第4章

第21行目  お昼寝

「んぁー」


 午後の心地よい昼下がり。スズがお昼寝から起床した。誰も居ない部屋を探索し、満喫することもあるのだが(第13行目参照)今日はいつもと様子が異なった。


「すぅー」


 スズの布団の隣、畳の上で奈央がスヤスヤと寝息を立てて眠っているのだ。

 今日のスズの寝かしつけは奈央がやってくれた。何ならスズが夢の国へ行く前に、奈央の方が旅立っていたくらいだ。疲れていたのだろう、そのまま今の時間まで爆睡してしまったらしい。


「ぶぅー! ばぁー!」

「はっ……はっ……ハックション!」


 バフッ!


 スズがペチリと奈央の頬に触れた時、奈央がクシャミをした。そしてクシャミと共に、口から吹き出したのは真っ赤な炎。幸い炎は天井には届かず、フランベ程度の炎であったので、火事にはなりそうもない。そして奈央は上向きでクシャミをしたため、横にいたスズはほんのり温かかっただけで無事である。これが彼女の方を向いて、やっていた可能性もあったと思うと正直ゾッとする。


「キャッキャッ!」


 もちろんスズはそんなことを感じるはずもなく。突然吹き出た炎が楽しかったようでご満悦である。


「ば!」


 しかしスズは奈央のクシャミを受けて、彼が布団も掛けずに眠っていることに気がついた。きっと寒くてクシャミをしたのだろう。このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。そう考えたスズはとりあえずウサギのぬいぐるみを奈央のそばにグイッと押しつけた。そして自分が先ほどまで着ていた布団を奈央にかけようとする。


「んー」


 ズズズと布団を引きずって、何とか奈央の近くまで運ぶ。そしてポイッと放り投げた。


「むふっー」


 見事なコントロールで布団は奈央の身体に着地。一仕事やり遂げてスズは満足げである。

 もちろんスズの使っていた布団は子供用でなので、奈央のお腹全体は隠すことが出来ず、ちょこんと乗っただけではあるが、彼女の健気な優しさでぽかぽかとすることだろう。


「おやスズ、お目覚めですか。おはようございます」

「あむ」


 満足感に浸っていれば、程なくして洗濯かごをいっぱいにした千景がやってくる。


「あれ、どこにも居ないと思ったらスズと一緒にお昼寝をしていたんですね、奈央は。寝相悪くなかったですか? 潰されてませんかね?」

「あぅー」


 あと少しズレていたら燃やされていたとは、口が裂けても言えない。スズがまだ発語出来なくて命拾いしたのは奈央である。


「ほんとに奈央は寝相が悪いんですよ。私は何度潰されたことでしょう。寝てる人は普段より力が抜けて重いですから、退かすのに苦労しました」

「ぶぅ」

「今は良くなりましたが、昔は突如人間からドラゴンの姿に変わってしまうことも日常茶飯事で。困ったものでしたよ、全く」

「あなたのその……」

「うひゃ!?」


 予想していない所から出てきた声に、千景が驚いて変な悲鳴を漏らす。


「え、奈央起きたので……」

「むにゃむにゃ」

「寝言、ですか」


 奈央の昔の悪口を言ってたのを聞かれてしまったのかと思い、千景はビクリと肩を揺らしたが、単なる寝言だったようだ。奈央の瞳はしっかりと閉じている。


「ビックリしました。随分はっきりと寝言を紡ぎますね」


 千景がバクバクと言っている心臓を宥めながら胸を撫でる。

 奈央はいまだに夢の中。寝言を告げた口はほんのりと口角が上がっている。何か幸せな夢でも見ているのかもしれない。


「その……ケチャップが、とても素敵で、好きなのだ」

「ん?」


 先ほどの寝言と合わせると、『あなたのそのケチャップがとても素敵で好きなのだ』となるが、どういう状況だろうか。『あなたのケチャップ』もよく分からないし、『ケチャップが素敵』もちょっとよく分からない。一体どんな夢を見ているのだろう。


「んー、カーテンに包まれて……綺麗なのだ」

「?」


 カーテンに包まれているのは『あなた』だろうか、それとも『ケチャップ』だろうか。できれば前者であってほしい。後者の場合、もし生身のケチャップがカーテンに包まれているのだとしたら、洗濯担当の千景としてはゾッとするものがある。そもそもカーテンに包まれるケチャップとは何だろう。


「んふふっ」


 そんな千景の想いはつゆ知らず、奈央は相変わらず幸せそう。

 思えばさっきから『素敵』や『綺麗』などの言葉が出てきている。そして奈央の幸せそうな表情。これらを合わせて考えると、もしかすると恋愛の夢でも見ているのでないだろうか。


「あなたは……」

「あなたは?」

「……死んでしまったけれど」

「え……」


 衝撃的過ぎる展開に、千景は言葉を失う。淡い青春のような恋の物語を夢見ているのだと思ったのに、まさか悲哀の物語だったとは。こんな展開が許されるのだろうか。


「んふふっ、ハンバーグ、カレーライス、ラーメン。そんなに食べられないのだ」


 なぜ死んでしまったのか。何が起こったのか全く分からないのに、奈央の寝言が食べ物の寝言に変わってしまった。見る夢が変わってしまったようだ。これでは先ほどの夢の続きを寝言で聞くことは叶わないだろう。


「起きて! 起きてください奈央」


 どうしても気になる千景は強引に奈央を揺さぶり起こす。今ならまだ彼が食べ物の前の夢を覚えているかもしれない。


「んん? お、千景か。済まぬ俺は眠って……」

「夢の続きを教えてください!」

「はぇ? 夢?」

「寝言でずっと言っていたのですよ。あなたのケチャップとか、カーテンに包まれて綺麗だとか。最終的には死んでしまったようですが」

「何という悲しい展開なのだ」

「あなたが作り出したんですよ。このとんでもない物語を」

「なんとっ!?」

「ほら、だから思い出してください! 私はとても続きが気になるのです!」


 千景の言葉を受け、何とか夢のことを思い出そうとする奈央。しかし浮かんでくるのは美味しそうなハンバーグたちだけ。


「ダメだ、完全に食べ物しか浮かんでこない」

「残念で仕方ありません」

「いずれ思い出すやもしれぬ。それまで待っておくれ」


 夢とはとても儚くて曖昧で。思い出そうとすればするほど、なかなか思い出せないものである。気になる展開ではあったものの、奈央が思い出してくれることを祈るしかない。


「そういえばお腹が空いたぞ。昼ご飯はまだかな」

「さっき食べたばかりでしょ、おじいちゃん」

「はて」


 食べ物の夢に釣られて空腹を感じたのだろうが、お昼寝前に昼食を食べたことを既に忘れてしまっている。元々忘れっぽい所がある奈央だが、これはやはり認知症外来へ早めの受診を促した方が良いのかもしれない。

 そしてこれはもう夢の続きを思い出してくれるのは、絶望的なようだ。

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