第16行目  世界の真実へ

 穏やかな日曜日のお昼過ぎ。千景がリビングで取り込んだ洗濯物を畳む中、近づいてくる足音が一つ。


「なぁ、千景」


 コソッとした様子でやってきたのは奈央。何か秘密の相談だろうか。ナツキあたりに怒られることをしたのかもしれない。そしてその隠蔽を手伝ってほしいとの依頼だろう。彼がこうやってやってくるのは、そのような大概ろくでもない用事であることが多い。

 さて、今回は何をやらかしたのか……


「シーチキンって知ってるか?」

「知ってますけど?」


 真剣な顔をして尋ねてくる奈央と、話題の温度差に寒気がするが、話の先を促せばとんでもないことを話し出した。


「シーチキンってチキンじゃないらしいぞ」

「は?」

「シーチキンってチキンじゃないらしいぞ」

「いや聞こえてますよ。冗談は止めてください。シーチキンでしょ? 名前にチキンと入っているではありませんか」

「俺もそう思っていたんだが、実は違うらしい」


 嘘を話している訳では無さそうだ。千景は奈央からただならぬ空気を感じとる。


「ではシーチキンとは一体何なのです?」


 ゴクリっと千景の喉が鳴る。自分はこれから、世界の真実を知ろうとしているのかもしれない。自然と緊張感と高揚感が心を包んだ。


「それはな……」

「それは?」

「実はな……」

「実は?」

「俺も分からんのだ」

「なぜ!?」


 まさかの解答に頭を抱える千景。


「ここまで興味を引き立てておいて、それはあまりにも残酷ですよ!」


 奈央の肩を持ち揺さぶって、怒りを露わにする千景。散々焦らされた挙げ句、結局答えを教えてもらえないのでは、確かに残酷である。


「違う、俺も答えを知りたいのだ。お前なら知っているのではと思い聞いただけで。すまぬ、悪気は無かった」


 揺さぶられながら弁明を述べる奈央。話の流れから奈央は答えを知っていると思っていたのに、まさか知らずに問いかけをしていただけだったとは。


「とても気になってきました。グググ先生に尋ねてみてはどうですか?」

「俺もな、そうしようと思ったんだよ。そもそもシーチキンがチキンではないと教えてくれたのはグググ先生なんだ。ほら、昨日先生の調子が悪くなる前に俺がスマホを触っていただろう」

「あぁ、壁と遊んでいるのかと思ったあの変な姿勢の時ですね」


 昨日この家で巻き起こった、世界滅亡の危機(Wi-Fi事変)の前に奈央が掴んだ情報が『シーチキンはチキンではない』という情報だったらしい。


「だが、あの混乱をきっかけに、俺はあまりにもグググ先生に頼り過ぎていることを自覚したんだ。それと共に己が無知すぎるということもな」

「なるほど」

「という訳で、俺はこの難題に自分で答えを出そうと思うのだ!」


 ドヤ顔で宣言しているが、早速千景に答えを求めようとしていた先ほどの会話を彼は覚えているのだろうか。恐らく、もうすでに忘れてしまっているのだろう。これは認知症を疑わないといけないレベルなのかもしれない。


「ここまで来てしまった以上、私も戻れませんね! 奈央に協力して、共に真実を導き出そうではありませんか!」

「おぉ! 心強いぞ千景。共に頑張ろう!」


 そして千景自身はシーチキンの謎が気になって、それどころではない様子。おー!と二人で拳を突き上げ、気合い十分である。


「しかし、チキンではないということは、何か他のお肉ということでしょうか」

「そうに違いない。『チキン=鶏肉』という我らの認識を利用したカムフラージュだったのだろう」

「つまり、そこには隠さなくてはいけない何かがあったということになりますか?」

「……そ、そう、なるのだろうか? いや、きっとそうに違いない」


 早速雲行きが怪しくなってきた。議論がミステリーのような雰囲気を醸し出してくる。


「本当のことを告げれば、誰も買わない可能性があったがために、チキンという一般的な表現を用いたに違いない」

「では、シーチキンに使われているのは、一体何なんでしょうか」

「牛や豚など、一般的に使用されている肉であれば、包み隠さず商品名に使用して売るだろう」

「そのはずですね。だってロースやポークと表記していても、チキンと変わらず売れることでしょうから」

「そしてシーチキンの『シー』の部分。これは……海だよな?」

「はい、そのはずです。この前スズと呼んだ本にそうありましたから、これは確実な情報です」

「ということは……あれしかないだろう」

「えぇ、それしかあり得ませんね」


 ゾゾゾっと二人の背筋に冷たいものが走り出す。今まで考えた事柄を並べると、とある恐ろしい答えにたどり着くのだ。それは……


「人魚だ」

「人魚ですね」


 とてもファンタジーな結論を叩き出した二人。そもそも人魚がこの世に存在するのかも分からないのに、二人の中ではシーチキンとして売られる程に乱獲されているということになるのだろう。


「何ということでしょう。人魚は半分人間ですよね。これでは共喰いになってしまいます」

「この重大な事実を、人々は知っているのだろうか」

「一部の人間たちしか知らないのではないでしょうか。だからシーチキンとぼかして販売をされているのでは?」

「何ということだ。それでは幼気な子供たちも知らず知らずのうちに食べてしまっていることになる」

「可哀想に」

「こうしてはいられない! まずはナツキに報告して、シーチキンを買わないように伝えなくては、いずれスズも食べてしまうことになる」


 そう言うが早いが、二人はキッチンへと走り出す。キッチンではちょうど晩ご飯の支度をしていたナツキと、そばで珈琲を飲んでいるゼンの姿が。早速二人で導き出した答えを告げる。


「おい、俺たちはとんでもない真実を導き出したぞ」

「シーチキンは人魚の肉だったんです!」

「何言ってんの」

「んな訳ねーだろ」


 奈央たちの結論を一蹴するナツキとゼン。とんでもなく呆れ顔である。


「え……」

「では何なのだ。シーチキンとは」


 奈央の問いかけにお互い顔を見合わせるナツキとゼン。

 実は彼らは知っている。シーチキンとはマグロやカツオが原料となっている商品であるということを。人魚の肉では断じてない。


「別に何でも良くね? 美味しいし」

「お腹に入れば一緒だよ」


 説明するのも面倒くさいらしく、テキトーにあしらうナツキとゼン。かれこれ1時間近く議論を重ねていた奈央と千景にその言葉は何と残酷なことだろう。よほどショックを受けてしまうのではないかと思われたが……


「確かに!」

「それもそうですね!」


 納得してしまった。今までの議論は何だったんだろう。

 しかし奈央と千景としてはシーチキンが人魚の肉でないと分かれば、安心だったようだ。こうして、彼らの中で謎が一つ解けそうで解けなかったのでした。

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