからねえ。そういうインターネットのサービスはないのか。」

杉ちゃんと、彼女は、そういう話を繰り返しているのだった。確かに、今はインターネットで仕事をあっせんすることは数多い。テレワークとか、そういう言葉も流行っているし、パソコンを利用して、カウンセリングをすることだってある。

「まあ、長話は、無料のメールアプリだってあるんだろ。僕は名前は知らないけど。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「それで、お前さんは、話し相手になるってかけばいいんだよ。ものすごい資格を持った人ばっかりが、その業界を独占しているわけじゃない。大事なことはな、人が話すことは、悩みだけではないってことだ。そして、それを話すことが、今はものすごく嫉妬される世の中になっているということ。」

蘭は、杉ちゃんが話している間に、仕事をあっせんするSNSを検索サイトで探していた。ちょっとした知識とか、技能とか、そういうことを商売にするSNSは、いくつか見つかった。まだ、普及していないサービスのようで利用者も少ないが、それでも、知識を売るサービスは、いくつか見つかることは見つかった。実際に会わなければならないというサイトもあれば、インターネット上で片づけられるサイトもある。サービスの名称はサイトによりけりだが、内容はどれも同じ。退屈な人のために、インターネットで、話し相手を一人指名して話をするというもの。

「じゃあ、これでちょっとやってみるんだな。ちなみに、そういうサイトは、遊郭ではないから、おかしな話はするなよ。」

と、杉ちゃんはスマートフォンを見せてまたカラカラと笑った。

「お客さん、もうすぐ吉原駅に着きますが、北口、南口のどちらで下ろしたらいいんですかね?」

間延びした声で運転手がそういった。彼女は、ああ、北口で下ろしてくださいと言った。数分後、タクシーは吉原駅に到着した。そして、北口のタクシー乗り場で停車した。

「じゃあ、家に帰ったら、もう必要のない人だと言われないようにするんだな、一期一会の出会いだと思うけど、一緒に頑張ろうね。」

と、杉ちゃんがそういうことを言っている。蘭は、もし、何かあったらここへ電話して、と、急いで彼女に自分の名前と住所を書いたメモ用紙を彼女に渡した。彼女は、それを黙って受け取った。そして、タクシーを降りて、深々と頭を下げ、駅に向かって歩いて行った。

「どうも、不思議だなあ。」

と蘭は言う。

「なんで?」

と杉ちゃんが聞くと、

「いやね、あの女性、どっかで見たことあるなと思うんだよ。何年か前にうちへ来た女性とよく似ているんだ。それが、なんて人だったかなあ。思い出せないんだよ。」

と蘭は答える。

「そうか、まあ、人間だから、そういう事もあるよな。蘭のところにはいっぱいお客さんが来てるし、名前を忘れちまうってこともあるよ。」

杉ちゃんはそういっていたが、蘭はなぜか何とも言えないおかしな感情がわいてしまった。どうも腑に落ちないというか。あの人は、どこかで見たことが在る女性だと思う。でも、名前がどうしても思い出せない。ほんと、人間って悲しいくらい忘れていく生き物と、誰かの歌の歌詞にあったけど、まさしくその通りなのである。

その翌日のことである。

蘭が、またいつも通りに下絵を描いていると、インターフォンがなった。杉ちゃんであれば、五回連続してなると思われたが、インターフォンは一回だけしか鳴らなかった。

「はい。どなたでしょうか。」

と、蘭は、急いで絵筆を置き、玄関先に行って、はいどうぞと声をかけた。お邪魔しますと言って、一人の女性が入ってくる。彼女は、蘭の顔を見るなり、単刀直入にこういうことを言った。

「あの、星野節子という女性をご存じありませんか。」

「ええ、知ってますよ。僕のところに来てくれたお客さんの一人で、僕は彼女に、ユリを彫って差し上げました。」

そう聞かれて、蘭は、名前を言われて、ピンときた。ああそうだ!彼女だ!昨日会った女性は、そういう名前だったはずだ!

「私、星野節子の母でございます。」

と、彼女は言った。

「ああ、お母さんですか。通りでよく似ていると思いました。節子さんこの頃どうしてます?お元気にしていらっしゃいますか?」

蘭が、彼女によく言う言葉でそう挨拶すると、

「ええ、節子が、昨日、永い眠りにつきました。」

と、お母さんは答えた。

「昨日、ですか?」

と、蘭が聞くと、母親ははいと頷いた。

「ちょ、ちょっと待って下さい。彼女は、昨日、スーパーマーケットに来ていて、僕たちと一緒にタクシーに乗って帰ったはずなんですけどね。亡くなったのはいつのことですか?」

と、蘭が急いでそう聞くと、お母さんは三時ごろですと言った。検死官の判断ではそうなっているという。両親が外出している間に、カーテンレールで首をつっていたという。

「三時ごろと言ったら、僕たちと一緒にタクシーに乗っていた時間だ。間違いないですよ。彼女がどこにも居場所がないと言っていたので、僕たちは、SNSの紹介とか、そういうことをしたんですから。」

と、蘭が慌てて言うと、

「そうだったんですね。最後に、娘の望みをかなえてくださってありがとうございました。それはきっと先生に娘がお別れに行ったんだと思います。」

と、お母さんはなんだか納得したような顔をして言うのだった。

「娘は、自殺する前、そういっていました。入れ墨師の先生が、あたしのことを本当にわかってくれたんだって。私たちは、入れ墨というと、何だか悪人みたいでやめろと言いましたが、娘はそういうことを言うのをやめませんでした。」

「そうですか、、、。」

と蘭は言った。

「私たちは、娘に何もしてやれませんでしたから、娘は最後に、先生のところに行って、お別れしたんだと思います。ありがとうございました。」

そういって頭を下げるお母さんに、蘭は、星野節子さんが、本当はなにをしていたのか、わかったような気がした。蘭は、そうなってしまったのは、ある意味仕方ないと思った。これからも、お別れに来た彼女のことを忘れまいと思った。



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お別れに来た娘 増田朋美 @masubuchi4996

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