第12行目 例のブツを
深夜2時。昼間の賑やかさから一変して、静まりかえっている家の中。町から遠く離れている山の頂上だからこそ、音も気配も何もしない。月明かりだけが優しく照らすそんな夜、廊下をふらふらと歩く人影が一つ。
「みずぅ……」
寝ぼけまなこを擦りながら歩くナツキである。どうやら喉が渇いて起きてしまったようだ。はっきりと覚醒しない意識の中、キッチンへと向かっていく。
「ん?」
しかし廊下の角を曲がった所で、キッチンから明かりが漏れているのに気がついた。消し忘れたのだろうか。いや、今日は自分が最後にキッチンを出た。その時にちゃんと消灯を確認している。
そうすると、自分と同じように誰か水を飲みに来たのだろうか。そんなことを考えながら、そのまま足を進めれば……
「ヌフフフフフッ」
何とも不気味な声が聞こえてきた。これは笑い声なのか、何なのか。とりあえず分からない。
深夜2時。キッチンから漏れる明かり。不気味に響く声。ナツキの背筋に冷たいものが走る。
「ゴクリッ」
得体の知れない恐怖を感じるも、音を立てないようにソッと中の様子を伺ってみることにする。すると……
「ヌフッ、フフフフ」
相変わらず変な声を響かせながら、白色の存在がそこには居た。丁度成人男性がしゃがんだ位のサイズ感。まさか泥棒? こんな山奥に? いや、それはないだろう。そもそもここには人間が近づくことはない……と、なるとあれはまさか、幽霊的なやつ?
(いや、別にビビってねぇーし。俺、ドラゴンだぞ? 今は人型してるけど、生物の頂点的な存在のドラゴン様だぞ? お化けなんかにビビる訳ねぇじゃん。
ん? 足? これはあれだよ、そのぉ、武者震い的なあれだよ。決して恐怖で震えている訳じゃないんだからな!)
ナツキが一人恐怖と戦っていると、白色の存在が振り返る。そしてナツキと目があった。
「キャーーーー!」
乙女のような甲高い大絶叫を響かせるナツキ。しかしそんなことにはお構いなしで、白色の存在はこちらへ向かってきてしまう。
(ヤバい、動かないと多分ヤられる。そんな気がする、本能的に。だけど足が震えて全然動けない。これは俺終わったかな……)
涙目になりながら、自分の人生にさよならを告げるナツキ。
最後の瞬間はなるべく痛くなく一瞬で、それでいて滑らかな切り口とスッキリとした喉越しで飲み込んでもらい、爽やかな風を感じられるように……などと、ブツブツかなり注文多く贅沢に並べ立てていれば。
「あやぁ? ナツキではないか」
目の前の存在から聞き馴染みのある声が耳に届いた。ギュッと瞑っていた目を恐る恐る開けてみるとそこには……
「どうした? こんな夜中に」
キョトンと首を傾げている奈央の姿が。彼の登場に安心してナツキの身体から力が抜ける。
それと同時に奈央の姿をよく見てみれば、普段着用しているパジャマの上から、頭まで布団を被っている。先ほどまでお化けだと思っていた真っ白白助は奈央だったらしい。
「ビックリさせるなよぉ」
「いやいや、俺も驚いたぞ。キャーーーーと悲鳴が上がったのでな」
「……それは忘れて」
はははっと楽しそうに笑っている奈央。しかし何だかいつもと様子が違う気がする。さっきからナツキと全く目が合わないのだ。その焦点が怪しい方向を向いている。更には……
「水でも飲みに来たのか? ほれほれ、俺がついでやろう」
ナツキをキッチンへ踏み込ませないためか、コップに水を汲み、そそくさと渡してくる。普段の奈央はそんな気の利いたことはしない。もう一度言おう、普段の奈央はそんな気の利いたことは絶対にしない。ここ重要です。テストに出ます。大切なことなので二回言いました。
「遅い時間なのだから、早く寝るといい。明日の朝ご飯も楽しみにしているぞ。では」
そして話はもう終わりとばかりに、寝ることを促してくる。
怪しい、とてつもなく怪しい。何か隠している気がする。
真夜中の深夜2時のキッチン。奈央にとってナツキがこの場に来てしまったことは予想外だったのだろう。動揺が全面的に外に出てきている。
「奈央」
ナツキは意を決して、彼を問い詰めようと立ち上がる。もらったコップの水をグビッと一気に飲み干した。
「こんな夜中に何をしてるんだ。俺みたいに水を飲みに来た訳じゃなさそうだな」
「……いや、俺は特に何も」
「逃げられると思うなよ。さっきの変な声は何なんだ」
「おや、聞かれてしまっていたのか」
その瞬間、スッと、急に奈央の目つきが鋭くなったような気がする。再びゾクッと冷たいものが、ナツキの背筋をつたった。
「バレてしまったのなら、仕方がないな」
ニッコリと笑って、奈央はナツキへと距離を詰めてくる。普段と違う様子の奈央に恐怖を感じるも、ナツキの足は一歩も動かない。
「な、何だよ」
「これだよ」
ぐっと肩を組まれながら見せられたのは、得体の知れない白色のお粉。このお粉は一体……
「お前もどうだ? すぐに幸せになれる代物だ。一度これを知ってしまったら、もう戻れない。お前も虜になるだろう」
そう言えば最近巷で変な白色のお粉が流行っているとテレビのニュース聞いたような気がする。一口食べれば夢心地。もう一生辞めることはできないとも。それって危ないやつではないだろうか。だから先ほど変な声を響かせていたのではないか。
「なんなんだよ、これ」
「フフフ、これはな」
ニッコリと笑った微笑みを更に深くして、奈央はこの粉の正体を告げる。
「これはな……片栗粉なのだ」
「……え、片栗粉?」
てっきり「ま」から始まる白いヤバいお粉だと思っていたのだが、全然真っ当な白いお粉だった。
「知っているかナツキ、片栗粉のサラフワ感を! 例えようのないこの癒やしの感触! とても素晴らしい一品である」
ご存知の方も多いかと思いますが、確かに片栗粉の感触はフワフワで触っているだけで、癒されることも多い。奈央はその感触が病みつきになってしまったようだ。
「ふわふわ……」
緊張が一気に解けたナツキから、息が漏れる。奈央が何か犯罪に巻き込まれたり、危ないことに首を突っ込んでいなくて本当に良かった。
「はぁ、だけどなんでこんな真夜中に隠れて触ってたの?」
「驚かせてすまぬ。他の者にバレると怒られると思ったのだ。だが迷惑はかけてないぞ。俺が触り倒した物をまた袋に戻すのは忍びなく。ほら衛生的にダメだろ? だから一度で捨てるのではなく、これだけ別の袋に分けて触っているのだ。さほど問題にはならないだろう?」
奈央はズイッと先ほどのジッパーに入った袋を見せてくれる。そういうことはしっかり考えてくれているようだ。
「な? いいだろう?」
奈央は片栗粉を没収されるのが怖いよう。オモチャを取られる子供のような顔をしている。
「んー」
ここで片栗粉を没収すると、奈央に食事担当が回ってきた時、延々と触り倒していそうな気がする。それにジッパーに少しだけ入れているのだから、彼の言うとおりこちらに迷惑はかかっていない。ということは……
「いいよ。でもゼンはともかく千景にバレないように気をつけなよ? もし袋破ってぶちまけたら、あいつキレるから」
「ありがとうありがとう! 袋は破らぬよう細心の注意を払うこととしよう」
キラキラと輝く笑顔でナツキにお礼を言う奈央。許可しただけでこんなにはしゃいで輝いた笑顔を見せてくれるとは。
という訳で、奈央は真夜中だけでなく、千景の居ない場所では昼間にも片栗粉を堪能出来るようになった訳だが。もちろんその後、奈央はめでたく袋を破ってしまい、しかも畳の上でぶちまけてしまったため、千景からとんでもなく怒られたのだった。
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