第39行目  千代美と千代子

「くー、ああー!」

「クマさんくれるの? ありがとう、スズは優しい子だね」


 スズと遊びながら癒されているゼン。今日も一日仕事を頑張った。そして家にたどり着き、ご飯とお風呂も終わり、あとは寝るだけ。

 長かった一週間も、今日は金曜日。明日は仕事がお休みである。昼近くまで眠っていようかな。そんなことを考えながらスズと戯れていれば、彼の耳に……


「さて、今年もこの季節がやってきたな」

「あぁ、ついに来やがった」

「今年こそ大丈夫なはずです」


 部屋の隅でコソコソと話している奈央、ナツキ、千景の楽しそうな会話が耳に届いた。普段は炬燵を陣取って堂々としているのに、この寒い冬の季節に、何故あんな所でコソコソしているのだろう。


「して、千代美はいつ来るのかな?」

「バカ野郎、千代美じゃなくて千代子だよ」

「あやぁ? そうであったか?」


 事情はよく分からないが、どうやら千代子さんという人がやってくるらしい。


 え、こんな夜に? もう20時を過ぎているし、夕食もみんなで食べてしまったのだが。千代子さんとは一体誰だろう。何をしに来るのだろう。来客があるのなら事前に知らせておいてくれないと困るんだけど。スズはもうすぐ寝る時間だから、僕も一緒に寝ようかな。うん、その方がいい。千代子さんとやらは三人に用事があるんでしょ。僕関係ないもん。


 心の中でゼンがプチパニックを起こし始めた。ゼンは極度の人見知りで、恥ずかしがり屋なのである。夜に知らない人という来客イベントは、ビビりな彼の心が耐えられるはずもなく。

 来客者が来る前にスズと共に退却すべきと、彼の中で結論が出た所で、千景が嬉々として追加情報を告げ始めた。


「ふふっ、僕は新情報を手に入れましたよ」

「「おぉ!」」

「巷では、本田ショコタンとやらが流行っているらしいのです」

「ホンダ?」

「ショコタン……おのこか?」

「いや、おなごだろう?」


 本田ショコタンさん、という人物も千代子さんと共に来るということだろうか。見知らぬ人物が一人来るだけでも気が重いのに、もう一人来るとは。名前からしてハーフだろうか。アイキャント、スピーク、イングリッシュ。キリリとゼンの胃が痛みを訴える。

 これは素早く退散を告げた方が良さそうだ。楽しげな三人の会話へ突入する。


「今日誰が来るの? 僕はそろそろ寝るけどね」

「えぇ!? もう寝てしまうのですか!?」

「そんな勿体ない!」

「まさかゼン今日が何の日か知らないのか?」


 目をまん丸にして驚いている三人。今日……何かの記念日だろうか。そう思い、ゼンがカレンダーを見ると今日は2月14日。そう言えば会社の女の子たちが何やら色めき立っていたような気がする。今日はバレンタ……


「今日はレバニラ炒めの日と言って、一年間良い子に過ごして居たら、千代美から千代子がもらえる日なのだぞ」

「何もかもちげーよ」


 何をどう解釈したらそうなるのだろうか。一部クリスマスと混じっているし、何もかもが違う。何だレバニラ炒めの日とは……

 思わず叫んでしまえば、三人は相当ショックな様子。


「「「え……違うの?」」」


 と、固まってしまった。


「本田ショコタンは?」

「それは……フォンダンショコラのこと?」

「千代子は?」

「……チョコのこと?」

「千代美は?」

「……それは誰なの?」


 彼らの変な認識にため息が止まらない。そう言えば、数日前からソワソワしていたような気もする。それは全て今日の日のためだったのだろうか。残酷なようだが、嘘をついても仕方ない。ゼンは彼らに真実を告げる。


「バレンタインは、一応女の子が好きな男の子にチョコレートを渡す日だけど、最近はお世話になってる人とかに感謝を伝える機会にもなってる」

「「「へ、へぇ」」」


 初めて聞いたという顔で、ゼンの言葉を飲み込もうとしている三人。しかし簡単に受け入れられる真実ではないらしい。かなり落ち込んでしまっている。


「千代美はもらえぬのか」

「千代美って何? 何をもらおうとしてた訳?」

「知らぬ」

「……知らんのかい。ならもういいじゃん、そんなに悲しい顔しないでよ」

「分かってないなぁ、ゼンは。他者からもらえるプレゼントのありがたみを」

「私たちは誰かから貰えるその何かしらのために、一年間良い子にしていたのですよ!」

「……そんな漠然とした認識でよく頑張れるよね」


 本当に良い子にだったのかはさて置いて(特に奈央)彼らは自分なりに一年間頑張っていたのだろう。それが一瞬にして無に帰されたこの瞬間、何だか可哀想になってきた。


「あ、そう言えば……」


 ゼンはふと思い出し、会社で使っている通勤鞄の中をガサガサと探り始めた。ファイル、書類、ペンケース……やべ、弁当箱出すの忘れてた。ナツキに怒られる。でも確かこの辺りに……あ、あったあった。


「これ、良かったら食べる?」


 鞄の中から取り出したのは、可愛らしい箱たち。ピンク、赤、黒、青、黄色などなど色とりどりの装飾で綺麗にラッピングが施されている。


「会社の子たちに貰ったんだよ、義理チョコ」

「桐千代子?」

「義理チョコ! 本命のチョコじゃなくて、あーもういいや、とにかく貰ったチョコレート。これみんなで食べよう」


 包まれたラッピングを解けば、中から美味しそうなチョコレートたちが。目にした瞬間、三人の瞳がキラキラと輝く。


「え、良いのか? ゼンが貰ったのであろう?」

「いいよ、僕甘いのたくさん食べられないし。捨てたら勿体ないでしょ。それに、みんなと食べた方が美味しいからさ」

「「「ゼンー!」」」

「うわ!? ぐえ」

「キャッキャッ!」


 ガバッと奈央たち三人がゼンに突撃し、仲良くコロンと転がる。抱っこしていたスズは激突する直前にゼンの頭の上へ何とか避難させたので無事である。その動きが楽しかったようで、スズからは弾む声が漏れたが、三人分の体重がのし掛かるゼンからは苦しそうな声が漏れた。


「ぐぅ、退いて、重いよ。死んじゃぅ」

「なんといい子なのだ、我らの末っ子は!」

「お前には今度本田ショコタンを作ってやるよ!」

「では僕は千代子を作りましょう!」

「いや、僕甘いのあんまり……まぁいいか。楽しみにしてるよ。だからとりあえず退いて」


 今年のレバニラ……コホン、失礼いたしました。バレンタインデーは初めてみんなで美味しくチョコレートを堪能出来たようです。めでたしめでたし。

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