第5章

第28行目  お話しました

「じじ」


 その瞬間は突然やってきた。特に何も変わったことのない、穏やかな午後の昼下がり。それが突如として特別な記念日へと姿を変えた。

 ウサギのぬいぐるみと遊んでいたスズが、こちらを向いて「じじ」とはっきり呟いたのだ。その言葉に嬉々として反応したのはもちろん……


「スズ! 今なんと?」

「うー?」


 リビングでテレビをみていた奈央である。スズを抱きかかえ嬉しそうに回る。


「そうだそうだ、スズのじぃじだぞ」

「あー? キャー」


 スズは今「うー」としか言ってませんでしたが。奈央は特に気にしていないらしい。

 スズはいきなり抱きかかえられて驚いたようだが、すぐに笑顔になり楽しんでいる。


「スズ、俺は? 俺!」

「私は?」

「僕は?」


 グイッとナツキたち三人も呼んでもらおうと距離を詰めるが、スズはキョトンとした顔で見つめるだけ。話す様子は全くない。


「ほほほ、俺が一番だったなぁ」


 その様子に更に得意気になる奈央。

 捨て子であるためスズの正確な年齢は分からないが、出会った時にはもう首も据わっていたし、徐々にではあるが発語も増えてきていた。そろそろ話し始める年頃になってきたのだろう。これから彼女はもっと様々な言葉を学習し、成長していってくれるに違いない。


「いや待って」


 奈央がのんびりとスズの未来に思いを馳せていれば、ゼンから待ったが飛んできた。


「僕たちみんなスズからしたら『じじ』だから、さっきのは僕のことを呼んだのかもしれないよ」

「それはないだろう。俺の方を向いていたではないか」

「後ろに僕居たし」

「右に私が居ました」

「左は俺だ」


 スズから一番近くの位置に居たのは奈央だが、実はそちら方面の位置には全員集合していたのだ。仮にスズが千景、ナツキ、ゼンのことを呼ぼうとしたとしても、先ほどと同じ方向に向かって「じじ」と呟いていただろう。


「本当に奈央を呼んだの?」


 ピリリとした空気が部屋の中を包んだところで、さあ、始まりました。『スズのおじじは一体誰なのか』大会! ここに開催を宣言いたします。では早速参りましょう。エントリーナンバー1番、奈央選手。


「お前らなぁ、絶対俺に決まってるだろう。スズの前で何度じじ発言をしたと思ってるんだ? 確実に俺だろう。お前たちもよく俺のことをじじいと言うではないか。スズはそれを聞いて真似したに違いない。年齢的にも俺だろう」


 流石は優勝候補の自他共に認める圧倒的じじい。最年長である奈央選手。年齢から考えるなら彼が一番天国に近い男。ナツキたちからもじじぃ扱いされることは数知れず。スズがじじとして認知するのは、やはり彼なのでしょうか。

 これは奈央選手の圧勝で勝負がつくか。


 続きましてエントリーナンバー2番、千景選手。


「いいえ、年齢はこの際関係ありません。スズからしたら全員はるかに年寄り。おじじの範囲内なのです。ここはいかにスズと過ごした時間が長かったかが論点になると思います。私はよく洗濯物をスズと一緒に畳んでいますし、掃除も一緒にやってます。スズにとって頼れるじじいは私しかあり得ません!」


 おっと千景選手。『スズからしたら全員年寄り』という事実により、年齢だけでみたらリードしていた奈央選手の優位性を壊しました。そして、勝負の土俵を『彼女と過ごした時間の長さ』という自分の戦いやすい場所まで持ってた。これは見事。鮮やかです。このまま彼が優勝するでしょうか。


 続きましてエントリーナンバー3番、ナツキ選手。


「確かに千景はよくスズと一緒に居るよな。だけど俺も食事の準備する時とかおんぶしたりしてるし、一緒に昼寝もするし、本も読むぜ? 時間の長さだけで言ったら同点だと思うね。千景はスズと一緒に洗濯とかの仕事をこなすけど、あまり遊んだことないだろ? その点俺はめちゃくちゃ遊んでるぜ。スズにとって一緒に遊んでくれるおじじは俺だね」


 ナツキ選手、千景選手が獲得した時間の長さの優位性を同点まで持っていっただけでなく、過ごした時間の濃さを主張してきました。確かに彼の主張の通り、ナツキ選手はスズと一緒に遊んだり寝かしつけたりしている場面をよく目撃されています。

 時間の長さと濃密性で優位に出ているナツキ選手。素晴らしい。これは勝負が分からなくなってきましたね。


 さぁ、最後はエントリーナンバー4番、ゼン選手です。


「スズと一緒に居た時間で勝負するなら、僕は勝てない。仕事があるから、休日くらいしか一緒に居てあげられないからね。だけどそれでも休みの日はしっかり遊んであげてるつもりだよ。お菓子とかオモチャとか仕事帰りに買ってきたりもするし。過ごした時間の長さで言うと負けるけど、ちゃんとスズのこと考えてるし大好きだよ」


 これは素晴らしいですね、ゼン選手。過ごした時間の長さで言えば、仕事に出かけている彼が不利な状況ではありましたが、限られた時間しかないからこその濃密性を存分にアピールしてきました! さらに最後に沿えた『大好きだよ』の言葉がポイント高い! 普段クールな印象の強いゼン選手からの大好きは破壊力抜群であります。

 さぁ、これは一体誰が優勝するのか分からなくなってまいりました。そして優勝者を決めるのはもちろん……


「う?」


 スズちゃん張本人であります。散々議論を重ねてきましたが、彼女がもう一度「じじ」と告げれば、それはもうその人が「じじ」な訳でありまして。四人の視線は彼女の方へと向かっていく。すると……


「キャッキャッ。じじ」

「おー!」


 ニコニコと微笑みながらスズは奈央に触れて再び言葉を呟いた。視線も確実に奈央に向いているし、何より頬に触れている。これでは誰も異論を挟めない。


「えー」

「やはり奈央が一番でしたか」

「残念」


 ガックリと肩を落とす三人。本当は最初の時に奈央のことを呼んだのだろうと分かっていた。しかし僅かな可能性ではあるが自分を呼んだことにかけて大会を開催したのだ。その希望虚しく惨敗であったが。

 こうしてスズのおじじ大会は奈央の優勝で幕を閉じる……のだが。


「ちぃ、なぁ、ぜ」

「「「!?」」」


 ションボリとしている三人に対して、スズは千景、ナツキ、ゼンと順番に触れながらポツリと呟いた。


「スズあなたという子はなんと可愛いんでしょう」

「やったー! 名前呼ばれた!」

「覚えてくれたんだね、ありがとう」


 完全に名前を話せた訳ではないが、スズなりに呟いてくれた名前に三人は狂喜乱舞である。その一方で……


「スズ、俺も名前で呼んでみてくれ。奈央だ、なお」

「じじじじじじ」


 奈央のことはじじとして認識しているようで。ナツキのことは「なぁ」と呼んでいるので奈央のことを名前で呼べなくもないとは思うのだが、そもそもスズ本人に呼ぶ気がないらしい。これはこの先も難しいだろう。


「スズぅ」

「キャッキャッ」


 奈央だけ少し不満げではあるものの、今日はスズが名前を呼んでくれたということで、食事は豪華になったし、カレンダーに花丸をつけた。

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