第22行目  土珈琲

「おはようございます」

「うぃー、おはよう」


 とある日、朝7時、キッチンにて。

 起きたてボサボサ頭の千景と、食事当番のナツキが挨拶を交わす。千景が冷蔵庫から水を取り出しながら、チラリとナツキの手元を見てみると……


「ふふふーん♪」


 ナツキは上機嫌に鼻歌を歌いながら、何やら茶色い物質をサラサラとしている。何をしているのだろうか。千景は寝ぼけ眼を擦って、よく見ようと目を細める。


「……」


 どう見ても土。

 土食べるんだ、って思ったけど、そう言えばナツキはそういう奴だった気がする。食べたいのなら食べさせてあげよう。本人がそうしたいのならば無理に止めるのは気の毒である。千景がそう自分自身を納得させていれば……


「コーヒーね、これ」

「なんとっ!? コーヒーが土でできていたとは驚きです!」

「違う違うそうじゃない。お前ってそういうとこあるよな」

「えへ、ありがとうございます」

「褒めてねーよ」


 普段はしっかりしている部分も多い千景なのだが、たまにこうやってネジが弾け飛ぶ。特に朝の寝起きはぶっ飛び率が高い。


「土食べるやつなんて頭イカれてるだろ」

「それは確かにそうです。昔獣の身体に付いていた土が口に入ったことがありますが、あれはジャリジャリとして食べられたものではありません。あ、でも最近は食べられる土もあるらしいですよ」

「え、マジで?」

「なんでしたっけ? テレビでこの前やってました。もう少しで思い出します」


 そう言う千景の手はお腹から始まり首へ。そして喉元を通り過ぎて、おでこの部分まで来てしまった。口通り過ぎてますが、良いのですか。そのジェスチャーは合ってますか、大丈夫ですか。


「あと少しだと思うのですが思い出せません」

「うん、いいよ。お前はそのままが一番いいと、俺は思う」

「えへ、ありがとうございます」

「……どういたしまして」


 本来なら千景のジェスチャーはお腹から始まり、喉元で止まらなければ成立しないものだと思うのだが、ナツキはいろいろ諦めたらしい。遠い目をしながら、ドリップコーヒーにお湯を注いだ。


「おはよう、二人とも」

「おはよう」

「おはようございます」


 しばらくすると、朝の畑作業から帰ってきた奈央がキッチンへやってきて、ナツキの隣に座った。そして、ナツキが先ほどまで使っていた珈琲のドリップパックを見て迷うことなく問いかけた。


「ナツキ、土かそれは?」

「うん、もういいよ土でも」

「? そうか」


 寝ぼけている千景はともかく、奈央も今まで珈琲を飲んできた。色は確かに似ているものの、何故土だと解釈してしまうのだろうこの子たちは。謎で仕方ないのだが、考えても答えは出なさそうなので、全てを諦めるナツキ。


「今日の朝ご飯はなんだ?」

「スクランブルエッグだよ」

「クルクルエッグ?」

「違う、スクランブル。この前も食べたじゃん」

「そうかそうか」


 奈央はうんうんと頷いてくれたものの、多分分かっておらず適当に返事をしているに違いない。彼の中では料理名は何でも良いのだろう。問題はその味なのだから。


「おはよ」

「おはようゼン」

「今日も芸術的な寝癖だな」


 そうこうしていれば、寝癖を爆発させているゼンがやってきた。まだ完全には目が覚めていないようでポヤポヤとしている。


「ナツキ、僕にも珈琲ちょうだい」

「良かった、ゼンは普通だった。安心したよ」

「ん? 何の話? ……ハッ、ハックチュン」


 ナツキの手元に注目していたゼンだが、朝の肌寒さが鼻に響いたのか、可愛らしいクシャミを一つ。


「何ですかそのクシャミ。引きこもりのくせに」

「つり目のくせに」

「根暗なくせに」

「え、そんなこと言われても……可愛くてごめんね?」


 クシャミ一つしただけで三人から散々な言われようである。飛び出した鼻水を吹いて、シュンとしながらゼンは椅子に座った。


「ほら、もう出来るから机の上片付けて」

「あいあい」「ふぁ~い」

「千景はそろそろちゃんと起きて」


 そんなこんなをしていれば、美味しそうなスクランブルエッグをナツキが運んできてくれる。奈央とゼンはすぐに動いてくれるが、千景は大きな欠伸をしながらのんびりとしている。

 普段はしっかりとしている千景だが、実は朝が苦手。低血圧のため頭が寝起きは頭が痛く、機嫌も悪いことが多々ある。今日は機嫌はそこそこなようなので、まだマシな方である。


「「「いただきます」」」

「どうぞ~」


 寝ぼけている千景も一緒に両手を合わせて、早速一口運ぶ。


「うまい!」


 ゴクンと飲み込んだ奈央から元気のよい声が飛び出してきた。


「なぁ、ナツキ。これは新作か? また腕をあげたな」

「違う違う。ここ最近よく朝ごはんに出してるでしょ、おじいちゃん」

「あい分かった。もう忘れないぞ!」

「一昨日も同じこと言ってたから、多分無理だよ」


 ため息をつきながら、諦めるナツキ。ご飯を美味しいと褒めてくれるのはとても嬉しいことなのだが、こうも毎回新鮮な反応をされると、心配になってくる。本当に奈央は認知症なのではなかろうか。


「そう言えば今日は蔵を少し整理してから畑に行こうと思うのだ。種をたくさん保管していたからな。そろそろ東側に保管しておいた種たちが時期であろう。サツマイモにナス、キャベツ他にもたくさん。その子たちの様子を確認してから畑に行くぞい。そこに保管してからもう1年経つからな。状態をしっかりと確認せねば」


 認知症かと思えば、1年前に保管していた種たちを場所と共に名前までスラスラと言い当てた奈央。食事の名前を忘れてしまうのは、ただの老化現象だろうか。

 心配であることに代わりはないのだが、とりあえず様子見で良さそうだ。


「ナツキか千景、俺が蔵に居る間スズのことを頼みたいのだ。あそこはホコリっぽいから、幼子は行かない方がいいだろう」

「俺みてるよ。今日は買い物も行かないから、食器洗ったら手が空くんだ。スズと遊んでるよ」

「ナツキありがとう、よろしく頼むぞ」


 こうしていつもよりほんの少しだけ騒がしかった朝は過ぎ去り、みんなそれぞれの担当の仕事へと移っていく。

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