第19行目  昆虫パニックその1

 ピクニックから一晩経った次の日の朝。


「ふわぁ~」


 大きく伸びをしながら廊下を歩くゼン。今日は仕事が休みなので、ちょっとだけ朝寝坊。ボリボリとお腹を掻きながら、朝ご飯を食べるためキッチンへと向かう。しかし……


「あ、ドングリ」


 廊下の中央付近で、温かい朝日を反射するドングリを発見。

 ドングリを見たと同時に昨日の楽しかった出来事が思い返される。

 みんなでピクニックをしたのは本当にひさしぶりだった。今まで銀杏や紅葉を見る時間をゆっくりと取ったことなどなかった。ああいうのんびりとした日がこれからも増えるのはちょっと嬉しい。

 そんなことは思いつつも……


「もう! ちゃんとしまっとかないとダメでしょ」


 誤嚥の危険性を孕んでいるドングリ。誰が落としたのか分からないが、これは全員に通達しておかなければ、スズの命が危ない。

 小さい子供は何でもかんでも口に入れてゴックンとしてしまう習性がある。昨日はみんなで目を光らせていたが、一晩明けて気が抜けてしまったのだろうか。今見たところ落ちているドングリはこの一つのようだが、この廊下以外にまだ落ちている可能性がある。

 スズはまだ眠っている時間なので、今は飲み込んではいないだろうが、家の中を隅々まで調べた方がいいかもしない。そんなことを考えながら、ゼンは落ちているドングリに手を伸ばす。しかし……


「ひっ」


 短く悲鳴を漏らした後、彼の動きが完全に停止。一体どうしたのだろう。


「……」


 そして停止したのも束の間、彼は真剣な表情のままジリジリと後ろに下がり始めた。額には薄らと汗を浮かべ、息も乱れてきている。それでも目線はドングリから絶対に離さない。


「……」


 そして一定の距離を離れたら、一目散に逃げだした。ドドドっと音を響かせてたどり着いたのはリビング。そこに居たのは……


「どうかしたのですか?」


 扉をバッと開けた先、一番そばには取り込んだ洗濯物を畳んでいる千景が。奥にはテレビを観ている奈央とナツキも居たのだが、ゼンは迷うことなく千景に抱きついた。


「ちょっとゼン!?」

「ドングリに虫……廊下」

「あぁ」


 短い言葉で状況を飲み込んだ千景。洗濯物を畳むのを中断し、ゼンと共に廊下へ進んでいく。

 実はゼンは虫が大の苦手なのである。小さな蟻からダンゴ虫や蜘蛛、ミミズにムカデ、もちろんゴキブリも。触るのも恐ろしいし、見ることすら出来るだけ避けたいと切に願っている。

 ドラゴンなのに何故そんな小さな生き物が苦手なのだろうと、以前奈央が聞いたのだが。


「何かを苦手になるのに理由が必要なの?」


 と、半ギレ状態の返答が返ってきたため、それ以上追求することは出来なかった。そして虫との戦いが付きものである畑担当をゼンがこなすこともあるが、その時は野菜を守らなければならない使命感で何とか頑張ってくれている。

 ちなみに千景は虫全般全く怖くなく、奈央とナツキはゴキブリ以外の虫は何とか出来る。二人曰く「ゴキブリは触覚が気持ち悪いから無理」との返答だった。


「「……」」


 そして時を戻して、ここは千景たちの消えたリビング。残されたのは奈央とナツキの訳だが、ちょうど付いているテレビから。


『この前子供たちがドングリを拾ってきたんですけど、中に虫が居たみたいで。大変でした』


 などど、かなりタイムリーな話題を取り扱っている。

 そんなテレビの声を聞いて、彼らの頭の中には「昨日のドングリってどうしたかな~」という考えがよぎった。


「あ」

「まさか」


 そう、昨日拾ってきたドングリは確かまとめて箱に入れてある。今後スズが遊べるようにと、押し入れの中に入れたはずだ。ということはもしかして……


「いやいやいや、それは大丈夫だろう流石に」

「そうだよなぁ? たまたまゼンの見つけたやつに虫が居ただけで、他のドングリたちは大丈夫なはずよな?」

「そうだよ。全部のドングリに虫が居るなんて聞いたことないし。虫が居る確率なんてあれだろう、宝くじの一等が当たるくらいの確率だろう」

「そうだきっとそうだ、そのはずだ。ゼンは災難だったが、運が良かったということだなぁ」

「あはは」

「あはははっ」


 何かに目を向けないように、わざと「あはは」と高らかに笑う二人。しかし本当は気がついているのだろう。箱の中いっぱいに虫が沸いている可能性に。




※※※




「ごめんね千景。助かったよありがとう」

「いえ、お安いご用です」

「他のドングリもヤバいかな?」

「その可能性はありますね、早速確認しましょう。確か奈央がしまい込んでいたはずですので、聞いてみましょうか」


 しばらくして廊下の虫を退治した千景がゼンと共に部屋に戻ってくる。しかし……


「「「「あ」」」」


 ガラリと扉を開いた瞬間、四人の声が重なった。


 さてここで、一旦時を止めて、まずは1カメさんの映像を観てみましょう。これは押し入れの方から扉側の映像ですね。奈央と千景の背中の隙間から真っ青になったゼンの顔が分かります。

 では次に2カメさんの映像を観てみましょう。あぁ、これは横からの映像ですね。奈央が箱を持っており、そこに全員の自然が注がれているのが分かります。しかし箱の中身までは2カメさんから確認出来ませんね。

 それでは最後に3カメさんの映像を観てみましょう。3カメさんは扉の斜め上の角度から部屋の中を映せるように設置してあるはずなので、これでどうなっているのか謎が解けるはずです。

 ……あ、みなさん、奈央の持っている箱にご注目ください。あれは昨日彼がドングリを入れていた箱ですね。そして中にはドングリと……


 それでは止めていた時を動かしてみましょう。


「~っ!?」


 奈央が手にしている物が視界に入った瞬間、声にならない悲鳴を上げたのはゼンである。そして一刻も早くソレを外に出したいと判断したのだろう。瞬時に腕だけ人間の擬態を解いてドラゴンの太い腕を出現させると、箱を持っている奈央ごと外に叩き飛ばした。


「あいたっ」


 物凄い勢いで外へと吹き飛ばされる奈央。襖は見るも無惨な形で破壊され、奈央は庭の木にぶつかり腰を強く打っている。『あいたっ』などどいう可愛らしい感じの痛みの表現では済まないと思うのだが、大丈夫だろうか。そして件の箱は奈央と一緒に縁側から外へ落ちた。しかし……


「~っ!?」


 再びゼンから声にならない悲鳴があがる。先ほどの衝撃で箱の中のドングリが数粒、虫と共に部屋に落下してしまったのだ。

 ゼンは隣に居る千景に力強く抱きついているが、それ首絞まってませんか? 大丈夫なやつですか?


「ぐ、苦しぃ、です、ゼン離してぇ」

「虫ドングリ、たくさん、やだ」


 大丈夫ではなかったようで。しかし錯乱状態のゼンに、千景の声は届くはずもなく。ますますその腕に力が入り、彼の首が絞まっていく。そしてさらに……

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